邂逅 - 2

「まさかそれが、こうなっちまうとはなぁ……」


 満天を埋め尽くさんと咲き乱れる桜が、春風に撒かれて淡桃色の吹雪を舞い散らせる。


 新年度を迎えた都立神宮じんぐう高校の花道は静謐せいひつに満ちていた。


 都内で一等優秀な生徒たちが通うともいわれ、日本が誇る神格じんかく保有者のみがその門をくぐることを許された学び舎は、都会にあってその喧噪けんそうからは縁遠い。


 新東京都構想とこうそうによって多くの企業が新宿以東に拠点を移動し、それ故にすっかり学園都市となった新宿にあって、新宿駅神宮じんぐう高校口という大層たいそうな固有名詞を掲げた改札口から一キロにも及ぶ並木通りを歩いた場所にたたずむ校舎は、その荘厳そうごんな雰囲気もあいまって神聖な装いをまとっていた。


 未だ汚れを知らない花弁かべんを踏み潰しながら、狩神しゅうじんは高校の敷地内へと踏み入れる。以前は代々木公園と呼ばれていた一帯に設立されたモダン様式の校舎は風光明媚ふうこうめいびな景色に溶け込む設計がなされ、みやびを体現した建造物として世界的にも名高い。

 国内有数の大きさを誇る神格保持者同士の戦闘専用に建造されたコロシアムを除けば、他の施設は建物内を移動すればおのずずと行き着くデザインになっている。



 在校生たちによる歓迎の声を聞き流しながら、狩神は迷うことなく入学式の会場であるだい公会堂こうかいどうへと向かう。何度か訪れたことのある校内は、今更いまさら迷う場所でもない。


「あ、あのっ」

「ん?」


 間もなく大公会堂へ辿り着くというところで背後から呼び止められ、狩神は足を止めた。振り返ると、栗毛色の髪をいじくる見知らぬ女子が一人。


「きみが、黒乃くん、でいいですか?」

「あんたは?」

「あ、えっと、州欧すおう……弥生やよい、です」

「なんか用?」


 尋ねると、州欧と名乗った女子は萎縮した様子でこくりと頷いてみせた。少し大人びた栗色をワックスで濡らしているためか、整髪剤特有の香りが鼻孔をくすぐる。


「入学生代表の、答辞とうじ……きみが、男子の、代表……でしょ?」

「そうだけど……。つうか、よく俺のことが分かったな。初対面だってのに」

「うん、その、先生が写真を見せてくれたから……。なんとなく、覚えてて……」


 指を絡めてもじもじと身体を揺らし、所在なさげに視線を左右に散らす州欧。

 気弱にも見える一方で話しかけるなというオーラを全開にしていた狩神に話しかけてくるのだから、果たして度胸があるのやらないのやら。掴み所のなさに、話しかけられた狩神もうまいこと二の句が出てこない。

 ややあって、州欧がぼそりと呟く。


「私、会場の中が居心地悪くて、それで校舎のなかを散策してたんだけど、偶然見かけたから、声、掛けちゃった……」

「こんな適当でぞんざいでなおかつ自信なさげなナンパを受けるのは初めてだ」


 縁起が良いのやら悪いのやら。


「そういや答辞は州欧さんが先でいいんだよな? 大トリは俺がやるってだけ聞いてるけど、それで間違ってねぇな」

「う、うん……そうだよ。これから、よろしくね」

「おう。それじゃあお先に」


 他愛のない会話を早々に切り上げ、狩神は大公会堂へと踏み入る。


 中はすでに満員だ。

 三階建ての会場には一年生から三年生までが所狭しと詰まっている。


「……にしても、あんな気弱そうな子が女子の代表ねぇ。退屈にならなきゃいいが」


 成績優秀なのだろうが、どうにも戦闘向きではなさそうだ。

 やはり学長から聞いているとおり、暇を持て余した『抑止力』が望むような環境ではないのかもしれない。


「まぁ、ないものねだりをしても仕方がねぇか」


 狩神はぼそぼそと独り言を呟きながら会場一階の最前列、昇降段の間際に設けられた席に腰掛けた。指定席の隣にはリザーブのつもりなのか水玉模様のハンカチが置いてある。

 やがて戻ってきた州欧は、軽く狩神に会釈をして席に座ると、すぐさまじっと目を閉じてしまった。新入生の挨拶のことで会話をする余裕もない、といったところか。


(ま、緊張しちまうのはある種当然か……。居心地も悪いって言ってたしな)


 大公会堂の一階は、活気が溢れる以上に殺気立っている。

 当然だろう。


 ここにいる全員が、友達である前に、これから三年間、神格じんかくの拡張や開放率を競い、実力を比較し、凌ぎを削り合う好敵手ライバルだ。

 詰まる話、隣り合う誰かは今日も明日も敵。競い合うことが第一義の存在。

 隣同士談笑をする新入生が珍しいくらいで、会場の空気は限界まで膨らませた風船のように殺伐と張り詰めている。


 その様子を二階、三階席から臨む上級生たちも、先程までの歓迎ムードから一遍、剣呑けんのんな様子で下階げかい睥睨へいげいしていた。

 威嚇いかくか、牽制けんせいか、あるいは品定しなさだめか。


「それでは、これより入学式、および始業式を始める。まずは、新入生の言葉」


 新たな門出を祝福するには少々場違いな雰囲気のなか、式典がはじまる。

 学長不在のために副学長が開幕の挨拶をし、その後、在校生代表の答辞がつつがなく執り行われる。次いで新入生代表として、州欧弥生が登壇とうだんした。


「一年生次席、州欧弥生です。世界に誇る神宮高校で、新入生代表として、こうして答辞を述べる機会があるとは、思いもよらず、まことに恐縮のいたりです。私の神格は決して派手なものではありません。そして、お恥ずかしながら、この力をどのように活かすことができるのか、そして将来、どのように活かしていきたいのか、その答えを持ち合わせていません。ですが、この学び舎で皆さんと共に研鑽し、己を確立していくことで、見えてくるものがあろうだろうと、期待しています。ですので、これから三年間、どうぞ宜しくお願いします」


 淀みなく言い終えた州欧が堅苦しい表情を保ったまま狩神の隣へと戻ってくる。


「案外やるじゃんか」


 州欧にしか聞こえない声で賞賛すると、彼女はうっすらと笑みを浮かべた。


「あはは……、なんとか乗り切った、かな」

「んじゃ、今度は俺の番だな」


 名前が呼ばれ、狩神は舞台へ登壇する。

 スピーカーの前で顔を上げると、眼前にずらりと並ぶはころすような数多の双眸そうぼう

 一身に注がれる負の感情を振り払うように、狩神は演台えんだいへ両手をつき、マイクへ第一声を注ぐ。


「どうも。一年首席の黒乃狩神です。州欧さんみたいによくできた答辞はできないんで、そこは勘弁してください。それとここにいる先生たちは万が一に備えて臨戦態勢を取ってください。……ああ、別に俺が暴れるわけじゃないっすよ。ただちょっと、場が荒れるかもしれないんでってことっす」

 狩神はそう忠告をしてから、いやしく笑った。


 上品な言葉も飾り付けた挨拶も杓子定規しゃくしじょうぎな行儀の良さもいらない――この場を唯一欠席している学長から、そう直々に命令を受けている。


 この場に、敵意と失望とを叩きつけろと。

 感じたままを脚色せず、ありのままに吐き捨てろと。


 懇意こんいにしている人からの厳令げんめいだ。

 やれと言われた以上は、忠実にこなす。


「……言いたいことは山ほどあるが、まずはてめぇらに対する意識付けからにするか」


 すぅ、と狩神は肺に息を溜め込むと、ゆっくり、はっきり、明確に感情が伝わるように吐き出す。


「俺が首席ってことは、少なくとも新入生は全員、俺より雑魚ザコって自覚あるんだろうな? 

 どいつもこいつもシケた面で睨みを利かせてやがるが……、はっきり言って、お前らとは踏んできた場数と死線の数も、見てきた世界の広さも、人生の濃度も、なにもかもが違う。

 たかだか三年、血反吐を吐く程度の生半可な努力でこの俺を越せると思うなよ?」


 会場の気温が一気に三度は下がっただろうか。

 いい。これでいい。

 狩神の狙い通りに、殺気が、敵意が、憎悪が、怨嗟が、嫉妬が、困惑が、増していく。


「学校生活なんてのは俺にとってはただの暇つぶしだ。それ以上でも以下でもない。恩義のある人がどうしてもっていうから、今日はここにこうして立ってる。

 それだけだ。たったそれだけ。……なぁ、その程度の志で入学した俺が頂点だぞ? そんでもって、あろうことか目の前にいる奴らが日本で一等優秀な神格じんかく保有者の集まりだって? 笑わせるなよ」


 そうして狩神は、大仰に、眼下に立ち並ぶ新入生へ指を指して断言してみせた。


「お前ら全員、このまま一所懸命に自己研鑽けんさんした程度じゃあ、世界に誇れる神格保有者になんかなれない。こいつは厳然たる事実だ」

「「「っ……」」」


 会場で何人もの新入生が息を呑んだ。

 あるいは拳を握り、歯を食いしばり、獰猛どうもうな双眼を狩神へと向ける。


 そう。これでいい。すべて、目論み通りだ。


「……とまぁ、偉そうに発破を掛けてやろうと講釈こうしゃくを垂れたが、とどのつまり、俺が言いたいのは一つだけだ。

 この三年で血反吐以上のものを吐いて、俺を超えてみな。

 ここは広大な世界へ飛び立つ雛鳥を育てるための箱庭じゃない。神格保有者として悠々自適な学びができる楽園でもない。

 優秀じゃない奴の末路くらいは……まぁ、ここにいる連中だったら言わずもがな知ってるだろうよ。そいつを努々忘れずに、せいぜい頑張ってくれ。

 あ、そうそう。俺と早々にタイマン張りたい奴がいたら、このあとコロシアムにきな。そこで相手してやるからよ」


 ――だから、精々、俺を退屈にさせないでくれよ?


 そうして狩神のスピーチが終わり、締めの挨拶をすると同時。

 大公会堂が割れんばかりの喝采かっさい怒号どごうに包まれたのは想像に難くない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る