第5話 予兆

 少し陽が傾いてきた。ここから見下ろす校庭には既に何人か運動部員が集まっていて、部活動の準備に追われている。

「それじゃあ、ホームルームはこれで終わります。日直、号令お願~い」

「起立!」という鋭い日直の声には、授業が終わったことに対する嬉しさが混じっているようにも感じられた。やっと一日が終わる。


「羽月さん、これ、ありがとね! 本当助かったよ~」

 夏樹さんはそう言うと、私が貸したペンを差し出した。

「うん、大丈夫だよ」

 私はそれを筆箱に入れる。この学校に入学してから初めて人に貸したものだ。

「ごめんね~迷惑かけちゃって…… 明日は、明日はちゃんと持ってくるから!」

「そ、そんなに気にしなくても大丈夫だよ……」

 罪悪感に襲われる夏樹さんをなだめながら、私は筆箱を鞄にしまった。お昼の食堂の下りとは立場が逆だ。今日が初めての会話なので仕方ないのかもしれないが、あまりにも極端な気がする。

「ふふっ、お昼の下りとは逆の立場になっちゃったね。羽月さん」

 夏樹さんもそれを理解しているようで、柔らかく笑った。本当に、上品に笑う女の子だ。

「ほんとだね」

 私も笑い返す。そして鞄を肩にかけ、椅子を机に押し入れた。

「私はもう帰るけど、夏樹さんはまだ帰らないの?」

「そうだね。帰っても別にすることないし、図書室で自習でもしようかな」

 やっぱり真面目な子なんだと感心した。いかにも放課後の図書室で自習してそうな外見だと言えば失礼だろうか。馬鹿にしているわけではなく、真面目そうで清楚な雰囲気を放っている、という意味だ。

「あれっ、夏樹さん筆箱持ってないよね? 私の貸しておこうか?」

「本当だ! ごめん羽月さん! 本当ごめんね!」

 夏樹さんは、手を合わせて必死に頭を下げている。私は再び彼女をなだめながら、鞄から筆箱を取り出した。

「私は家に帰っても使わないし、自由に使ってくれていいよ」

 私が筆箱を差し出すと、夏樹さんは落とすと割れてしまうガラスの靴を扱うように受け取った。

「ありがとう! 絶対明日返すね……!」

 夏樹さんは私の筆箱を鞄にしまう。家に帰っても使わないのは事実だが、学生としてどうなのか。

「それじゃあ私はもう帰るね。自習、頑張ってね」

 申し訳なさそうに頭を下げる夏樹さんに会釈し、私は教室を後にした。

 廊下は、放課後に浮かれる生徒の声で賑わっており、先生の呼び出しの校内放送をかき消している。

 

 込み合う階段を下り、一階の玄関に向かう。校庭に繋がる出入口からは、運動部員の威勢のいい掛け声が、蒸し暑い日差しに乗って入り込んでくる。

 私は辺りに充満した砂利の臭いを吸い込み、靴箱を開けた。使い古したスニーカーに履き替えると、ようやく一日を終えるのだと実感する。

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