第六章 その6 夏空ミュージアム
ニイニイゼミが鳴き始めると、庭のヒマワリも花弁を大きく開かせる。通勤の道すがら、高校のグラウンドではこれから始まる県大会を見据えて、朝早くから野球部の男の子たちが練習に励んでいる姿を目にすると、いよいよ夏が来たのかと実感せずにはいられない。
7月、夏到来。子どもにとっては長い長い夏休みを控えた、1年で最もわくわくする季節だろう。
そして同時に船出市郷土博物館にとっても一番の勝負どころ。ここから9月まで、どれだけ入館者を呼び込め続けるかで存続か閉鎖か決定するようなものだ。
「博物館はリピーターに支えられています。一度来たお客さんを、また来たいと思わせる展示の工夫が博物館には必要なのです」
そう力説して展示室を歩き回るシュウヤさん。その周りでは展示品の改良にボランティアの皆さんがそれぞれ作業に打ち込んでいた。
「こんなもんでどうかな」
「いいんじゃないか?」
大工仕事の得意なお爺さんが例の畳のスペースに座り込んで作っていたのは、藁で編んだ大きな袋。かつて塩を運んでいたこの袋は、
この日、船出市郷土資料館は夏休みに向けての準備に追われていた。私が琵琶湖博物館で受けた印象を中心に、各員知恵を絞って展示の改良に勤しんでいる。
特に力を入れたのは、塩田で使われていた道具を再現して、実際に手で触れたり、今まで見れなかった角度から観察できることだ。
具体的には砂に筋を入れて乾燥を促す大きな熊手の形をした「マンガ」や、海水を撒くための「打桶」を、昔実際に使われていた物を参考に作り直し、尖った先端を丸めるなど安全面で工夫して展示室に置く。
さらに大昔使われていた平釜も収蔵庫から引っ張り出してきた。濃縮された海水を蒸発させるための直径2メートルのこの鉄製の大釜は、大きすぎて扱いに困っていた。それならばいっそのこと、お寺の香炉のように展示室の真ん中に置いて、覗き込んだり手で触れたりできるようにしてはどうだろうと言ったところ、最初は資料の保存のためと返答に困っていたシュウヤさんも、賛同したボランティアの皆さんに押されて首を縦に振った。
元々収蔵庫の奥に眠っていたもので、この地域ではありふれたものなので資料的価値も乏しい。そこでこのように手が届きそうな位置まで、いや、別段触れられても困る物ではないので、ダイナミックな展示に利用したのだった。
もちろん解説用のパネルも忘れない。そしてせっかくの市営の施設なのだからと、パネルのあちこちに公認マスコットのえんでんおじさんもプリントしておく。
「ははは、お前とそっくりだな」
「むしろお前だろ」
おじいさんたちが互いに指を差して冗談を言い合う。このふたりは小学校の頃からの悪友同士で、70を過ぎた今でもこの調子らしい。
「おおい、新しい展示パネル出来上がったよー」
そこにひょっこりと顔を出したのは池田さんだ。業者から届いたばかりの段ボールを両手で抱えて、他のボランティアにぶつからないよう慎重に運んでいる。
「あ、えんでんおじさん」
そのせっせと運ぶ姿があまりにも様になっていたので、私は意図せずして思ったことをそのまま口から滑らせてしまった。
「誰がだよ!」
すかさず反論する池田さん。だがボランティアのお爺さんたちもムキになる池田さんを見て、腕を組んで感心したのだった。
「本当だな、こいつよりも池田さんの方がそっくりだ」
「モデルになったのかな?」
「ちょっと、皆さんまでー」
池田さんはそう苦笑いしながら足元に段ボールを置く。こんなことを言っているが、本心から怒っているわけではないのはみんな知っている。
「ほら池田さん、試しに横に並んで笑ってみてくださいよ」
えんでんおじさんの印刷されたパネルを指差して私が言うと、お爺さんたちも「ほら行ってまえ」と乗っかる。こうなると断れないのが池田さんだ。
「こうか?」
パネルの横に立ち、ポーズや表情まで似せてくる。その姿は完全に実写版のえんでんおじさんだった。
「あはは、やっぱそっくり!」
「そこの
お腹を抱えたお爺さんが、近くに展示されていた写真を指差す。昭和初期の作業風景だろうか、白黒の写真に写されているのは法被を纏い、大きなヘラで砂をかき集める男性の姿。我らがえんでんおじさんも同じような格好をしており、池田さんがこの格好をすればパネルからえんでんおじさんが飛び出してきたのではと錯覚するだろう。
「もういっそのこと法被着て仕事してくださいよ、博物館の新たな名物になりそう」
「公務に支障が出る」
そう突っぱねて持ってきたパネルを取り付ける池田さん。小柄な体で働くその見た目は、やはりどう見てもえんでんおじさんだった。
夕方、この日の準備は中断し、展示の入れ替えも大部分が完了する。順調にいけば明日には全ての作業が終了するだろう。
「ぷはぁ、やっぱ仕事上がりはキンキンに冷えたコーラだね」
自動販売機で買ってきたばかりの缶ジュースの栓をプシュッとはずし、事務室でぐびぐびと大胆な飲みっぷりを見せつけた池田さんが気持ちよさそうに言う。一応はまだ就業時間、当然お酒はだめだがジュースもここまで大々的に飲まれては、なんだかダメに思えてしまう。
入館者の増加をどこで聞きつけたのか、飲料メーカーが自動販売機を増設したのは6月の話。私たちにとっても休憩時間の一服で選択肢が増えたのは好ましいことだが、それ以降池田さんは毎日のようにコーラを買っては飲んでいた。
「そう言えば里美さん、食堂の入札はどうなったのですか?」
私はパソコンに向かって今日納品された物品をまとめていた里美さんに尋ねた。
「ええ、審査も進んでいるみたいよ。何社か名乗り出てきたみたいだけど、ふなで食品になるってのがもっぱらの噂よ」
彼女はキーボードを打つペースを緩めず、淡々と返した。
そうか、やっぱりあのお店美味しかったもんね。コンセプトも地元の食材を使うと明確だったし、審査担当の印象も良かったのだろう。
「はあー、暑かった暑かった」
その時、事務室の扉がガチャリと開く。館長が外から帰ってきたのだ。
館長は冷房の利いた事務室に入ると、ほてって真っ赤になった顔をほころばせて大きく深呼吸する。多忙な館長は、今日も小学校の総合的な学習の時間のために、歴史散策の講師として招かれていたのだ。
「館長、おかえりなさい」
「いやあ、今日は途中から急に暑くなって。もう歳かな、山城めぐりもしんどくなってきたよ」
72にもなって、まだまだ子供たちを連れて山の中を歩き回っているのに何を言っているのか。
笑いを堪えて俯いていると、館長が突如「あ!」と思い出したように切り出す。
「そうそう、教育長から聞いたんだけどね」
「はい?」
「今度、うちの博物館テレビの取材来ることになったよ」
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