vs. 不破


「…………終わったぞ。出てこい」


「あら。案外早かったのね」


 まるで、この結末を端から知っていたような、驚きの欠片もない声が響いて。

 橙色に揺らめく挑発を砂煙になびかかせながら、出入口から不破が現れる。


「試合を長引かせる意味がないからな。肩慣らしにもならなかったのは少々残念なところだったが。……で、不破は楽しませてくれるんだろうな?」


「そうね。あなたが臨めば臨むだけ、戦闘は長引くと思うけれど」


 不敵な笑みを浮かべて睨み合う二人。


「そいつは楽しみだ」

「それじゃあ始めましょうか。――神格開放」



 不破の右手に刻まれた刻印が紅に明滅し、その手が虚空こくうの大円を描くと同時、豪奢ごうしゃきらびやかな大小様々の宝石に装飾そうしょくされた大盾が姿を現した。


 そのまま盾の裏面に埋め込まれた柄を引き抜くと、それはたちまち紅蓮に燃えさかる一条の槍となり、沈下ちんかしていた会場の熱気をり起こす。


 次いで、何処からか彼女の肩に現れた一羽の梟が遙か上空へと舞い上がり、二人を俯瞰ふかんするように飛び回りはじめた。


 盾に槍、そしてふくろうときた。

 ならば、神格じんかくの相場は決まっているも同然だ。


「……隠すつもりはないってことかい」

「神格を看破されたところで揺らぐものなんてなにもないもの」

「大層な自信だな。まぁいい。その自信ごと根こそぎひっくり返してやる。クロウっ!」


 狩神の呼び笛に応じて、彼方より飛来する一羽のカラスがコロシアムに舞い降りる。


「仕事だ。こいつを調達してこい」


 鳴き声の代わりに一つ頷き、烏は狩神のメモを嘴で咥えるとすぐさま飛び立った。

 その姿を見送って、狩神は大鎌を構える。


「さて……、あいつが戻ってくるまでしばらく遊んでやる」

「遊ぶのは果たしてどちらでしょうね」


 矜恃きょうじを宿らせた不破の槍が太陽の加護を受け、更に赤熱を帯びていく。

 その身にまとう鎧が白銀に輝き、陽光を受けて照り輝く純白の盾が湛えるは神聖。




「では……試合、開始!」


 州欧が安全圏から精一杯の声でそう叫んだと同時だった。


「つぇああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 裂帛れっぱく咆哮ほうこうとともに、不破が天空へ向けて槍を投擲。


 コロシアムごと焼き払う極炎ごくえんは待避を許さず、煌めく彗星のごとく熱量と質量、そして自重と自由落下による過剰な加速を伴って、文字通りちてくる。


 並の神格保持者であっても、この激烈を無傷でやりすごすことは不可能。

 不破がその顔に笑みを浮かべる。これで勝ったも同然。


「ふふ。あれをどうこうできるなんて思わないことね」

「……そうかい。この程度かい」

「……?」

「どうやら俺は相当舐められているらしい――なぁっ!!」


「っ――!?」

 可憐な顔から笑顔が消えた。


 ガキィィィィ、と金属同士がぶつかり合った激音が唸りを上げる。

 狩神が、下から上へ突き上げるような渾身の一振りで飛来した槍を受け止め、迸る熱の奔流の切っ先を弾いたのだ。


 軌道を僅かに逸らされ、狩神の肩口をかすめて地上へと突き刺さる紅蓮。

 そして。


 凄惨な笑みを浮かべた死神の、獰猛な殺意が地表を揺蕩たゆたう。


「くはははははははははははははははははははははははっ!」


 不破の渾身を弾いた反動に身を任せ、背面へ流れた身体をバレリーノよろしく大仰に逸らすと。

 そのまま地を蹴って、後方宙返りをしながら大鎌をギロチン振り子のごとくぶん回した。


「っ!?」


 不破は直感のままにその場から飛び退く。果たしてそれは、正解だった。

 直後、ザザザザザザザザッ! と、弧を描いた大鎌が地表を掠め、それまで彼女が佇立していた場所を地割れが舐めたのだ。


 まるで巨竜がその鉤爪で大地を深々と抉るような斬痕ざんこんが刻まれ、地表を覆っていた砂を呑み込んでいく。


「な……、なん、なの、いまのは……」


 瞬時に曲芸さながらの攻防一体のカウンターを繰り出してきた、その慧眼けいがんと瞬発力は高校生という枠を完全に凌駕している。まして、たった一撃で地を割るなど、桁違いの膂力だ。


 不破が戦慄するのも無理もない。

 そもそも規格が違うのだ。


 学校という小さな箱庭の中で積み上げてきた模擬戦での経験値と、日本全土に蔓延はびこる犯罪者と殺るか殺られるかの死線を幾度も渡ってきた経歴キャリアとを、どうして比べられようか。


「おいおいどうしたどうした? お前もそんな程度か」

「くっ……」


 不破に逃げ場はなかった。暗渠あんきょへと呑み込まれていく流砂りゅうさに脚を取られないよう、コロシアムの端までバックステップで逃げ延びる。


「逃げる場所なんて、あると思っているのか?」

「っ!?」


 不滅の盾の、横合いから飛び込んでくる殺戮さつりくの一閃。

 死神は戦線からの逃避行を見逃さない。


 慌てて盾を突き出し受け止めるも、膂力に任せた狩神の一撃が不破を盾ごと突き飛ばす。


「く、うっ!」

「守ってばっかりじゃあ勝てないぜっ!? ってのは、どいつの台詞だったっけなぁ?」

「ほざ、けっ!」

「お前は彼我の差をはき違えたんだよ!」

「くうううううううっ!?」


 狩神の猛攻を前に、無敵を誇る盾が悲鳴を上げるかのように軋む。


 刃こぼれなど気にすらしていない狩神の攻撃は一撃を重ねる度に一層鋭くなり、徐々に鈍重なものへ研ぎ澄まされていく。


 止められない。

 不破に、この猛攻を止める術はない。


「その神格は数々の神話の中でも攻防を備え、贅沢なことに知略と叡智すら兼ね備える一級品であることは確かだ。だが、本人に知恵がねぇなら話は別。戦術と戦略の双方すらまともに扱えないのなら、野蛮で残忍を誇ったギリシャ神話の戦神アレスとなんら変わりはねぇだろ!?」

「…………っ」


 縦横無尽な鎌の斬閃が、容赦ない言葉と共に叩きつけられる。


「戦争は得意でも単騎での一騎打ちが得意だった逸話は残ってねぇのが致命的だったな。まして、ガワだけ整えた張りぼてが通用するわけねぇんだよ、この俺に!」


「うるさいっ!」


 猛攻の果て。文字通り地面へ叩き潰すために狩神が大きく振りかぶった隙を不破は逃さない。

 一息で地を蹴って大きく距離を取った。


 虚空を切った鎌の斬撃は真空の刃となって盾の表面を舐め尽くし、地面を幾重にも抉る。

 だが、直撃は免れた。ならば、恐るるに足らない。


 派生した現象であれば真空刃だろうが鎌鼬かまいたちだろうが全てを防ぐ。

 それこそが不破が握る盾の真髄だ。


「防御に関しちゃあ無二を誇るっつうのは道理ってことかい」


 霧が晴れるように、舞い散っていた砂埃がきらきらと地表へ落ちていく。

 大干ばつの影響で発生した底なしの地割れにも似た爪痕を浮かべる地表にあって、しかし不破の鉄壁はその神格じんかくに相応しく無傷を誇っていた。


「……そんなあんたは、なに? 神格を明かしたくはないってわけ」

「ひけらかすのは趣味じゃねぇんでな」



 大前提として。



 その身に宿す神格を開放すればするほど、看破される確率は跳ね上がる。

 唯一無二の武具、飼い慣れた動物、絶大な威力を誇る技の詠唱――それらはいずれも戦局をひっくり返す程の力を宿す強大なトリガーだが、弱点の露呈と背中合わせ。


 不破の神格のように目立った弱点がなければ別だろうが、多くの場合、弱点はそのまま致命傷になる。


「まぁ、随分と余裕なのね。これからその鼻っ柱をへし折ってあげるわ!」

「槍のない状況でどうやって?」

「一つしかないと思うのだけれどねっ!」


 挑発を無視し、不破は地面に刺さった槍を回収すべく地を蹴った。


「ま、当然そうくるわな」


 狩神はつまらない顔をして槍の回収を阻むべく立ち塞がる。不破の攻撃方法は盾による突進のみ。恐るるに足らない。


「残念だよ。少しは期待したんだが……戦況を誤ったな」

「――それはこっちの台詞よ!」


 不破が勝ち誇った表情で快哉かいさいを叫んだ。

 空へ向けて盾を構え、その下へと身を隠す。


「馬鹿か。そんなことをしても――」

「嘶け、紅蓮の使者よ!」

「っ!?」


 不破の意識を狩ろうと踏み込んだ刹那、狩神は気付く。


 否――正確には、完全に忘却の彼方だった存在がこの場にいたことを思い出したのだ。


 地に落ちる影が、赤く揺らめいていた。


 見上げる空の遙か彼方で、天が甲高くいななき。

 不吉の凶星にも似た不死鳥の紅蓮が、彼我ひがを焦がして落ちてくる。


「しまっ――」


 取り得る手段は二つだった。

 飛び退くか、盾に潜り込むか。


 前者を選択するなど愚策も愚策。

 確実に槍は回収されてしまう。それこそ不破の思うつぼだ。

 なにより、そんな都合の良い展開は絵に描いたようで癪に障る。


 判断から行動までは一瞬だった。

 盾の真下――つまり、不破と接触不可避な隙間へ潜り込もうと咄嗟とっさかがみ。


 そして。


「………………………………あっ?」


 瞬時に狩神は後悔する。

 この期に及んで神格に頼ることなく場をやり過ごそうとした、その報い。


「ふふっ。そうくると思ってたわ」


 酷く歪んだ笑みを浮かべる不破と、目が合って。

「――っ!?」


 回避しようのない飛び膝蹴りが狩神の水月を抉り、その身体を内壁まで吹き飛ばした。

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