神々の末裔
魔界に古くから続く『魔王家』の一族は、原始の神々の末裔の一つだといわれていた。
この世界を創り、やがて自らが造り上げたこの世界へと還っていった、神々の血脈の一つだったと…。
それは人間界の『王家』の一族も同じであった。
世界を創った太古の神の子孫の一人が、人間界で王国を築き、人間の文明を作り上げたのだと…。
遠い昔々の物語にある、世界の成り立ちのお話。
この世界の『創世記』に語られる、始まりの物語だ。
そして魔王は、太古の神々の血筋……魔界の『魔王家』の正当な血筋を色濃く受け継いでいた。
40mを越す巨大な体も、禍々しい形状の頭のツノも、巨人であった太古の神の幻想的な姿を彷彿とさせた。
その内に秘めた強大な魔力も、王族の血を引く者の特徴だった。
「…魔界の『希望』のためにも、王家の血を絶やしてはならないのです」
恵理子は魔王の迫力に臆することなく、彼女にそう説明した。
「………。」
魔王は何も答えず、ただ恵理子を睨み続けるだけ。
魔王にとって魔界の未来も王家の存続も、もちろん大切なことだった。
…しかし今の彼女には、それ以上に大切になってしまったものがあった。
守らねばならないものがあった。
何も言葉を発しない魔王に、恵理子はさらに言葉を続けた。
「王族の血は、魔界にとって特別の存在です。
予言にある『勇者殺し』の力を持った者が、いつか王族から生まれるという古い伝説があるように…王家の血は、魔界の希望そのものなのですから」
魔界の住人なら子供でも知っているその伝説を、あえて恵理子は魔王の前で言葉にした。
恵理子自身も、幼い頃からその伝説を聞き育ってきたのだ。魔王になりたくないという気持ちもあったが、やはり魔族にとって魔王の王族の血筋には特別な想いがあった。
『勇者殺し』の力とは、死んでも復活する勇者を『殺せる』力だった。
予言書では、やがて王族から『勇者殺し』の魔力に覚醒する者が現れ、勇者との永い戦いに終止符を打つと記されてあった。
人間界を攻め滅ぼし、魔族に勝利をもたらすと…。
そして、予言書はそこで終わっていた。
魔族の勝利で、予言の書は終わるのだ。
いくら辛くても、何度敗北しても、魔族にとってのハッピーエンドで終わる予言。
魔族にとってそれは、まさに『希望』そのものだった。
「…それともやはり、サイファー様のことが忘れられませんか?」
「き、貴様ァッッ!!!!!」
メリリリッ!ゴォッ!!ボォン……!!
突然、恵理子の立っている周りの地面が陥没した。
恵理子の足元を中心に、地面に五本の亀裂が入り、岩盤が1メートルほど深く地中に沈む。
「……っっ!?」
恵理子ほどの素早さを持った者でも、それは一瞬過ぎて身動きすらできなかった。
一体何が起きたのか理解できないまま、動けずその場に立ち尽くす恵理子。
彼女にとって、それは初めての体験だった。
足元を見渡すと、まるで食パンに手を乗せ強く押し込んだように、地面の岩盤が『押し潰され』ていた。
ムギュっと、固い岩盤が凹んだのだ。
そして……それをやったのが『魔王の右手』だと気づき、恵理子は戦慄を覚えた。
封印されているはずの魔王の右手が、恵理子めがけて振り下ろされ、大地を陥没させたのだ…。
大きく開かれた中指と人差し指の隙間に立ち尽くし、呆然とする恵理子。
見上げれば、まるで大樹のようにそびえ立つ魔王の右手が、上空へと伸びていた。
「そんな……封印が……弱まっているの?」
魔王の体は未だ崖に封印されていたが、右手だけが崖から引き抜かれ、恵理子を襲ったのだ。
恵理子は驚いた顔のまま、ゆっくりと後ろずさった。
「はぅっっ!! し、しまったぁ!???」
魔王も自分でも驚いた様子で、恵理子に振りかざした右手に気付き狼狽した。
すぐに右手を地面から引き抜くと、再び元の封印状態の姿勢へと戻す。
そして何かを誤魔化すように、白々しくも恵理子から視線を外すと、そっぽを向いた。
(封印が弱まってきている?
…もし、このまま封印が破られ魔王様に逃げられたら、子作りなんて出来なくなってしまうかも…)
今もっとも恵理子が困るのは、魔王に逃げられ任期が終わってしまうか、人間に討伐されてしまうことだ。
魔王の封印が破られれば、当然人間たちも放っては置かないだろう。
そうすれば当然、自分が次の『一千年の魔王』になってしまう。
そして、自分の次は自分の子供が……。
…恵理子の覚悟は決まった。
「どうやら本当に、時間が残されていないようですね。
お気の毒ですが……次の満月の夜に、魔王様には『初夜』を迎えていただきます」
「き、貴様ァッッ!!」
先ほどまでよりも遠ざかった恵理子を、魔王は再び睨みつける。
しかしもう、恵理子に向かって手を伸ばすようなことはしなかった。
手を伸ばしたところで、届かない距離まで恵理子が後退していた。
為す術もなく、憎々しげな眼差しで彼女を睨みつける魔王。
恵理子はそれを見届けると、次の瞬間にはひとこと言葉だけを残して消え去っていた。
(きっと、十月十日後には…立派な後継者が…お生まれになられますよ……)
その言葉が風にかき消される頃には、恵理子の姿は完全に消えていた。
残像に、悲しげな笑みを浮かべながら。
再びひとりぼっちになった魔王の鼓膜に、今まで遠ざかっていた村の夕どきの雑踏が戻ってくる。
連れ立って酒場へ向かう、若者達の笑い声。
売れ残りの野菜を、大盤振る舞いで売りにかかる八百屋の掛け声。
「ただいま」と玄関を開けた父親に、「おかえりぃ!」と嬉しそうに飛びつく子供の声。
普段の変わらない夕暮れの魔王村で、魔王はひとりで震えていた。
寒いわけでもないのに、体が骨の髄からブルブルと震える。
(次の満月の夜に、魔王様には『初夜』を迎えていただきます…)
頭の中では、恵理子が言った言葉がずっとリフレインしていた。
恵理子が言ったその言葉が、魔王から平常心を完全に奪っていた。
激しいめまいがし、魔王には目の前から色彩が消え失せたように感じられた。
魔界を統べる魔王とて、一人の女性である。
そしてその日は、まさに………
「次の満月って……うそ………どうして知ってるの……?
その日は……本当に…ダメなの………」
月経周期から予測する排卵予定日と妊娠しやすい日月経周期からいって、その日はまさしく言葉通りに魔王の『危険日』だった……。
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