3-2
父の後に名前を名乗る。
シルヴィアは気にもしていない。
元々、ある程度の個人情報はお互いに行き渡っているので、今更かしこまった挨拶はしなくてもいいだろう。
今回の顔合わせについても、父親同士が式の日取りなどを話し合うために会うので、ついでにしておくか、という程度のものだ。
父の社交辞令を聞き流して、シルヴィアは「そろそろ稽古があるので」と自分の部屋へ戻っていった。
彼女の父親も、娘の尻拭いをしなければいけないので大変そうだ。
「いやあ、愛想の無い娘で、本当に申し訳ありません。その点、お宅の息子さんは教育が行き届いていて素晴らしいですな」
「そんなことありませんよ。娘さんだって、稽古で忙しそうで」
皮肉にしか聞こえないその言葉に、相手の顔が引きつる。早く出ていきたくて堪らない。
「すみません、お手洗いをお借りしてもよろしいでしょうか」
「ええ。構いませんよ。この部屋を出て右側の突き当りです」
「ありがとうございます」
トイレなど行きたくもなかったが、ここにいるよりはマシだ。
言われた通りに、部屋を出て右側に進む。
しかし、トイレのある突き当りには行かずに、その手前にある、左右に伸びる廊下を左に曲がった。
右は先程玄関から通ってきた道だからだ。
曲がると中庭が右手に見える。
そこには、アリーナがいた。
「何をしているの?」
少し開いていた窓から中庭に出る。
「あら、マルクス。姉さんとのお話は終わったの?」
僕の声に反応して、アリーナが振り返った。手にはパレットと筆が握られている。
「君のお姉さんには「稽古がある」って言われて、逃げられちゃったよ。父さん達もなんだかギクシャクしているし、居心地が悪くてね」
「ごめんなさいね、姉さんが」
「別に良いよ。大したことじゃない。……それより、何をしていたの?」
「絵を描いていたの。なかなかでしょう?」
そう言って、快く見せてくれたキャンバスには、桜の絵が描かれていた。
夜桜にしては、ほんのりと白く輝いて見える。
まるで雪のように見えた。
まだ描き途中らしいけれど、僕の心は十分に掴まれていた。
美しい。
絵に関する知識は、ほとんどと言って良いくらいに無い。
それでも、今まで見てきたどの絵画よりも惹かれた。
「すごい。絵のことは、正直に言うとあまりよく分からないけど、この絵はなんか、すごく良いなって思う。この白く光っているのは何?」
「これは雪よ」
「雪?でも、桜は春に咲くものだろう?雪なんて降らないじゃないか」
先程の感想はどうやら当たっていたようだった。
僕が予想通りの反応をしたからか、アリーナは腹を抱えて大げさに笑い出す。
「普通は降らないけれど、大昔に一度、桜が咲いた春に、時期外れの寒波が流れてきたことがあったらしいの。その時、桜の花びらの上に、真っ白な雪が積もったんですって。素敵だと思わない?」
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