3-3

アリーナがうっとりとした表情で語りだす。

僕は真剣に聞いていた。

彼女の感性の豊かさに、引き込まれていく。


絵も素晴らしかったが、アリーナは話をするのも上手だった。

まるで、目の前で『雪桜』を見ているかのような錯覚に陥る。



アリーナは先程座っていた椅子の上に、パレットと筆を置く。

そして、近くにあるベンチに二人で横並びに座りまた話し始めた。


「この間買った芸術雑誌があるんですけど、お貸しします?」


「僕、芸術とか疎いんだけど大丈夫かな?」


「それなら、植物をメインにした作品がたくさん載っている雑誌を貸しますよ。抽象画よりは分かりやすいし、見てて楽しいですよ」


「本当?ありがとう。いつ返せばいいかな?」


「いつでも大丈夫ですよ」





あれから、二週間ほどが経った。


手元にある、アリーナから借りた雑誌を、僕は何度も何度も読み直した。

作品の題名や、作者の心情をつづった小さな文字に至るまで、全て読み尽くしていた。


「そろそろ、返しに行こうかな」


昼間からベッドに横たわるなど、父が見たら怒鳴り散らされそうだ。


起き上がって体を伸ばす。

バキバキと腕や肩の骨が鳴った。


婚約者の家を訪ねるのは、別に悪いことではない。

しかし、あの気の強いシルヴィアが、自分ではなく妹に会いに来たと知ったら、きっとひどく怒りだすだろう。


後々面倒なことにもなりそうだ。



どうして、アリーナではなくシルヴィアだったのだろう。

ふと、そんなことを考える。

考えても無駄だということは分かっているのだが、納得がいかない。

もしも婚約相手がアリーナだったら、僕達は上手くいくのではないだろうか。



もう一度ベッドに横になる。

上手くいくって「何が」だ?

自分の言葉の意味がよく分からなかった。


結婚は子孫を残すための手段であって、それ以上でもそれ以下でもない。

別に仲の良い家庭を作る必要などないのだ。

結婚はしたけれど、別々の家に住むなどよく聞く話だった。


アリーナと仲良くしたって、シルヴィアには関係ない。



それでも、割り切れないこの気持ちは何なのだろう。



シルヴィアの家を訪れた時から、少しだけ違和感があった。


父に名前を呼ばれた時だってそうだ。

自分の名前のはずなのに、そこには自分以外にマルクスという人間はいないのに、それでも自分のことだとは思わなかった。

おかしい。



ぐるぐると頭の中で考えを巡らせながら、天井を見上げる。

白い。

視界一杯に広がるこの白い世界を、なんとなく、懐かしく感じるのはどうしてだろう。


理由は分からない。

思い出せないというわけではなく、純粋に分からなかった。


机の上の電話が鳴った。

ゆっくりと起き上がり、体を伸ばす。

受話器を手に取ると、意外な人の声が響いた。

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