巣立ちのとき

夜の向こう側から、朝日が顔を出しはじめていた。

太陽の光が魔王の崖にも差し込み、デパートくらいある巨大な彼女の体の影を濃く崖や大地に焼き込む。


とたんに木々が呼吸をはじめ、濃い酸素の匂いがあたりに充満する。

朝露に染み込んだ草の香りが、清々しい朝の訪れを告げていた。



ピチチッ! ピチッ! ピチッチ!



日の出とともに、魔王の頭の上の巣で丸まっていた8匹のヒナ鳥たちが鳴き声を上げる。


いや、元…ヒナ鳥と言ったほうが良いだろう。

その子達はすでに、一人前の翼と体格を持っているのだから。


昨日はとうとう、親鳥は帰ってこなかった。

タマゴから孵って今日まで、そんなことは1日たりともなかったのに。


ヒナたちは不安そうに鳴き声をあげ、一晩中親鳥の姿を探し、身を寄せ合い一夜を過ごした。

…だが、一晩明けて悟ったのだろう。

パパとママはもう帰ってこない……。二度と、ご飯を運んできてはくれないのだ……ということを。


飛び立つ練習は、しばらく前から始まっていた。

後は巣立つのみ。


はじめのうちは巣の近くを滑空して、すぐに巣に戻るという行動を繰り返していたが、やがて、一羽……二羽……と、巣を離れ崖の向こうへと飛び去っていくヒナ達。

そして、一番小柄な末っ子が無事飛び立つったのを確認して、魔王はようやくホッと胸を撫で下ろした。


「良かった〜♡ 全員ちゃんと巣立てたね♡」


魔王は首をコキコキと動かし、凝り固まった肩をほぐした。

巣作りが始まってから巣立つまでの約2ヶ月の間は、頭の上に鳥の親子が暮す状態が続くので、首を回すこともできない。だからヒナ鳥達がいるこの時期は、毎年いつも肩こりになってしまうのだった。


「もう、行っちゃったね…」

いつの間にか魔王の肩にはユウくんが立ち、巣立っていったヒナたちを見つめていた。


「うん。…ちょっと寂しくなるなぁ(笑)」

魔王が感慨深げに言った。


少年が何を伝えにやってきたのかは、だいたい察しがついていた。

……魔王は少年の言葉を待った。


「マオお姉ちゃん、ボクしばらく旅に出るよ」


「……うん」

予想していたことだった。


試練の祠への道は崩壊し、そこにたどり着くためには、『エルフの国』や『お箸の国』『チート田中の国』などの様々な異国を通り、ずっと遠回りしなければいけなくなった。

当然そこは人間以外の国。大規模な護衛軍を引き連れての旅はできないので、身分を隠し少人数でのお忍びの旅になる。

長旅になる予定だった。


「できるだけ、はやく戻るから」


「……うん」

魔王が優しく微笑み頷いた。



ピチチッ! ピチッチ!



「あれ?」

ユウくんがふと声をあげる。


さっき巣立ったはずの末っ子ヒナが、戻って来て魔王の鼻の上に止まったのだ。

どうやら、まだ両親や兄弟の姿を探しているらしかった。


「あらら、戻ってきちゃったの?」

困ったなぁと言いつつ、ちょっと嬉しそうに魔王が笑った。

ヒナたちにとって生まれてから2ヶ月過ごした魔王の体は、生まれ育った家みたいなものなのかもしれない。


「でも…残念だけどここにはもう、パパもママも、一緒に暮らした兄弟達も帰ってこないの」

そう語りかけるその優しい眼差しは、まるで自分が親鳥であるかのようだった。


「だから、君は君の世界に飛び立ちなさい♡」

そして、そっと顔を空に向け上向けて、ヒナの背中を後押ししてやった。



ピチチッ!



最後にひと鳴き声をあげ、その小さな住人は遠く朝日めがけて飛び立っていった。

それが別れの挨拶になった。


「もしかしたらあのヒナ、マオお姉ちゃんが泣いてたから心配して慰めにきてくれたのかも(ニコリ)」


「な、泣いてな、ひもん…」

陽の光をあびて、こっそり涙ぐんていた魔王の目元がキラリと光る。


「こ、今回は絶対に泣かないで見送るって、決めてたんだから!」

そう言って彼女は、窓ガラスほど大きい白い歯を見せて、にぃっ!と懸命に笑って見せた。


いつも優しいユウくん。

それに甘えてばかりいた自分に反省し、今回の件でちゃっかり成長した魔王であった。


しだいに村の家々の煙突から、朝ごはんの支度をする煙があがりはじめる。

牛乳配達の少年が、村を走り回る姿も見てとれた。

魔王村にいつもの朝の活気がやってきていた。


「じゃぁ、アキバさんが待ってるからそろそろ戻らなきゃ!

 いってくるね、マオお姉ちゃん!」


「うん!」

以前より頼もしげな表情になった少年を見つめ、魔王も負けずにハキハキと返事をした。

今から巣立つこの少年がまたこの村に帰ってくる頃には、きっとひと回りもふた回りも逞しくなって帰ってくるんだろうなと、魔王は思った。

それは寂しくもあり、楽しみでもあった。


「いってらっしゃ!ユウくんっ!

 ……それとユウナちゃんっ!!!」


「え?…ユウナ……ちゃん? えっ? なに?」

魔王の言葉の意味が理解できず、不思議そうに聞き返すユウくん。


「『ユウくん』って名前は、私がつけたでしょ?だから、あれから考えたんだぁ!」

素晴らしいアイディアでも思いついたかのような、自慢げな顔で魔王が言った。


「ユウくんの中にいる、もう『一人のユウくん』の名前だよっ!

 いつまでも名前が同じじゃ、ややこしいでしょ?」


今はその存在は感じられないが、一度死んで転生したときに現れたという、少女の姿をしたもう一人の自分。


少年は直接会ったことはないが、一度だけ頭の中でその声だけを聞いたことがあった。

そしてその声の主に、一度は救われかけたらしい…というのも、なんとなく感じていた。


「少年勇者の『ユウくん』に対して、勇者の女の子だから『ユウナちゃん』!!

 どう、可愛いでしょ?うふふ♡」

そう言って、楽しそうに笑う魔王。


「『ユウナちゃん』…うん!可愛い名前だね。

 その娘もきっと、気に入ると思うよ!」


少年にはなぜか、絶対に気に入るだろうなという予感があった。何となくどこかで、『いいじゃん♡』と誰かが言ったような気がしたのだ。


「でしょ♡うふふ♡」

魔王の、褒められて素直に嬉しがるところとか、普通の女の子みたいで可愛いなと少年は思った。

ふたりは年の差985歳以上のカップルだったが、案外それは問題にはならないらしい。


「じゃぁ………いってきます……♡」

そして、いってきますのキス。


二人の唇がぴたりとくっつき重なりあった。

まぁ、今さら改めていうのもなんだが、キスといっても魔王の巨大な唇に対してのキスなので、少年が魔王の大型ソファーほどバカでかい唇に顔を埋める形になってしまうのだが……。


それでも二人は、普通の恋人同士のようにお互いの想いを確かめあい、舌先を絡めあった。

少年の顔が、魔王のよだれでべろべろになるのも構わずに……。


◆◇◆◇


「おぉ、婆さんや、あの二人…またやっとるわぁ(笑)」

庭の縁側で、爺さんが盆栽に水をやりながら、ニコニコと微笑ましそうに魔王の崖を見上げ、お婆さんに話しかけた。


「あらあら(笑)本当にもうお熱いことで。うふふ…若いというのは、羨ましいわねぇ」

目を糸のように細め、婆さんもキスしあう二人を温かく見守る。


…実はここだけの話、勇者と魔王の秘密の関係は、村人達なら皆知っている事案であった。

ただみんな、気を利かせて黙っているだけ。


そりゃそうだ。あれだけ目立つ二人(魔王など村のどの家の窓からも見えるのに)が、ちょっとやそっと隠れてちゅっちゅしたところで、バレないはずがないのだ。


しかし、当の二人はそうとは知らず、今日も内緒の熱いちゅー♡をドキドキしながら交わし合っていた。

村人一同が、この若い恋人同士の恋の行方を、暖かく密かに見守ってくれていることも知らずに…。






第二部へつづくよ。

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