13 夢

ユウキの母は明日も早いらしい。

会議だか勉強会だか、とにかく集まりがあって朝早くに家を出ると。

リビングとキッチンをドア一枚隔てた向こうがユウキの母の部屋だったから、いつまでもリビングで騒がしくしていたら迷惑になるだろうということで、私たちはユウキの部屋に引っ込んだ。


ユウキの部屋は壁にバンドのポスター、Tシャツ、ダーツボードなどが飾られていた。

大きな本棚に入り切らない漫画や本が乱雑に積み上げられ、簡素なデザインの机の上にはCDやMD、何やらプリントが散乱してはいるものの、床はそれなりに片付いている。

「ごちゃごちゃでごめん」とユウキは申し訳なさそうに言ったが、予想の範囲内であったし、むしろよく片付いている方だと思った。


話を聞く限りユウキは掃除が苦手で、見兼ねた母親がユウキの留守中に片付けてくれるらしい。

新しい白いコンポ、ベッド、スチールラック。

私の部屋とは違う、普通の十代の部屋。


ユウキの部屋に入った時点で午前4時を過ぎており、グレーのカーテンの向こうで明るくなり始めた外の光が透けて見えた。


夏の朝は早い。

2時過ぎまで寝ていた私たちの目は冴えている。

特に何をするでもなく、各々が携帯を見たり、漫画を手に取って読んだり、思い出したように話を振ってそこから話し込んだりもした。


夏休みの話題になって、東北の場合夏休みの終わりは8月31日までではないと言うとユウキは驚いていた。


「そんなに短いの?すぐ終わっちゃうじゃん」


「その代わり冬休みが長いんだよ、夏休みと同じくらい」


東京の冬休みは短いと聞いた事があった。私からすれば、それこそそんなに短いだなんてと思ってしまう。


ユウキは「夏休み、楽しかったなぁ」とぽつりと呟いた。

その目があまりにも淋しかったから、私は何も言えなかった。


ユウキは本来なら今頃高校最後の夏休みを過ごしているはずだったのだ。

私も学校を辞めたいと思ったことは何度もあったし、程度の低い高校故に辞めて行った同級生も少なくなかった。

もし私が学校を辞めたら、こんな風に淋しい目をして学校生活を振り返ったりするだろうか。

ユウキはどんな気持ちで学校を去ったのだろう。

この時も、そして今も私にはわからないままだ。


外の光は一層眩しくなり、この街は朝を迎えた。



ドアの向こうでシンクを使う音が聞こえる。

ユウキの母が起きてきて料理をしているのだろう。

せめて出掛ける前に挨拶をしておきたいとユウキに伝えると、ユウキは難色を示した。

なんだかユウキもユウキの母も、互いに関わりあいたくないように見えた。

それでも挨拶くらいはしなければ、と私は部屋を出た。


ユウキの母は昨晩見た時よりもしっかりとメイクをしていた。

肌は年相応といった感じではあるが、はっきりとした目鼻立ちは美人のそれであったし、若い頃は相当な美人だったのだろう。

シャープな印象はユウキによく似ている。


「おはよう御座います」


私が声をかけるとユウキの母は水筒と弁当箱を大きなトートバッグにしまいながら言った。


「おはよう」


穏やかな声色だった。

「あの、急にお邪魔してすみませんでした。お世話になりました」


ユウキの母は顔を上げ、少し微笑んだ。


「こちらこそ何もお構いできなくてねぇ……レイネちゃん、だっけ?ユウキのカノジョ?」


私は慌てて首を横に振った。


「あら、違うの?ユウキが初めてカノジョを連れてきたと思ったのに」


ユウキの母は困惑する私をよそに淡々と言ってのけた。

私は圧倒されるばかりで、どうにか顔に貼り付けた愛想笑いを浮かべて立っていることしかできなかった。


「まあいいわ、ユウキのこと、これからもよろしくね」


ユウキの母はそう言ってバッグを肩にかけ、颯爽と部屋を出て行った。

気が強そうではあったが、悪い人には見えない。

看護師という仕事がしっくり来るような、そんな人だった。


玄関ドアが閉まり鍵をかける音が聞こえてくると、ようやくユウキが部屋から出て来た。

「……終わった?」


ソファに座ったユウキはぶっきらぼうに言った。 


「うん、一応」


ユウキはため息をついた。

離婚してから母は変わってしまったのだとユウキは言っていたが、それはユウキも同じなんじゃないかと思った。

ユウキの母の放任主義のような振る舞いは私からすれば天国のように感じるが、ユウキはそうでもないらしい。

いざ私の母がそうなったら。

私はきっとこれ幸いと自由を謳歌するだろうに。


「ユウキはお母さんと話したりしないの?」


私もソファに腰掛けた。

「話?……最近してない」


ユウキの話では、両親が離婚する前まではそれなりに会話があったのだが、離婚に伴って退学、そしてここに引っ越して来てからというもの、会話らしい会話もなくなったのだそうだ。

ユウキの母は仕事が忙しくなったし、ユウキも最初こそレッスンやオーディション、事務所と打合せなど忙しく過ごすうちに生活がすれ違っていったようだ。


「別に親と話すこともないし」と吐き捨てたユウキはいじけて拗ねる子供のようだった。


「仕事して、支えなきゃって、そう思ってたんだけどなぁ」


「……芸能人って、やっぱり大変?」


「うーん……ガキの頃は学校行きながらだったからさ、結構めんどくさかった」


ユウキの芸歴は一歳のキッズモデルから始まって、そのまま劇団に入って子役になり、舞台、CM、再現ドラマ、カタログのモデル、映画やドラマのチョイ役……中学で学業に専念するまで順調に続いていた。

中学卒業以降、また活動を再開し深夜帯のドラマに少し出てみたり、まさにこれからという俳優である。

しかしこの頃はオーディションにも熱が入らないし、事務所のレッスンに通ってはいるものの、殆ど仕事はしていなかった。


あんなに熱っぽくドラマや映画、俳優について語っていたというのに。

この綺麗な顔立ちと憂いを秘めた表情のユウキの芝居を想像して、情緒的な邦画によく合っているじゃないか、とまるで評論家にでもなった気分で私は考えた。


「一週間くらい休むことが普通で、久しぶりに学校行くじゃん?そしたら休んでる間に席替えされてて、全然仲良くない子の隣になってんの。ショックだった」


ユウキは面白おかしく当時の話をしてくれた。

私の知らない生活の話は魅力的でもあったし、また、過酷でもあった。

勉強に追付けない、友達からからかわれる、撮影終わりに寝不足でドリルを解いた、現場の怖い大人、待ち時間、しきたり……。

華やかな世界の裏側は私が考えるよりもずっと大変そうだ。

「最初母さんが応募して、気付いたらこうなってた。でもまぁ……最近は何にも言わないしさ。ガキの頃撮影に行きたくないって泣いた時、鬼みたいな顔して引きずってったくせにな」


ユウキは悩んでいた。

これから仕事を続けていくのか?続けるにしても表舞台に立ってやっていくのか?別の道を歩むべきか?

ユウキの母は何を考えてあんな態度なのだろう。

彼女もまた何か悩んでいるのだろうか。

私が安易に口出しできそうにない。

ただ、ユウキの演技をこの目で観てみたかったし、裏側の話を聞いたからそんなに辛いなら辞めてもいいんじゃないかとも思った。


「レイネは?将来なりたいものとかある?」


ユウキの問いに私は動揺した。

将来なりたいものってなんだろう。


「……とりあえず就職できればって感じ、かな」


職種なんてどうでもよくて、とにかく自分で稼いであの家、あの土地を離れられるなら何でも良かった。

そうか、ユウキもナナミも、マリナもジュンも、ヨウスケもみんな、自分の将来の夢を叶えようとしているんだ。

当たり前のことにようやく気づき、私と彼らの世界の差を思い知った。

「そっか、すげーしっかりしてるじゃん」


「全然。成績よくないし」


「とか言って超いいパターンでしょ」


「ほんとほんと、テキトーにしすぎてバイト辞めさせられたもん」


そこから話は私の成績、バイトに移った。

高校受験の直後に親が離婚して、集合団地に引っ越して、高校入学とほぼ同時期に地元のスーパーでバイトを始めてユカさんと出会って……。

ユカさんに色んな場所に連れて行ってもらって、どんどん学業は疎かになっていって、進級とともに学校からバイトを辞めるよう言われ。


そもそも中学二年生の時に母の地元に引っ越して来たもんだから、周りに上手く馴染めないまま中学を卒業した。

引っ越して来た時に何もない田舎に絶望して、勉強も夢もどうでもよくなってしまったし、進学は金銭的に難しいだろうし、高校を卒業するまでせめて楽しく遊んでいたいという気持ちしかなかった。

「レイネ全然訛ってないからさ、最初東北から来たってウソかと思った」


「えー?超訛ってるのはおじいちゃんとおばあちゃんだけだから。若い子はイントネーションが違う感じ」


まあ細かい言い回しや語尾にも方言が溶け込んでいるのも事実である。

転校先の中学で浮かないようにクラスメートの話し方を必死で覚えた。

私には方言のない言葉が染み付いていたから、方言抜きで話しているほうが自然だった。


そうこうしているうちにどちらともなく「お腹が空いた」と言い始め、私たちはまたコンビニに繰り出すことにした。

その前にシャワーを浴びたいとユウキが言った。

私もそろそろ化粧を一度落としたかった。

でもいきなりすっぴんを見せるのはどうなんだろう。

恥ずかしくて仕方がない。

せめてお風呂上がりにアイプチだけしてしまおう。


「じゃあお先」


風呂場に向かうユウキの背中を見送った。

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