クロノスの神狩
辻野深由
序
「はぁ…………、はぁ…………っ、はぁ…………っ!」
満月の光が
ビル群の隙間を縫うように逃げ回る男が顔面を蒼白に、
「く、くそっ! なんで、こんな目に…………この、俺が………遭わなきゃ、なんねぇんだ…………っ!」
追われている理由は明白で、けれど誰にも漏れるはずのない秘匿事項だった。
互いに悪意を前提とした取引。なればこそ、相手が男のことを警察に漏らした可能性は万に一つもあり得ない。
どこから情報が
とにもかくにも、逃げおおせなければならない。
捕まれば、これまで行いすべてが
「はぁ…………、っ、……ま、撒いたかっ!?」
「逃亡劇は楽しかったか?」
ひぅ、と声が漏れた。喉が引き
無理もない生理反応だった。
黒ずくめの少年が、予兆すら感じさせずに、こうして眼前で
「ば、馬鹿な……っ!?」
男はたたらを踏みながら
いつ、どうやって現れた?
「て、てめぇ……何者だっ!?」
「……はぁ、またその質問かよ」
再三の
「何度も言っているだろう。俺は『
「…………っ」
事実だった。
隠し通すつもりでいたのが、反射的に逃げ出してしまったのが災いのはじまりだ。
だが。よくよく冷静になって
「……嘘を抜かせ。役所が
大原則として、未成年の就業は禁止されている。
ましてこんな深夜の東で法律に少し触れた程度の存在を追い詰めるなんてこと、十五歳そこらの餓鬼が仕事として担えるはずもない。
「あれだな。さてはお前、最近流行のオヤジ狩りってやつだろ」
「はンっ……馬鹿も休み休み言えよ」
根も葉もない言いがかりに、少年は顔を
「……禁止薬物の服用で頭おかしくなった犯罪者に
「てめぇがどこのどいつでどんな
男が叫ぶと同時。
右手の甲に刻まれた
次いでその腕を
全長二メートルはあろう一条の槍の矛先は、月光を受けて
「どうだいどうだいっ!? 俺様にかかればこんなもんよっ! 怖じ気づいたろっ!? いまだったら見逃してやってもいいんだぜぇ? 俺の神格はギリシャ神話でも特に偉大なそれだからなぁ! てめぇみたいな餓鬼が相手だと、手が滑って殺しちまうかもなぁ?」
気が強くなった男は凶器を少年に突きつけ、勝ち誇った顔で少年を睨み付ける。
(……こんな所で捕まるわけにはいかねぇ。いっそ死んだほうがマシってもんだぜ)
落ちこぼれた人生だったが、神話でも語られる神の力はこの身体にいまも健在だ。
上手く使いこなせれば三十路を越えたこれからの人生で華やかな道を歩んでいける。
そのために、少しだけ薬に頼っただけのこと。
それを、こんな餓鬼に違法と言われて引き下がれるわけもない。
人生の
「…………はっ」
――なんて。
大層立派な気構えを見せつけられて。
「…………は、はは、あははははははははははははははははははははははははははっ!」
少年は
「な、なにがおかしいっ!」
「いや、いやいや、すまない。
槍に向かいぴしりと指を差して、そう指摘する。
「だっ、だったらなんだ!?」
「気が大きくなって威張り散らしてるみたぇだけどなぁ……そんなん話にならねぇよ! なるわけがねぇだろ! ビビるわけねぇだろーがっ!!」
「っ!?」
「禁止薬物の服用と満月の加護を受けてすら三股にならねぇ時点で、あんたの神格発現率は三割を切ってる。本来そいつは
一息でそう言うと、
あろうことか少年は槍の射程圏内へと自ら踏み入っていく。
「拍子抜けする水神の槍を見る限り、あんたは水を支配下に置けない。そうだろ?」
「ぐっ……」
「つまり、そこらの中学生高校生のほうがよっっっぽど強いだろ! はははははっ!」
「……――ッ!! 言わせておけば、言いたい放題口にしやがって!!」
こうも
落ちこぼれの
一般人とは違うのだと。
そう信じ、
まさか、年端もいかない餓鬼に
「黙れ……」
餓鬼の戯言だと、聞き流すことなど到底できるはずがなくて。
「黙れ黙れ黙れぇっ!」
ガガガガガッ!! と、大型のドリルで
怒り狂った男が激昂に任せて
一突でも身体に命中すれば皮膚も筋肉も、どころか骨までも容易く
だが。
「まさか、それが本気なのか?」
「くそったれがっ!」
「おいおいおいおい、もっと本気でかかってこいよ!?」
少年は別段恐れる素振りも見せない。
素人の剣の修行に特別稽古をつける
「ほらほらどうした? 薬盛ってハイになってそれはねぇだろ、なぁ?」
「くそ、くそっ、くそくそくそがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
もはや常人の視力では残像を捉えることすら不可能な刺突の
眼前で展開される光景を上手く飲み込めない男の攻撃は更に
だが、いくら彼らが常人とは一線を画する運動能力を有していても、青天井なわけではない。
処理能力の限界を超えた肉体は悲鳴をあげ、次第に
肉体の稼働限界を超える猛攻はそう長くは続かない。
大前提として、無理と無茶を継続できる造りにはなっていないのだ。人間の身体は。
「が、はっ!?」
身体的負担が許容を超えた
「……はン」
アスファルトに飛び散った血反吐を革靴で踏みつけながら、少年は地べたに
「ヤク切れで自滅かい。路頭に迷うしかない
「……知らねぇ」
「シラを切るなら、こっちもやれることをやるまでだけどな――神格開放」
少年がぶっきらぼうに唱え、雑な素振りで手首を捻る。
昏倒間近の男と同じような所作で虚空から
「ふっ――」
その先端が、一切の
刃渡りだけで一メートルを超える大鎌が、音もなく身体を貫く。
「が――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
未だかつて味わったことのない壮絶な痛覚に、男が
「こいつは神格を削る特殊な作りでな。俺の意のままに、肉体でも、神格でも、精神でもなんでも削れるもんで、拷問には打って付けの便利な代物だ。死ぬことはないからいつまでも遊んでいられるぞ? この苦痛から解放されたけりゃ、さっさと吐いたほうがいいぜ?」
「だから知らないって言って――が、ああああっ!」
「そうか、まだ遊び足りなかったか」
「だ、だから本当に俺様は覚えてな――あっ、があああああああああああっ――!」
「そんなにおしゃべりしたくないかい。けど、残念だがいつまでも遊んでいられる余裕はないんだ」
「や、やめ、覚えないって何度言えば――いぎいいいいいいあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
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