第七章 その5 開店ミュージアム
「えんでんおじさんの着ぐるみ、観光課から届きました」
私は腕を回し切れないほど大きな段ボールを事務室に運び込むと、事務仕事をしていた池田さんと館長が「ありがとー」と声をかける。私は足元に気を配りながら、段ボール箱をどさりと床に置いた。
あまり重くないこの段ボールの中には、えんでんおじさんの着ぐるみが入っている。市の観光課が以前作っていたもので、祭りでたまにお愛想を振りまくくらいにしか活用できていないらしい。
明日はレストランのオープニングセレモニーだ。平日木曜午前という来館者の少ない時間帯だが、リアルえんでんおじさんと着ぐるみえんでんおじさんの同時登場というメディア受けも見計らったわけのわからん夢の共演で話題を作るのが狙いだそうだ。そのために池田さんは明日も出勤、観光課の小柄な女性職員が着ぐるみを被る。
ビジュアルで考えれば逆の方がいいような気もするけど、これが上の決定なのだから仕方ない。
さらにセレモニーにはふなで食品の役員一同以外にも、教育長や博物館閉鎖反対派の議員も出席するらしい。単なる食堂の開店だけだというのに、凄まじい力の入りようである。どうやら市長のやり方に反感を覚える関係者にとっては、この博物館の存続はある種の旗印になっているようだ。
「それにしても、もらえるのは従業員割引だけか……試食会くらいあってもいいのに」
池田さんがしょぼんと悲しそうに呟くと、すかさず館長が加わった。
「請け負っているとはいえ、ふなで食品は私たちにとって利害関係人だからね。そういうのはダメだよ」
そう、公務員は職務上関わり得る市民からの金銭の授受はもちろん、食事をおごってもらうのもタクシー代を出してもらうのも堅く禁じられている。公僕の世界は本当に堅苦しい。
私は机の上に置かれていた紙束をそっと手に取る。明日から館内のカタログスタンドに放り込んでおくレストランのパンフレットだ。ステーキやスープと洋風ランチセットの写真がでかでかと掲載された、この博物館には似合わないお洒落な雰囲気を放っている。
だがそれ以上に、私にはどうしても今一わからないことがあった。
「さぬき名産レストラン『カンカン亭』……カンカンって、どういう意味ですか?」
方言かな? でもこんなの知らないなぁ。
そんな私のこぼした疑問に、待ってましたと言わんばかりに館長が口を開いた。
「たぶんカンカン石のことだよ。サヌカイトって言う安山岩の一種なんだけど、香川と大阪の一部でしか算出されない珍しい石なんだ。硬くて大昔には石器にも使われていたんだけど、叩くと高い音がよく響くから、カンカン石って呼ばれているんだ」
さすがは館長、長年の教師生活が骨まで身に付いている。つまりカンカン亭というのも、ここ香川県にちなんだ店名なのだ。
「へえ、知らなかったなぁ」
「カンカン石を楽器に使うこともあるみたいだよ。石琴て言って、甲高い音がするんだ」
「ビブラフォンみたいな感じですか?」
楽器だって? これは元吹奏楽部としての血が騒ぐ。何せ今でも休日にはマイE♭クラリネットを自宅で吹いているくらいには、音楽と身近に接しているからね。本当、土日に仕事が無ければ市民楽団にでも入っていただろう。
「ビブラフォンというよりは、グロッケンシュピールかな。良いものはすごい高音で音階が作れるよ」
強く食いついてきた私に館長も興が乗ってきたのか、博識ぶりを如何なく発揮する。
「グロッケン好きです! あのかわいい高音がたまらないんですよ!」
聞けば聞くほどおもしろそうだ。そのカンカン石を使った楽器、私も演奏してみたいぞ。
そんな私たちのやり取りを聞いて、池田さんも「ああ、そういえば」と思い出したように割り込む。
「あずさちゃん吹奏楽やってたんだったよな。何、リコーダーとか吹いてたの?」
「リコーダーは吹奏楽には無い!」
私はギロリと睨み返した。自分でも驚くくらい、声にもドスが利いていた気がする。
「え、じゃあピアニカ?」
「それも無い!」
小学校の音楽会じゃないんだから!
目を点にしながらぽりぽりと頭を掻く池田さんに、私は思い切り声を荒げていた。
嗚呼悲しきかな吹奏楽部あるある。何の楽器を使っているのか、馴染みが無いので他人に話しても伝わらないのはよくあること。
そしてあっという間に次の日を迎えた博物館では、昼前にミュージアムレストラン『カンカン亭』の開店セレモニーが開かれていた。
ふなで食品社長を始めとしたお偉いさんが列席し、さらに市からも教育長、議員、館長と錚々たる面子が顔を揃えている。さらにはテレビ局や地元新聞社の取材陣も集まり、普段とはまるで違った空気が漂っていた。彼らマスコミからレストランの情報が広まれば、さらなるお客さんを期待できる。市としても起爆剤としてレストランには大いに期待を寄せられているのが、誰もが何をも言わずともひしひしと感じられた。
だが、こんな華やかな場にも、松岡市長の姿はなかった。まあ、閉鎖の話を持ち出した張本人なのだから、当然と言えば当然か。
式典のようすを見るために、ボランティアの皆さんやうわさを聞き付けたご当地キャラファンも集まり、平日とは思えない人だかりがロビーにはできている。特にボランティアの人は博物館関係者として料金割引のサービスを受けられるので、開店と同時に店に駆け込むつもりなのだろう、皆動きやすそうな服装でじっと臨戦態勢で待機している。
ふなで食品社長の挨拶、館長の挨拶、そしてなぜか議員の挨拶を終え、いよいよお待ちかねのえんでんおじさんが登場すると会場は割れんばかりに盛り上がった。
「ダブルえんでんおじさんの登場です」
「さあ、どっちが本物でしょう?」
自分そっくりな着ぐるみと肩を組む池田さん。その姿にどっと笑い声が沸き起こる。
この一瞬のために、ご当地キャラファンはわざわざ遠方から見に来るのか……本当にご苦労様です!
「では、オープンです! 皆様、慌てず騒がず列になってご入店ください」
セレモニーが全ての行程を終え、ついに一般のお客さんに店が開放される。さすがはこの瞬間を待ち望んでいたボランティアの皆さん、我先にと店にダッシュでなだれ込み、そして目についた席に素早く座る。一切の無駄の無い動きに、えんでんおじさんを満喫してほくほく顔のご当地キャラファンは呆然と立ち尽くしていた。
やがて始まるはランチタイム。レストランからは談笑がロビーまで漏れ、受付の私は羨ましげに眺めることしかできなかった。
「いいなあ」
お腹がぐうっと鳴る。そう言えば今日は朝起きるのがちょっと遅かったので、ちゃんとご飯を食べていなかったなぁ。
「私たちも休憩時間になったら食べに行きましょ」
事務室から里美さんが声をかける。割引も使えるしせっかくだからと、今日は職員全員がレストランを利用するようだ。
受付から見る限りは、レストランもなかなか好評のようだ。美味しいという声も聞こえるし、何より店を出てくるお客さんが皆笑顔だ。
回転もなかなか早い。聞けば今日は開店日ということもあって、不測の事態に備えてキッチンスタッフとホールスタッフ含め6人で回しているらしい。おい、私たちよりも多いじゃないか!
そんな時だった。よく知る顔が店から出てきたのに気付いた私は、職務中にも関わらず「ちょっと、ふたりとも」と呼び止めたのだった。
「レストラン、どうだった?」
悠里乃ちゃんとてっちゃんの兄妹だ。ボランティア会員である悠里乃ちゃんの割引を使い、仕事が非番のてっちゃんも見物に来ていたのだ。
「ああ、すごく美味しかったぞ」
「何食べたの?」
貧乏舌のてっちゃんの評価はあまりアテにならないならないと思うが、まあ参考までに。
「私は讃岐牛のローストビーフ定食。お兄ちゃんはキュウセンの塩焼き定食」
悠里乃ちゃんがさらっと答えるが、思わぬ食材の登場に私は「キュウセン?」と顔を近づけてしまった。
なんとこれまたローカルな食材を。あまり馴染みのない方も多いと思うが、キュウセンというのはベラの一種で、見た目が結構派手な魚のことだ。全国的に生息しているが、特に瀬戸内海沿岸では食用として親しまれている。
「魚は季節で味も水揚げも変わるから、その日市場に並んだものでメニュー変えるみたい」
「うわあ、本格的!」
そこで開店日の今日は夏が旬のキュウセンを使った料理だったわけか。ということは、3月になったら私の大好物のイカナゴ料理も食べられるのかな?
「さすがは東京のホテルで修業しただけある、あんなに美味い塩焼きは初めてだ」
「うん、ビーフも美味しかった」
悠里乃ちゃんは満足げにこくこくと頷く。てっちゃんはともかく彼女が絶賛するのなら味は信用していいだろう。これは本当にレストラン目的のお客さんも押し寄せるかもしれない。
しかし私はどうしても不安をぬぐい切れないでいた。
先日、営業の男性の口から聞こえた、「でも料理人がねぇ」という一言。あれは一体、何を意味しているのだろう?
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