22 茜色
蒸し暑い夜の街は、私たちを尚高揚させた。
コンビニまでの道のりを意味もなく走ったりして、二人でゲラゲラ笑った。
厳しく年齢確認をされない時代であったから、私たちは容易くアルコールとタバコを手に入れることが出来た。
つまみ代わりのスナック菓子と、缶チューハイ。
帰宅後、テーブルの上に全部並べると心が踊った。
大人みたい。違う、もう私たちは大人だ。
二人で飲みながらテレビを見て、他愛のない話をした。
酒が強いわけではないし、味もよくわからない。
酒を飲んでいるのだという雰囲気に私は酔っている。
きっとそれはユウキも同じだ。
アルコールの匂い。ジュースと変わらないチューハイのフルーツの香料にわずかに混じる。
そんなの吹き飛んでしまうようなタバコの煙。
苦くて体に悪い匂い。
ユウキ曰く、俳優仲間には喫煙者が多いらしい。
先輩は勿論、現場のスタッフの殆どが喫煙者で、子供の頃からタバコに対する抵抗はなかったと。
私が「それって女の人も?」と聞くと「半分くらいは吸ってた」と答えた。
暑くて喉が渇く。
面白いように酒は進み、頬は火照り、クラクラと目眩がする。
アルコールのおかげで饒舌になった私たちは、あれやこれや手当たり次第に話した。
「ユウキって、父さんが付けたんだ」
何がきっかけであったか、それとも唐突に言い出したのかわからないがユウキは言った。
「俺が産まれた日ってすげー夕焼けだったって。だからユウキ」
揺れる視界。ソファにだらりと体を預けユウキを眺めた。
夕焼け。ユウキ。綺麗。
「綺麗な名前」
私が言うとユウキは笑った。
「そう?」
「うん。目も綺麗」
ふわふわと、夢か現かわからない状態が続いている。
それでも何処か冷静に物事を考えている自分がいた。
酔いというのは不思議なものだ。
我を忘れて酔い潰れる人の中にも、こんな風に冷静さを捨てきれない自分がずっと存在しているのだろうか。
冷静さなど捨ててしまいたい。
どうやったら全て忘れてしまえるのだろう。
「目?」
ユウキも背もたれに体を放り出して、すっかり赤くなった顔をこちらに向けた。
「目。好き」
だらしなく笑うと、ユウキは目を見開いておどけてみせた。
ぐるぐるとその姿が回る。
私は大分酔っている。
記憶が曖昧になる。あれが夢でなければユウキに差し出されたタバコを一口だけ吸ってみた。
苦くて煙くて、大きく咳き込んだらユウキは声を上げ笑った。
いい匂いなのに、どうして美味しくないのだろう。
こんなに体が拒絶する味を、ユウキはどうして飲み込めるのだろう。
暑い。熱い。私はユウキにもたれ掛かった。
熱い熱いと言いながら、私たちは離れることをしなかった。
テーブルの上の携帯からバイブ音。
「メルマガしか来ないよ」と言ったら「じゃあ携帯いらないじゃん」と言われた。
そうか、いらないじゃないか。
朝、いや、正確には昼に目を覚ました。
頭が重い。体を動かすとこめかみの奥が痛む。
何がどうしたんだっけ。
記憶を辿ったがどれも不鮮明で断片的だった。
なんとなくベッドに横になった覚えはある。
隣にユウキは居ない。
体を起こして部屋を出ると、ソファに座ってタバコを吸いながらゲームをするユウキの姿がそこにはあった。
ユウキが居たことに安堵した。
テーブルの上には灰皿変わりの空き缶。ユウキが今まさに飲んでいるビール。タバコの箱。
そして真っ二つに折れて配線の飛び出た私の携帯。
昨晩のことを思い出した。
「いらないから、壊していいよ」
私はそう口走って、ユウキがふざけて折り曲げる真似をして、それで二人で反対側に折ってみようなんて言いながら壊したんだった。
どうせ私と外を辛うじて繋ぐだけの存在。
戻らないなら壊せばいいじゃないか。
悪いことをした方が楽しいから。
バカバカしくて思い出し笑いをしそうになった。
ユウキは私より先に起きて昨晩の残りの酒を飲んでいたらしい。
私もユウキを真似ることにした。
手を付けていなかったチューハイを開けてダラダラと飲みながらタバコの煙を浴びていた。
湿気たスナック菓子を食べて、部屋から出て来たユウキの母に気づかなかったフリをして、テーブルの上の携帯の残骸を手に取ってユウキと笑った。
ユウキの母は何も言わず、換気扇のスイッチを入れてバタンと大きく音をたててドアを閉めた。
不快だろう。
私たちは悪いことをしているのだから。
まるでこんな部屋にいられないとでも言いたげに、バタバタと身支度をしてユウキの母は家を出て行った。
ユウキは「うぜぇ」と呟いた。
確かな怒りと軽蔑を孕んだ低い声は、昨日の電話の様子よりもずっと恐ろしいものだった。
携帯という逃げ場をなくした私はどうしようもなく暇になる。
家事をする気にもなれなくて、ただユウキに抱き着いたり、膝の上に頭を預けて寝転がった。
ユウキは時折私の髪を撫で、キスをした。
タバコとビールの味。焦燥感に駆られる。
酔はゆっくりと回って、感覚ばかりが鈍くなってゆく。
私たちを満たすためにはもっと悪いことをしないといけない。
「お腹空いたね」とか「どうしようか」とか無意味なやり取りを繰り返しているうちに、ユウキはまた私を抱いた。
いつもより高い体温と、じゃれ合うような戯れ。
「ねぇ、ダメだよ、妊娠」
「いいよ」
妊娠したら、と言いかけたところを遮ってユウキは言った。
薄く笑って私を見下ろしている。
長い睫毛、綺麗な瞳。
予想外の言葉に私は言葉を失った。ユウキは困惑する私を誘うように言う。
「いいよ、それでも、ね?」
あれやこれやと考えることが煩わしくてたまらなかった。
ユウキがいいと言っているんだから、それでいいや。
このまま高校を辞めて、その後結婚しちゃえばいいじゃないか。それでいい。それがいいよ。
私は「うん」と返事をした。
シャワーを浴びて少しだけ酔を醒ましたけれど、それじゃ何一つ解決にはつながらなかった。
酒とタバコを買いに行こうとユウキに誘われ、私たちは怠い体を引き摺って外に出た。
エントランスから一歩踏み出すと、外は見事な夕暮れに染まっていた。
眩しい橙に目を細める。
化粧どころか髪を乾かすこともしないで、ユウキのTシャツと部屋着のジャージ姿で出歩くことにいつの間にか違和感を覚えなくなった。
焼けるような夕陽は私たちの身を焦がす。
暑さに包まれた街。ビルやガラスに反射するオレンジ。
木々も車もユウキも私も黄金色に染まった。
景色に圧倒されて私はユウキの手を捕まえた。
暑いだろうに、ユウキは何も言わず指を絡め握り返した。
ユウキ。夕焼けが綺麗な日に産まれたんだっけ。
こんな日に産まれたのかな。
私は歩きながら昨日の会話を思い出していた。
太陽はやがて夜に塗り潰される。
最後の悪あがきのような、強い灯火。
夕焼けの中の街並みは私と同じくらい無力で、ちっぽけに思えた。
狭くて箱庭みたいな街。
「あのさ」
ユウキが口を開いた。
「なに?」
「俺……」
ユウキは照れ笑いを浮かべながら、途方も無い話をし始めた。
馬鹿馬鹿しくて、現実味がなくて、でもどうしようもなく愛おしい話を。
私は茶化すことなくそれを聞いた。
ちっぽけで無力な私たちの、とてつもない話。
今度は私はくすくす小さく笑って、さっきのユウキがしたのと同じくらい馬鹿馬鹿しくて現実味がない話をしてみせた。
「じゃあ私は……」
一瞬だけ顔を見合わせ、私たちはうんと互いに頷いた。
それはこの時、二人の間で交わされたくだらない約束である。
幼い子どものように二人だけの秘密にしようと決めたのだから、約束の内容はここにも書けない。
今更律儀に守るのもどうかと思うが、私はいつまでもこの約束を守る気でいる。
瞼の裏に焼き付く夕焼けと、眩しい笑顔のユウキと、そして東京という箱庭。
私はその一瞬の景色を、生涯忘れないだろう。
手を繋いで酒とタバコを買って、夜に飲み込まれてゆく道を私とユウキはまた戻った。
胸の中には産まれたばかりの約束を抱えて。
THE YELLOW MONKEYの楽園みたいと私が言うと、THE HIGH-LOWSのサンダーロードかもしれないとユウキは言った。
出会った時のように私とユウキは音楽についてしばし語らい、時に口ずさみ、あの部屋に帰った。
ユウキはエアコンを強め、買ってきたばかりのチューハイを開けた。
昼まで寝て、肌を重ね、ロックを聞いて酒を飲みタバコを吸って、映画に泣いてドラマで笑って、好きなものだけ食べて、また肌を重ねて中に出して、そんな享楽的な日々の一コマに過ぎない。
それは永遠に続くようでもあったし、一秒先には崩れ落ちるような気もしていた。
私は、ユウキは、何をしたいのだろう。
ここは何処で、何のために生きているのだろう。
二人で生きていたいのに、生きていくには悲しすぎた。
核心には触れない代わりに何度も何度も私とユウキは噛み付くようなキスをする。
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