序-2


「…………ったく、つまんねぇ」


 事切れた人形を前に少年は再び嘆息した。二度目の悲鳴と共に地面に激しく頭蓋ずがいを打ち付けて失神した男の横腹を蹴ってみるが、ごぎり、といびつな音を鳴らすだけで反応はない。


「……やっちまったなぁ。もうちょっと粘ってくれると期待してたんだけどなぁ」


 がりがりと頭を掻きむしる。これ以上はどうしようもない。手に余る状況になってしまった。となれば、できることは限られる。


 同時、まるでこのタイミングを狙ったかのように鳴り響く電話音が路地裏に反響する。

 少年が左腕に巻かれた銀縁の腕輪を軽く叩くと、空中にモニターが浮かび上がり、画面越しにスーツ姿の金髪美女――法秤ほうじょう掟吏ていりが珈琲の入ったマグカップを片手に現れた。


『やあやあ、シュージンくん。首尾はどうだい?』

「……シュージンじゃねぇ。狩神しゅうじんだ。伸ばし棒いれるとブタ箱にぶちこまれてるみたいになるからやめてくれ」

『なんだかご機嫌斜めだね……ということはあれかな? またもやはずれだったかな?』

「…………」

『いやはや、それは残念無念だねぇ』


 端から成果など期待していないと言わんばかりの軽薄際つ口調に苛立ちを覚えつつも、狩神と名乗る少年はモニター越しに渋々と頷いた。


「追跡していた容疑者はクロだ。禁断症状も確認した。薬物反応を調べりゃすぐに陽性反応がでる。だが、残念ながらこいつから抜き出せる情報はそこまでだ。十中八九こいつも忘却剤を服用しちまってる」


 横で伸びている男を一瞥いちべつして狩神はそう告げる。その声に宿るのは、無念というよりも、いっそ諦念ていねんに近い。


『またもや足取りは掴めそうにないかぁ……』

「さすがに、そろそろ突破口が開けるとありがたいんですけど……」

『じっくりやっていこうじゃないの。それと、貢献できていないだなんて自分を卑下することはないからね。シュージンくんの手腕には助けられてばかりだよ。あたしみたいな適当人間が神格省なんて豪奢ごうしゃな一等地で役人やっていられるのもきみのおかげだし』

「…………はぁ」


 柄にもなく、珍しく褒め言葉を口にする法秤を前に、狩神は頬を掻いた。


『……というわけで、数日後には四捨五入して大人の仲間入りを果たす働き盛りの未成年にお知らせだ』

「ん?」

『これから一ヶ月、『抑止力』としての活動は自重して、存分に学生生活を謳歌おうかしてくれ』

「…………は?」


 瞬時に理解ができなかった。

 仕事をじっくりやっていこう、成果をしっかり積み上げていこう――そういう発破を掛けられたのではなかったか。


 寝耳に水な命令にどう返事していいか戸惑っていると、法秤が殊更にゆっくりと、諭すような口調で続ける。


『呆気にとられる気持ちは理解するけど、きみはまだ学生ということを自覚してほしい。神格保有者である以上は、その使い方や神格保有者としての立ち振る舞いの基礎を今一度しっかりと学習してほしいんだよ。交友関係にしたって、将来に備え、思春期時代のうちに構築してなんぼだ。実際、これまでは『抑止力』としての活動にかまけてばかりで友達を作る時間すらほとんどなかったろうからね。たとえシュージンくんが不要と思っていても、その大半は大人になってから有益になるものだ』


「…………んなもん、本当に役に立つとは思えねぇけど」


 自分よりも優秀な人間など、いったいどこに期待できるというのか。

 実力も学力も劣る友人が人生を豊かにしてくれるわけもないし、仕事をすれば足手あしでまといにしかなり得ない。


 少なくとも、狩神のある種冷めた考えは物心ついたときから一貫して変わらない。


『ははっ、そう言うと思った』


 そしてまた、初志貫徹と言えば聞こえが良いが実際はただ変化を恐れて頑固に小さく固まってしまっているだけの狩神を、実母に変わって面倒を見てきた法秤もまた当然のように知っている。


『首席で合格したからって不登校相当の免除を受けられると思っているのなら大間違いだ。きちんと寮に入って規則正しい生活を送りなさい。何度も言うけれど、友達は将来の財産になるし、心はまだまだ未熟だってことを自覚しなさい。そうでなくても、高校生活で得た物はいつか代えがたい宝物になるから』

「いや、でも――」

『あれこれ便宜を図ったんだから、ちょっとは顔を立ててくれたっていいのよ? というよりも、首席で入学するんだから入学式で挨拶だってしなきゃならないんじゃないの? それを考える時間だって一日や二日くらいはどしたって必要だと思うけれどね。だから、今日で『抑止力と』としてのお仕事は一旦おしまい』

「………」


 どうやら知らぬ間に周囲の状況を固められてしまっているらしい。モニターに浮かぶ法秤の硬い笑みを前に、散々に世話されたきた狩神の取り得る選択肢は言わずもがな一つしかなかった。


「…………泥を塗るなっつーてことですか」

『気持ちを汲んでくれたようでなによりだ』


 渋々と項垂れる狩神の言葉に、法秤は今度こそ微笑む。


『なあに、ちょっと羽休めしながら力を蓄えるようなもんさ。変に気負う必要はない』

「……そんじゃ、この件の真犯人追跡は神格省と警視庁に任せるってことでいいんすか」

『そう考えてもらって構わないよ』


 法秤の即答に、狩神はがくりと項垂れる。


 年度の節目で新人確保だか中途採用者の流入だかで人員補給の目途がついたのだろう。だから、巡り巡って狩神にこんな話が回ってきているのだ。万一の保険で受験しただけの高校入試を、まさか正面から活用することになろうとは。


「…………はぁ。なんか、疲れた。今日はもう帰ります。ここの座標送ったんで、伸びてるコレはそっちで適当に回収しといてください」

『お疲れさま。帰りは十分注意してね。自宅に戻るまでが仕事だよ』


 通信が終わり、親しみ慣れた閑寂が戻ってくる。

 まもなく二十二世紀へ突入する東京の夜。


 表通りの主要区画は世界に名だたる不夜を体現せんと騒がしいが、開発区画から外れた結果取り壊されもせずに数十年前の姿を纏った旧市街は街灯も虫の息だ。


「……神格じんかく解除」


 狩神の呟きと共に、大鎌おおがまが淡い光の粒子となって宵闇へ溶けていく。

 転がったまま気絶している獲物にはいよいよ目もくれず、狩神はその場を後にした。


「……さて、これからどうするかね」


 他愛たあいのない呟きは、誰に届くこともなく、表通りの喧噪けんそうに飲まれていく。

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