第七章 その4 好きモノミュージアム
「ふう、終わった終わった」
法被姿の池田さんが椅子に座り込む。当然、手にはコーラが握られていた。
「お疲れ様です! 私、今日初めて池田さんのこと頼りになるなって思いました」
「一言二言余計だ、俺はずっと頼り甲斐あるぞ」
そうにやっと笑って答える顔にも、疲れの色はにじみ出ていた。だが本日のMVPが池田さんであることは誰の目にも明らか、私はあらかじめ映し出していたスマホの画面を近づけた。
「見てください、早速ネットでも広がっていますよ!」
池田さんが目を丸め、ぱあっと顔が赤みを帯びる。
朝一番で来てくれたお客さん方のおかげだろう、SNSやブログでえんでんおじさんに扮した池田さんの写真が何枚も表示される。釜を前にポーズを取るえんでんおじさん、収蔵庫をガイドするえんでんおじさん、まるで写真集だ。
羨ましい、来週絶対行く!
おじさんwwwwwかわいいwwwww
コメントも賑わっている。本当、中身はただの35歳独身男性なのに、よくここまでヒットしたものだ。
「夏休みにはレストランもオープンしますし、話題には事欠きませんよ」
「博物館が話題になるのは良いことだね」
池田さんもにこりと笑う。彼が文字通り体を張ってえんでんおじさんを演じているのだ、成果として報われるのは博物館職員にとって至上の喜びだろう。
私は検索エンジンに「船出市郷土博物館」と打ち込んだ。これだけ話題になっているのだ、博物館自体にも興味を持ってくれた人だっているだろう。
しかし検索結果が表示された途端、画面をタップしていた私の手は止まってしまった。
博物館にえんでんおじさんそっくりの職員がいるって! 見に行こう!
リアルえんでんおじさんにご当地キャラファンが歓喜!
表示されるのはどれもこれもえんでんおじさんばかり。ブログやSNSの個人ページ、そしてネット掲示板……誰も展示品については一言も触れていなかった。
何だろう、この胸のちくちくとした感触は。お客さんがたくさん来てくれたのに……ボランティアの皆さんが一生懸命準備してくれた展示品は、まるで話題にも挙がっていないなんて……。
まあ、いっか。まずは名前を売ることが大切だ。
有名になってお客さんを呼び込めば、自然と展示にだって話題が集まる。そうだ、そうに違いない。
そう自分に言い聞かせながら、私はスマホの画面を暗転させた。まだ一歩を踏み出したばかり、お客さんが来ないと話にすらならないもんな。
「えんでんおじさんとのじゃんけん大会! 賞品は当館の年間パスポートです」
翌日の日曜日にも、博物館には大勢が押し掛けていた。昨日来館したご当地キャラファンのブログが呼び水となったのか、今日も県外からのお客さんが多い。
昼過ぎに開かれたじゃんけん大会を聞きつけ、館内のお客さんほぼすべてがロビーに集まっていた。おかげでロビーは人が溢れんばかりの混雑で、受付前まで人が押し戻されてきたほどだ。
そして始まったじゃんけん大会。ゲームの一回一回に挙がる勝った負けたの大歓声、その異様な空気に私は終始気圧されていた。
見事栄冠の年間パスポートを獲得したのは岡山から来たという若い女性だった。どうやら筋金入りのご当地キャラファンのようで、賞品を手渡すときも「これからえんでんおじさんに毎日のように会いに来ます!」とまで断言していた。
「すごい盛況っぷりです。これは5万どころか10万もいけますよ」
大会が終わると同時に、たちまち人の消え去ったロビー。ようやくほっと落ち着いて息を吐きながら、私は事務室から出てきた館長に話しかけた。
「えんでんおじさんグッズの販売も目に見えて上昇したらしいね。商工会の知り合いが昨日話していたよ」
そんなところにまで経済効果が波及していたなんて。たしかに、えんでんおじさんグッズは以前から少数なれど存在はした。
だが今までは市の商工会が細々とステッカーやらメモ帳やらを生産していただけで、しかもあまりの売れなさに棚の隅っこで埃まみれになっているようなものだった。観光客も地元民も、誰からも忘れかけられていたほどだ。
「まさか市の産業まで引っ張ってしまうなんて、実は私たちすごいことしちゃったんじゃ?」
「ああ、そうだね」
館長がにこりと微笑む。こういうお爺ちゃんの笑顔を見ていると、どういうわけかのほほんと癒される。
「いや、これで安心するのは早い。一過性のブームだと思って次の対策をちゃんと考えておくべきだ」
だがそんな空気を静かにも鋭い声で冷ましたのは、後ろから話しかけてきたシュウヤさんだった。
「随分後ろ向きですね」
ちょっとむっとしてイヤミっぽく言い返す。そりゃこんな順風満帆に進んでいるところで、水を差すようなことを言われるのは愉快ではない。
「お客さんが来てくれるのは嬉しい。でもほら、えんでんおじさんのいない時間、展示室はガラガラだ」
シュウヤさんの指に誘われ、私は展示室に目を移す。その時目に入ったのは幼稚園児くらいの子供がふたり、大釜の周りを走り回っているだけだった。兄弟だろうか?
「大切なのはえんでんおじさんをきっかけに、どれだけ博物館に興味を持ってもらえるか、だよ。えんでんおじさんがコンテンツとして飽きられれば、仮に今年お客さんが増えたとしても来年にはまた減ってしまう。そうしたら、また市長から閉鎖を迫られるだけだ」
シュウヤさんの言葉に私も館長も黙り込んでしまった。
おそらく、彼の言うことは十分に正しい。昨日、悠里乃ちゃんも同じようなことを言っていたが、やはり大切なのはキャラの人気ではなく展示としての魅力。人を呼ぶために楽しい企画を設けるのは大切だが、そこに偏重しすぎて本質を見失ってはいけない。
ずんと重苦しい空気がロビーを包み込む。聞こえるのはただ子供たちのはしゃぎ声のみ。
「あいった!」
突如鳴り渡ったゴーンという鈍い音に、私ははっと展示室に顔を向けた。子どものひとりが頭を押さえて床に座り込んでいる。どこかでぶつけたらしい。
「キミ、大丈夫!?」
受付から飛び出し、子供の下に駆けつける。
「コラ何してんだ、展示室で走り回ってんじゃない!」
だがそんな子供に怒鳴り散らしながら、電光石火の如くどこからともなく飛び出してきたのは大きな男性の影だった。その迫力に私の足は止まり、ひっと身震いまでしてしまうほどだった。
そしてもっと驚いたのは、この男性の顔がちらりと見えた時だった。見覚えのある顔に、私は思わず声を漏らしてしまった。
「あ、ふなで食品の!」
そう、いつぞや里美さんにセクハラまがいの発言をかましていたあの営業の男性だ。
「すみません、うちの子がご迷惑をおかけしました」
子どもふたりのふたり頭を鷲掴みにし、ぺこぺこと頭を下げる。どうやらこの人の子供らしい。
「いえ、お気になさらず。今日も施工のようすを見に来たのですか? でも今日は日曜なんで工事はやっていませんよ」
彼は引き続きここの営業も任されているのだろう、入札の末にふなで食品がレストランを請け負うことになってからも、ちょくちょく博物館で工事の進み具合を見に来ている。だが仕事中はいつもスーツ姿なので、今日のようにジーンズとTシャツという普段着で来られると誰かわからなかった。
「はい、実は今日はいつもと違って家族サービスです」
仕事中に見せるのとは少し違う、恥ずかしそうでありながら誇らしげなスマイル。営業マンとしての姿しか知らないこの人の、お父さんとしての側面を見られて、なんだか私自身も微笑ましく思えてきた。
「えんでんおじさんに会いたいってうるさいんですよ、うちの子供たち。まだここに来るには少し小さすぎるのですが、早いうちにホンモノに触れる機会があるのは良いことだと思いますし」
「ホンモノですか。お子さんのことを本当によく考えられていらっしゃるのですね」
この人も子育てに関しては深く考えているのかと、私は素直に感心した。そういえばいつだったかとあるテレビ番組で、有名な古美術品の鑑定士が「本やテレビで知識を得るだけでなく、博物館で本物を見てください。偽物との違いはすぐにわかります」と話していたのをふと思い出す。
しかしいくら家族サービスとはいえ、休日もここに来るなんて。それにこの男性、目の下にうっすらとクマが浮かんでいる。ちょっと心配だな。
「施工は順調そうに見えますけど、他に問題があるのですか?」
「ええ、工事自体は進んでるのですが、料理人がですね……」
子煩悩のお父さんらしい謙虚な笑顔から言葉が漏れ出る。だが途端、かっと目を開いた彼は慌てて子供の手を掴み、ぴんと背中を伸ばしたのだった。
「と、今のは聞かなかったことにしてください。では、また」
そしてつかつかと展示室の奥へと早足で突き進む。何も誤魔化せていない、ただ不自然なだけの行動。
「料理人?」
私は口元を押さえてぼそりと呟いた。心配のタネがまた一つ、増えそうだという予感に苛まれながら。
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