第3話 素顔

 一斉に椅子を引く音で目が覚めた。周りのクラスメイトは全員立ち上がっていて、私も慌てて立ち上がる。

 堅苦しい日直の号令と共に、頭を下げる。この礼に深い意味はなく、ただの様式美だ。頭を上げると、先生はそそくさと教室を後にした。

「あ~疲れた。葉月さん、寝てたでしょ。大丈夫だよ!いびきはかいてなかったから」

 夏樹さんはつま先で立ち、手の指を組んで頭の上へ伸ばした。「う~っ」と、顔に似合わなずだらしない声を漏らしている。

「そ、そう。良かった……」

 夏樹さんがクラスメイトと話している姿はあまり見たことがなかった。そのせいか、こうやって砕けた感じでフランクに話す姿に、少しギャップを感じて戸惑ってしまう。

「葉月さん、いつもお弁当だよね?」

「うん。そうだけど」

 滅多に中身が変わらないお弁当には正直言って飽きてきたのだが、作ってくれたものに文句は言えない。

「じゃあさ、折角だし一緒に食堂で食べない?」

 戸惑いの声を上げる暇もなく、「昨日も一人で食べてたよね?」と悪意のない純粋な疑問で逃げ道を防がれてしまう。仲の良い友人なら「あんたもでしょ」と返せるのだが、夏樹さんにそんな生意気な口は叩けない。

「夏樹さんがいいんだったら、私も一緒に食べようかな……」

「私が誘ったんだよ? そんなに気遣わなくてもいいよ」

 柔和な笑みを浮かべながら、夏樹さんは私に優しく語りかけた。逆に気を遣わせてしまっただろうか。私は軽く会釈する。

 私は風呂敷に包まれたお弁当箱を、夏樹さんは黒い革の財布を片手に、食堂へと向かった。


「羽月さんって、食堂で食べるのは初めて?」

 私たちは、食堂へ繋がる長い廊下を横並びで歩いていた。正確には、私は右側を歩く夏樹さんよりも一、二歩後ろを歩いていた。

「うん、そう。夏樹さんはいつも食堂なの?」

 私は質問を返す。いつも間にか両手でお弁当を抱えていた。

「そうだよ。お母さんもお父さんも仕事で忙しいし、私って一人っ子だから、いつも朝は一人なんだよね」

 夏樹さんは、財布を手のひらに当てて音を鳴らしている。無闇に触れるとデリケートな話になりそうだったので、適当に相槌を打って終わらせた。私から話を振っておいて、この仕打ちはないだろうと自分の中で後悔した。


 廊下の角を曲がり、食堂へ入る。夏樹さんは、「なに食べよっかな~」と、鼻歌交じりに列に並んだ。私も彼女の後を追うように並ぶ。

 周りを見渡すと、かなりの生徒が集まっていた。実際のところ、ショッピングモールのフードコートが苦手な私にとっては、この空間は居心地が悪い。

 そして、濃い油やにんにくの匂いに、夏樹さんの匂いも埋もれていた。

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