3 お願い

叔母さんの作った夕飯は朝食と同じく、高そうな皿に丁寧に盛り付けられていた。


ナナミは今朝と同じようにつまらないワガママを言い、叔母さんを一々かしずかせた。

ユカさんはいっそ図々しいほどに食後のデザートのメロンをいくつも食べた。

叔父さんは楽しそうにそれを見てワインを飲んでいたし、犬は叔父さんから生ハムを貰い荒々しく食べ散らかしていた。


私もやはり、マナーを気にして禄に味わえないまま黙々と料理を口に運んでは咀嚼し、飲み込んだ。

いつもよりも少量でお腹が苦しくなったもんだから、これで痩せるかもしれないなんて無理に前向きに考えたりもした。


食後、少し経ってからお風呂をすすめられた。

お客さんなんだからと言われて私が一番先に入ることになった。


タオル、シャンプー、トリートメント、それから化粧落としと洗顔と…持って来た諸々の道具を抱えて、ユカさんの後ろに続いて浴室に向かった。


「お風呂お先します」とリビングにいる叔父さん、叔母さんに声をかけると、二人は一瞬驚いたようにこちらを見ていた。


後からユカさんに聞いたのだが、高校生なのに随分と礼儀正しい子だと驚き褒めていたそうだ。

たったこんなことで、とむしろ私の方が驚いてしまった。


「次アタシだからよろしくー」


ユカさんはそう言って洗面所を出ていった。


掃除の行き届いてカビ一つない綺麗な洗面所と浴室。

私は汚さないよう慎重に、尚かつ迷惑をかけないよう急いで入浴した。


気の休まらない入浴というのは体力を消耗するばかりだ。

家のものより遥かに広い浴槽だというのにちっとも落ち着かない。


帰りたくはないが正直家の布団で眠りたかった。


昨日は夜行バスの狭く固い座席で寝たのか寝ていないのかも曖昧な夜を過ごし、朝から今まで興奮と遠慮で心身ともに疲れきっていた。


自分の要領の悪さだとか、臆病な性格を呪った。


入浴後、客間に戻ると布団が敷かれており、ユカさんとナナミがその上でごろ寝して携帯を弄っていた。


「ユカさん、次どうぞ」



ユカさんはのそのそと起きあがり、着替えと携帯だけを持って「じゃ、入ってくるね」と部屋を出て行った。

タオルやシャンプーはこの家のものを使うらしい。


部屋の隅で携帯を開き友達の個人サイトを巡っていると、ナナミの携帯から大きな着うたが鳴った。

よく覚えてはいないが、当時流行った歌だった。


ナナミは私を気にもせず、その場で携帯を耳に当てて話しだした。


「もしー、え、なに?」


電話の向こうから甲高い声が聞こえてくる。

聞きたいわけでもないのに会話は筒抜けであり、気まずくて意味もなくトイレにでも行こうかと迷った。


「うそ!?ヨウスケくん!?超行きたいんだけど!」


途端に色めき立ってナナミの声が大きくなる。

電話から漏れる声もキーキーと騒がしい。


自分の部屋で話せばいいのに。


向こうがお構いなしだというなら、こちらだってそうしてもいいだろう。


私は無視、無関心を決め込んで好きなネットを見続けた……のだがどうにも会話が耳に入って集中できない。


「そっかぁ、ミクいないしぃ……えーやだやだ、ねぇ二人でもよくない?ダメかなぁ」


先程の騒ぎはどこへやら、何やら弱々しい口調で話し合っているようだ。


一体このいたたまれない時間はいつ終わるのだろう。

親指はさっきから無意味に携帯の十字キーの上下をを行ったり来たりしている。

目線は携帯のディスプレイに向かったまま。


しかしナナミの言葉についにその手も止まった。


「イトコの後輩?友達?そう、来てるの」


ドキリとした。

私のことだ。

一瞬だけ目線をナナミの方に向かわせた。


「え、タメだよ。連れてく?」


ナナミもこちらを見てクスクスと笑っている。

反射的に目線を外した。


何の話だろう、私の話をしているのはわかる。

連れてく、とはどういう意味なんだろう。


「聞いてみるね、ちょい待ってて、うん、じゃあねー」


ナナミの携帯のストラップがジャラジャラと揺れて、カチリと携帯は折り畳まれた。

通話が終わったようだった。


「ねぇねぇ!レーネちゃんさぁ、彼氏いる?」


ナナミはよつん這いでこちらに近寄りながら言った。

私はようやく携帯を手放して、ナナミに向き合った。


「彼氏、いないけど」


おずおずと答えるとナナミは微笑んだ。


「だよね、よかったぁ。あのね、ナナ今から友達とオケ行くんだけど、友達みんな掴まんなくて。人数たりないから一緒に来て、ね?お願い!」


ナナミは大袈裟に正座して、顔の前で手を合わせてみせた。

疲れてるし、そもそもナナミと出掛けるほどまだ仲良くもないし、ユカさんはどうするの?

様々な言葉が頭の中で溢れては消える。


「えっと、今から?」


ナナミは困ったような表情を浮かべてただ頷いた。

今から?どうやって?どこに?


「ユカさんは……」


「ユカはいいよ、ナナ、レーネちゃんと行きたいの!ね、彼氏できるかもよ?ねぇ行こうよー」


私の言葉を遮って捲し立てるとナナミはお願い!とまた手を合わせた。


先程の断片的な話しの中身と今の発言から考えるに、どうやらカラオケで男が待っているようだった。

所謂合コンというやつで、人数合わせのために私が誘われているのではなかろうか。


行きたくない。面倒くさい。

心底そう思った。


それが顔にも出ていたのだろう、ナナミはまるで助けを乞うように甘えた声で話始めた。


「ナナね、前から好きだった人がいるの。ヨウスケくんって言うんだけど」


ナナミの話はこうだった。


ナナミは(当時)若手のダンサーグループのメンバーで、映画や舞台にも出ていたヨウスケのことを前々から密かに狙っていた。

どうにかツテを探し続けていたのだが向こうは売れ始めており忙しく、風のうわさでは周りに侍らす女もナナミより格上ばかりで半ばあきらめ掛けていた。

しかしナナミの女友達(芸能人の端くれ)が先日仕事で知り合い連絡先を交換した男(これまた芸能人の端くれ)がたまたまヨウスケの友達であった。

女友達が男にナナミのことを話すと、ちょうど今夜飲む約束をしている、俺とヨウスケともう一人男友達の三人でカラオケに行くからそちらも来てはどうかと急に誘われた…とのことだった。


「これ逃したらもうナナ、ヨウスケくんに会えないかもしれない……ねぇレーネちゃんは何にもしなくていいから、着いてきて座ってるだけでいいし!お金は男の子たちに出して貰うから!来て!」



厄介なことに巻き込まれてしまった。

行きたくない。関わりたくない。


せめて今ここにユカさんが来たら、代わりに断ってくれるかもしれない。

しかしユカさんはまだ風呂から上がってくる気配はない。


はぐらかすのも限界を迎え、いつもいつも断りきれない私はやはりここでも断りきれず、


「……うん。何もしないならいいよ」


と言ってしまった。


ナナミの顔はパーッと明るくなり、ありがとうと思い切り抱きつかれた。

私は思わず身を強張らせて苦笑いを浮かべた。


ナナミはすぐ様身体を離し、携帯を手にして電話をかけ始めた。


「もしー?うん、行くって!ね!?マジ楽しみなんだけど!」


はしゃぐナナミを呆然と見つめながら、私はどうしようもなく後悔していた。

今からでもなかったことにならないだろうか。

ユカさんが来て止めてくれやしないか。

本当に何もしなくていいんだろうか。

気が重くてたまらない。


通話を終え携帯を閉じたナナミはにこにこと笑いながら私に言った。


「ユカには内緒ね、言うとマジめんどーだから。楽しみだね!」


益々気が重くなった。


調子を合わせる気にもなれず「うん」とだけ答えた。


今からナナミの部屋で支度をして、風呂から上がったユカさんと鉢合わせないように家を出ようとナナミが提案した。

私はそれに従うしかないのだから、実質命令である。


ユカさんは怒るだろうか。怒るだろう。きっと面白くないだろう。

いや、もしかしたら同い年同士で仲が良くなったんだろうと好意的に捉えるだろうか。

自分がユカさんだったらどう思うだろう。


考えたらきりがないのに、憂鬱なことが頭から離れずにぐるぐると回っている。


「荷物持って、行こ?」


ナナミに促され、私は立ち上がった。


この時の私は、これが私にとって、おそらく生涯忘れられない夏になるということをまだ知らないでいた。

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