8 狂乱
ユカさんは動揺し、うっすら涙を浮かべてお兄さんと電話している。
リビングでは叔父さんがどこかに電話をしているし、叔母さんがナナミを起こして来て説得していた。
「ああ、病院に……病院から移さなきゃならないから」
「ばあちゃん元気だったのに、行けばよかったよ、信じらんないよ」
「ナナ、あなたのおばあちゃんなんだから行かないと……」
「イヤ、ナナ行きたくない。オーディション近いんだけど?どうすんの?」
一気に騒がしく険悪な空気が流れる中、先程吠え立てたためにナナミにティッシュボックスを投げつけられた犬は怯えて縮こまっていた。
私もソファに座り小さくなってキョロキョロ辺りを見渡していた。
ユカさんの携帯にお兄さんから「北海道のばあちゃんが死んだ、早く帰ってきて」とメールが届いたのと同じ頃、叔父さんにもユカさんのお母さんから連絡が入ったらしい。
そういえば実家が北海道にあるとユカさんが言っていたっけ。
オロオロと狼狽えて「ばあちゃんまだ70代だったんだよ、なんで急に」と目をうるませて言うユカさんに、私はかける言葉が見当たらなかった。
叔父さんはユカさんの祖母が運び込まれた病院や、ユカさんのお母さん、会社、それから他の親族に、携帯とイエデンとを交互に使って連絡している。
叔母さんは叔父さんの様子を伺いながらナナミに祖母が失くなったこと、これから北海道に行くことを告げた。
ナナミは最初起こされたことに文句を言い、それから北海道には行きたくないと駄々をこねた。
どこか現実味がないその景色を私は黙って眺めていた。
「ナナちゃんごめんね、でもお葬式には行かないと」
叔母さんは助けを求めるように叔父さんの方を見た。
叔父さんはちょうど電話を切って腰に手を当て、ため息をついたところであった。
「どうせ行ってもやることないじゃん、つまんないし、今日行かなくてもよくない?」
とうとう廊下に出たユカさんのすすり泣く声が聞こえて来た。
「……ナナ、行かないと。ママとナナは早めに帰ってもいいから」
「やだ。ナナ絶対行かない。行くならママとパパだけで行って」
「ナナちゃん、お願いだから言うこと聞いて?ね?」
「ほら、あのー、ナナ欲しがってた財布、買ってあげよう。だから行こう?」
叔父さんと叔母さんは必死でナナミのご機嫌取りをしている。
とても高校生の我が子にするものとは思えないくらい、懸命に、大の大人が二人がかりで。
身内が亡くなったというのにこの有様で、私は困惑し、戸惑い怒りすら覚えた。
何やってるんだろう、強く言って、引きずってでも連れて行けばいいじゃないか。
「ナナが欲しいの財布じゃなくてバッグだし。しかもオーディションがんばったご褒美って言ってたじゃん」
イライラした。
おどおど様子を伺う叔母さん、じゃあ違うのも買ってあげようと言う叔父さん、二人を見下すようにふんぞり返るナナミ。
ユカさんがここにいたら大変なことになるだろう。
幸いなことにユカさんはまだ廊下で泣きながら誰かとまだ電話している。
犬はさっき怒られたことも忘れたのか、またキャンキャン吠えながら叔父さんに近寄って行く。
「……ねぇリボンどうすんの?置いてくの?」
ナナミが低い声でつぶやいた。
「リボンは……そうだな、どこかに預けないと……」
キャンキャン吠える犬を見て叔父さんは口ごもった。
「ナナがお世話すればいいんじゃない?東京に残ってお世話する!ね、いいでしょ?」
でも、と叔父さんが言いかけたが叔母さんが首を横に振ってそれを咎めた。
ついに諦めたらしい。
「ナナ、ちゃんと世話できるね?朝起きて、ご飯準備しないといけないよ?」
「そうよ、ナナちゃん。ナナちゃんのご飯も自分で用意するのよ?平気?」
「平気だから。ナナ高校生だし、ご飯くらいなんとかできるって。あ、ごはん代置いてってね」
叔父さんと叔母さんはため息をついて、お互い顔を見合わせた。
そして困った子だなと言わんばかりに笑った。
狂気を感じて私は三人を呆然と見つめていた。
同じ言葉を話し、同じ日本に住んでいるというのにここまで常識が違うだなんて。
悪い夢を見ているようだった。
「ねーねー、レーネちゃんは?」
ナナミに話を振られてハッとした。
そうだ、私は?私はどうなるんだろう。
通話を終えたユカさんがよろよろとリビングに戻ってきた。
マスカラは涙でにじみ、目は真っ赤だ。
「……お母さんと、カズも、北海道行くって」
「ああ、ユカはおじちゃんが連れて行くってさっき話したよ」
「おじちゃんありがとう……レイネちゃん、どうしよっか?新幹線で帰る?」
「あの、どうしたらいいですかね」
私はユカさんに従うしかなかった。
叔父さんたちはこれから一先ず飛行機か新幹線か、チケットを確保できる方で北海道を目指すという。
如何せん北海道には亡くなった祖母の他は縁遠い親戚や、年を取った祖母の兄一家しかいないとかで、実子である叔父さんかユカさんの母が早急に駆けつけなければならないらしい。
バスの時間までまだしばらくあるが残っているわけにも行かず東北行きの新幹線のチケットを取って早めに帰ることを提案された。
新幹線代は叔父さんが出すというので、その提案に乗る方向で話はまとまっていった。
が、ナナミが口を挟んだ。
「レーネちゃんかわいそ」
ユカはギロリとナナミを睨みつけ、叔父さんは面食らったように頭を掻いた。
「だってさー、こっちの都合で急に帰るとか嫌じゃない?」
私自身は全くそんな気はなく、むしろユカさんがあれほど取り乱したのを初めて見たから心が傷んで仕方なかったし、この時期に飛行機のチケットが取れるかどうかもわからないことへの焦りを感じ取っていた。
私が「いえ、そんなことないです」と首を横に振ると、ナナミは「レーネちゃん遠慮しなくていいから、ほら、優しいから空気読んでるんだよ?超かわいそう」と煽った。
ユカさんが今にも泣きそうな顔で私を見た。
ナナミが余計なことを言ったせいだ。
私は怒りを露わに「そんなことないって」とナナミに言った。
「えー?ナナだったら絶対やだなぁ、マジがっかりするよね」
変なことを言ってくれるな。
私が何か言い返してやろうと口を開けた瞬間ナナミは「あ、そうだ!」と続けた。
「バスの時間までうちにいれば?ナナといればよくない?」
はぁ?と思わず声が出た。
「ナナミ、あんたさ……」
そう言って怒りと悲しみに震えるユカさんの頬に涙が伝う。
叔母さんはユカさんの体を支え、背中をさすりだす。
「……ママ、ちょっとユカを……」
叔父さんが目配せをして、叔母さんがユカさんを座らせた。
そして叔父さんは私とナナミについてくるよう促した。
ユカさんが心配であったが、私は大人しく廊下に出た。
ナナミは何故か上機嫌で叔父さんに従った。
廊下に出ると叔父さんはため息をついた。
「レイネちゃん、申し訳ないね。昨日から色々と巻き込んでしまった」
確かに東京に来てから私はずっとこの家のことに巻き込まれ続けていた。
今更である。
「いえ、こちらこそお世話になりっぱなしで、すみません」
ナナミのように駄々をこねたって仕方がないのだ。
私は反射的に謝って頭を下げた。
「で?どうすんの?ナナ眠いんだけど」
「ナナ、本当にレイネちゃんのバスの時間まで一緒にいてくれるんだね?」
「うん。一緒にいるってば」
「本当だね?」
「パパしつこいんだけど」
叔父さんはごめんごめんとヘラヘラしながら謝った。
そして「部屋に戻ってなさい、後でごはん代渡すよ」と言った。
ナナミは何も言わず、あくびをしながら自分の部屋へと戻っていった。
取り残された私はというと、叔父さんの反応を待つしかなかった。
叔父さんは申し訳なさそうに小さな声で言った。
「ごめんねぇ、バスの時間が来たら、ほら、これでタクシーに乗っていけばいいから、ね?」
叔父さんはポケットから財布を取り出して、昨日ユカさんに渡したのと同じように私に一万円を差しだした。
何だか急に恐ろしくなって、私は「そんな……」と後ずさった。
昨日貰った分は結局罪悪感のせいか手をつけなかったから、まだ財布に入っている。
叔父さんはズイと身を乗り出して私に万札を近づけた。
「いいから、いいから、貰って」と薄く笑みを浮かべた叔父さんと押し問答をして、ついに腕を掴まれて無理やり万札を握らされた。
この家は、おかしい。
はっきりそう思った。
「じゃあ、ナナミをよろしく、このことはくれぐれもユカには内緒で」
叔父さんはそう言ってリビングに戻った。
昨日のナナミとまるで同じだ。
子供が子供なら親も親である。
ここから早く帰りたい。私は一旦客間に戻って、財布に一万円札をしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます