5 ユウキ
私が知っているカラオケよりもずっと立派で綺麗な部屋。
明かりを落とし薄暗いこの部屋の大きく柔らかなソファに座る面々を順に見回した。
窓側のソファに座り、この場にいる誰よりも背が高く濃い顔立ち、茶髪に金メッシュを入れシルバーアクセサリーをぶら下げた男がジュン。
若手の俳優らしい。
歌が上手く、とにかく騒がしい。
タンバリンを片手に盛り上がっている。
その横で今マイクを握りはしゃいでいるのがマリナ。ナナミの友達だ。
背が小さく、童顔。子供の頃からイメージビデオを出しており、その界隈ではちょっと有名なグラビアアイドルだそうだ。
キンキン声で流行りの曲を歌う様子は、年齢よりずっと子供のようにも見えるし、わざとらしくてうんざりもする。
その隣がナナミ。
時折マリナの歌声にケラケラ笑ってみせては、上目遣いをして隣のヨウスケの方を振り返る。
犬を足蹴にして叔母さんをかしずかせていたとは思えないほど柔順で素直な、可憐な少女を装おっていた。
ヨウスケはそんなナナミの態度を見抜いているのかいないのか、黒いキャップを被ったまま余裕たっぷりといった様子で脚を組みナナミの相手をしている。
茶色い髪から覗いた耳にはたくさんのピアスがついている。
女顔で、華奢な見た目とはちぐはぐに見えた。
そしてその隣。
今私の隣に座っているのがユウキ。
一瞬だけ、目線を動かし隣を見やる。
興味なさそうにぼんやりと、画面に流れる歌詞を見つめるその表情は脳裏に痛いほど焼き付く。
バレないうちにすぐ目をそらした。
透き通るような肌。
真っ直ぐ、細く通った鼻筋。切れ長ではっきりとした二重。
シャープなフェイスラインはまるで芸術のよう。
黒い艷やかな髪。
同年代とは思えない落ち着いた雰囲気。
私はユウキを一目見て、この場にいることがたまらなく恥ずかしくなった。
こんなに綺麗な顔の人がいて、しかも私の隣に実在していて、それが合コンの人数合わせとして私を宛てがわれてしまったのだ。
私の茶色い髪だって、買ったばかりの背伸びした服だって、取ってつけた化粧だってこの人の前じゃなんの意味もない。
惨めさと申し訳なさで消えてしまいたくなる。
ユウキは綺麗だった。私の出会った人の中で一番。
ロビーでナナミが電話をすると私とナナミより一足早く他のメンバーと合流していたマリナが、私たちを迎えに来た。
いよいよもう引き返せなくなった私は、覚悟を決め、二人に続きドアを潜った。
白く大きなソファ。そこに座る三人の男。知らない顔。
その中の一人、ユウキを見て私は心臓が止まるかと思った。
ナナミは「隣いいですかぁ?」なんて甘えた声を出して我先にヨウスケの隣に座った。
マリナは当然のようにジュンの隣に座った。
見上げたユウキの顔を見て、私はもう頭が真っ白になっていた。
おずおずと端に座り「どうも」と会釈するとユウキも軽く会釈した。
自己紹介しようと切り出したジュンが手を上げてふざけた調子で言った。
「カンダジュンです!19歳!アルゼンチンのクォーターです!俳優とモデルやってます!好きな食べ物は和食です!」
皆はゲラゲラ笑った。
私も控えめに、笑う真似をしておいた。
それぞれが順次自己紹介を続けた。
「エノサキマリナでーす!17歳!145cmです!」
「はーい。ヨシノナナミです。16歳でぇ……あはは、何言えばいいかわかんない」
「あ、俺ね。シロサキヨウスケ、18歳ー。実は明日朝から撮影ね」
「……ワタナベユウキっす。18歳。俺は明日は何もないです」
ワタナベユウキ。
「俺も明日は暇でーす」とジュンが続け、やはり皆笑った。
次は私だ。
「イザキレイネです。16歳です」
軽く会釈をするとナナミが「この子、イトコの後輩なの、東北の……どこだっけ?田舎から来てるんだよね」と付け足した。
「へー、遊びに来たんだー?」
ジュンはそう言ってしげしげと私を見ている。
マリナが大袈裟にジュンの手を引いて「ねぇみんな何飲む?」と話題を変えた。
私は自己紹介を終えたことにほっとして胸を撫で下ろした。
マリナが内線で注文をし、ジュンが歌い始めた。
当然のように皆アルコールを頼むから、私もナナミやマリナと同じカシスオレンジを頼んだ。
別に初めて飲むわけじゃなかったし、地元の友達ともこうやって酒を頼むことだってあったから抵抗はなかった。
何を歌おうとデンモクを眺めてヒソヒソ話すナナミとヨウスケ、ジュンの歌、ケラケラ笑っているマリナ。
そんなことはどうでも良い。
隣のユウキの心情を考えると胸が痛くて仕方がない。
ハズレを引いたと思っているだろう。どう見ても私は場違いだ。
マリナのような幼くて愛嬌のある顔立ちに、タンクトップ越しにもはっきりわかる大きな胸があるわけでもないし、ナナミのように大きな目と小さな顔、細く長い手足があるわけでもない。
私はごく普通の田舎者でしかない。
開き直ることすら許されない。
ただただ大人しく、小さくなって時間が過ぎ去るのを待つのみだ。
ユウキは時々ジュンに茶々を入れてみたり、ヨウスケに話しかけられて相槌を打っていたが、私にもマリナにもナナミにも積極的に話しかけることはなかった。
怒っているのか、呆れているのか、私の存在ごとなかったことにしているのか。
ネガティブな感情が渦巻くが、ヘラヘラと愛想笑いだけはタイミングを見計らって浮かべておいた。
そうこうしている間に注文していたドリンクが届き、皆で乾杯をした。
ジュンの掛け声で一斉に乾杯をして、皆隣にいる者同士でまた乾杯をする。
私は一瞬躊躇ってユウキの様子を伺った。
ユウキはこちらを振り返り、遠慮がちに「乾杯」と私の方にグラスを近づけた。
私も慌ててグラスを差し出し、カチッと弱々しくグラスが鳴った。
マリナが歌い終えて、カラオケの画面からアーティストのインタビューとメッセージが流れている。
もう充分に田舎では(むしろ私の人生では)味わえないようなことを体験したではないか。
帰りたい。
「レイネちゃんも歌いなよ」とジュンに言われたが、道化役になる気も失せて「私聴いてるほうが好きで」と断った。
すっかり持て余したカシスオレンジ。一口飲むと喉が熱くなった。
これが付き合い合コン。大人はこうやってつまらない時間を過ごすことが多々あるのだろう。
私は一つ大人になったんだ。
隣で静かに座るユウキの方へデンモクが渡された。
ユウキは「いいから」と断っていたが押し切られ「仕方ねぇな」と軽い口振りで言いながら曲を選び始めた。
ジュンが「ユウキくん歌うよー!」と声を上げ、間髪入れずマリナが「聞きたーい」と煽る。
「まぁまぁ待てって」
戯けるユウキは、少し得意気に曲を入れた。
画面の方を見上げると、ブルーハーツのTRAIN-TRAINと表示されている。
古い歌ではあったが、若者でも知っている名曲である。
ジュンとマリナは盛り上がり、ナナミとヨウスケも思い出したように拍手して笑っている。
私も合わせて拍手した。
歌はお世辞にも上手いとは言えなかったが、しっかりと歌い上げ、また大いに盛り上がった。
ブルーハーツ、父親が車の中でかけていたっけ。
無理して流行りの歌を聴いていることもあったが、ブルーハーツ、Xジャパン、BOOWY、ミッシェルガンエレファント、THE YELLOW MONKEY……あと洋楽もよく聴いていた。
私も父から影響を受け、その辺りは自ら聴くこともあった。
父と母が離婚してからはどうにも手が伸びず、さっき久しぶりに耳にしたのだが。
私は途端に懐かしさでいっぱいになった。
アルコールが回ったせいか、この空気に飲まれたせいか、それとも故郷から遠く離れたこの場所で思いがけず出会った父の面影に興奮していたのかはわならない。
おそらくその全部だろう。
歌い終え、マイクを置くユウキを見ていたらいてもたってもいられなくなって、私は初めて声をかけた。
「あの、ブルーハーツ、好きなんですか?」
口に出した傍から後悔した。
ユウキはブルーハーツの熱狂的なファンというわけでもなく、単に有名な曲だから歌っただけかも知れないじゃない。
今まで黙っていた女が急にしゃしゃり出てきたら、気味悪い上に空気をぶち壊してしまうだろう。
私の問いにユウキは少しびっくりしてこちらを振り返ったが「うん、まぁ」とだけ答えた。
やっぱり、変なタイミングで話しかけなければよかった。
「レイネちゃんブルーハーツ好きなの?」
ヨウスケがナナミのお喋りを遮って、少し大きな声で私に言った。
今度は私が驚いた。
ヨウスケの隣で睨みつけるようにこちらを見るナナミが怖くて、ただ頷いた。
「へー渋いねぇ」
ジュンが合いの手を入れる。
マリナがナナミと顔を見合わせた。
「ユウキも好きだよなぁ」
まるでユウキを試すように、口元に笑みを含んでヨウスケが言った。
そんなつもりじゃなかったのに。
この人たちは私と、それから暇を持て余し気味のユウキをからかおうとしている。
やめてくれ。いたたまれなくなってテーブルの上のカシスオレンジだけを見つめた。
「あぁ、なんだよ悪いかよ」
ユウキは笑ってそう答えた。
「こいつロック馬鹿でさぁ」
ジュンがヘラヘラと話し出す。
「パンクロックパンクロックってうるさいんだよ」と続けると、ユウキは楽しそうに「うるせーな」と声を上げた。
「もしかしてレイネちゃんも?」
ジュンの言葉は、道化になれ、空気を読めと言っているように感じた。
そんなつもりがなくても、その時の私にはそう聞こえたのだ。
「あはは、パンクロック好きです」
期待して砕け散る哀れな田舎者になれ。
道化になって、この場が治まればそれでいい。
私の役割は最初からこうと決まっているだろう。
そうしてユウキが勘弁してくれといったリアクションを取ってくれたなら、可哀想なユウキ、たった独りの場違いのせいでと皆がそう思ったのなら、それでいい。
「マジで?どんなの聴くの?」
しかし私の願望とは裏腹に、隣のユウキが私に質問を投げかけた。
予想外の反応に戸惑った。
「多いのは洋楽とか、です」
「洋楽かー、じゃあニルヴァーナは?」
ユウキの切れ長で大きな瞳はしっかり私の方を向いてある。
緊張して私の視線は少し泳ぐ。
ニルヴァーナの名前が出たことが嬉しくて、自分に架した役目を忘れうんうん頷いた。
「好きです、好き。ニルヴァーナ」
私の反応を見て嘘を言っていないのがわかったのだろう、ユウキの表情はパーッと明るくなり、目を細め嬉しそうに笑った。
あどけなさの残る笑顔。美しく、冷たく、静かな印象を与える顔立ちからは想像できないほどの破顔。
見ている私まで笑顔になってしまう。
「俺も!」
それからやれどの曲がいいとか、あのアルバムがどうだとか、他にもピストルズ、エアロスミス、クイーン、プリンス、パティスミス……様々なロック歌手の話をした。
ユウキがあれはどう?と試すようにアーティストの名前を出すのだが、私はちゃんと答えてみせた。
その度にユウキは関心し、そして顔をほころばせる。
私は勝手にシンパシーを感じていた。
心の底にはハズレを引いたユウキに対する申し訳なさは残っていたが、少しでも退屈しのぎになれたのではないかと自惚れてもいた。
ここに来てようやく感じ始めた安堵と、アルコールが手伝って気分は高揚していく。
ナナミたちは呆れたように、また、好気の目で見ることを隠そうとせず、苦笑いすら浮かべた。
声のトーンは控えめであったとはいえ、他の四人からすれば興味のない会話で意気投合している私とユウキは宇宙人のように映ったに違いない。
マリナとナナミが歌い始めた。
適当な拍手を送りつつ先程より少しだけ声を大きくして、ユウキと私は今更、改めて身の上話をしていた。
きっかけはなんだったか。確か、女子で昔の洋楽を聴くのは珍しいという流れだったように思う。
「お父さんがよく聴いてたんで。もう別れちゃったんですけどね」
「あー、俺も、別れた親父が聴いてたな」
ユウキもまた、片親であった。
家族構成について、わざと明るい声で言う癖がついたのはいつからだったか。
腫れ物のように扱われることも、同情的な目で見られるのも、見当違いな慰めにもうんざりしていた。
私は早く別れてしまえばいいのにと思っていたのだから、寂しくもなければ可哀想でもない。
こちらからさらりと、明るい調子で言えば向こうもそれ以上どうこう言ってくることもなくなると徐々に学んで、私はいつも相手から聞かれそうになる前に告げていた。
母はシングルマザーってやつです、と。
「別れたのって最近ですか?」
同じ境遇にいるからこそ、同情も慰めも必要ない。
思うように話せる。
私は自然とユウキに聞いていた。
「割と?去年かな」
ユウキは特に嫌がる素振りも見せず、淡々と話を続けた。
去年の夏頃親が離婚し、その後冬に高校を中退、今は母親と二人暮らしをしているらしい。
そっちは?と聞かれ「高校入る前に離婚して、妹とお母さんと三人で暮らしてます」と言った。
東京では親の離婚なんて珍しい話でもないだろう。
私の住む田舎街では、離婚となると大事のように受け取られがちだった。
確かに決して小さな出来事ではないが、ちゃんと生活できるのであれば別にどうだっていいじゃないか。
親にも親の人生がある。
この頃の私はそんな風に、何もかもをわかった気でいた。
「そっか。お互い色々あるね」
ぶっきらぼうに見えるが、ユウキは本当に優しい人だと思った。
きっと慎重に言葉を選んでいる。
「そうですね」
私は小さく笑った。
「いつまでこっちに?」
「あー、えーっと、明日の夜のバスで帰るんで」
「えっ、バスで行けるんだ?」
「夜行バスです。夜6時間くらい乗りっぱなしで」
「そんなに?バスで寝るの?」
「そうそう、みんな寝てます」
「疲れそうだなぁ」
他愛もない会話が続くことが嬉しくて仕方がなかった。
何かを期待していたわけではないが、ユウキとこうして話していられるだけで、ここに来た意味が生まれたと思った。
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