3-4
「もしもし、マルクスですか?」
アリーナだ。この優しい声は間違いが無い。
「アリーナ?どうして僕の番号を」
「姉さんに「マルクスに貸した本を返してもらいたいから」って言って、番号聞いちゃった。急にごめんなさい。返すの、いつでも良いって言ったのに」
申し訳なさそうに謝るその声が……。
「僕も、そろそろ返さなくちゃって思ってたんだ。家まで返しに行っても良いの?」
「それはちょっと、姉さんが不機嫌になりそうだから……自然公園で待ち合わせしましょう。少し遅くなっても「ついでに買い物してきた」って言えば大丈夫だと思うし」
明後日の十時に、自然公園の噴水の前で。
約束を取り付けて電話を切る。
今から、明後日が待ち遠しい。
僕は一体、どうしてしまったのだろう。
さっきも、アリーナの謝る声が、何と言いたかったのか分からない。
この、優しくて、考えるだけで心が温かくなる、幸せな気持ちを表現するための言葉が見つからない。
これは、何なんだ?
人工的な空だ。
余程の時以外に雨など降らない。
今日も、快晴だった。
外で待ち合わせをするには、ちょうど良いくらいの気温だ。
乾いた涼しい風が、木々を揺らす。
さわさわと葉の擦れる音が聞こえた。
約束の時間までは、あと二〇分ほどある。
早く着き過ぎでしまった。
自然公園の中心近くに、噴水はある。
三メートルほどの高さで、昼間はいつも、水が静かに流れていた。
飛沫が上がるほどではなく、近くにいても服が濡れることは無い。
暑い時期はもう少し水量があっても良いのに、と思うほどだ。
噴水の周りにはレンガが敷かれていた。
赤、オレンジ、茶。
少しずつ違う色味のレンガが、規則正しく並べられている。
僕は噴水のすぐそばにあるベンチに腰掛けた。
アリーナに借りた雑誌は、折れないように、人工皮革の大きめのバッグに入れてある。
一緒に持ってきた、仕事に使う資料を取り出した。
ファイルには、僕が担当している生徒のテストの内容が書かれている。
学年は違えど、どの生徒も今回のテストの出来はなかなかだった。
優秀な生徒は教えやすくて良い。
分からない箇所を聞いても「何が分からないか、分からない」などと言われなくて済む。
それだけでも有り難かった。
一通り資料を確認し終えると、アリーナがこちらに近づいてくるのが見えた。
「おはようございます。早いですね、私の方が先かと思ってたのに」
アリーナが隣に座る。
「せっかくだから、外で仕事しようと思って」
「あら、今日お仕事だったんですか?すみません、わざわざ来てもらっちゃって」
「いや。仕事って言っても、資料に目を通すだけだから大丈夫だよ。はい、これ」
借りていた雑誌を手渡す。
アリーナはそれを自分のバッグに仕舞った。
これで、今日の約束の目的が終了。
本当に呆気なく終わってしまった。
欠けた世界のその先に 安久呂 流可 @akuroruka
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