第14話:蹴兎の脅威

 セリカの森を抜けた平原、約十分の一進んだくらいの場所で一夜を明かした二人は、今日も仲良くシルフォードへと向かっている。

 今日はユゥンの詠二章六節、村を出て二回目の朝である。


 道中色々な話しをしたが、その中で一番興味を持った話は【エルフ】という種族について。

 何故ファルルが【フォレストエルフ】と名乗ったのか疑問だったが、話しを聞いてすっきり解消された。


 エルフには幾つか種類がある。元は【エルフ】だけだったようだが、進化の過程で分岐したようだ。

 一つはファルル達の種族【フォレストエルフ】、動物や動物由来の物は口にせず、野菜や果物を栽培して食べている。

 一つは【バトルエルフ】、狩りを得意とし、主食は肉を食べるんだとか。野菜等は見つけたら食べる程度で、一口も口にしないまま亡くなるバトルエルフも珍しくないんだとか。


 一つはファルル達【フォレストエルフ】の上位種【ハイエルフ】だが、長く生きたから成れるというわけでも無いらしく、何かを成した者だけが至れるんだとか。

 一つは【バトルエルフ】の上位種【ブラックエルフ】で、多くの血を浴びると成れるとか、多くの命を狩り取ると成れるとか、バトルエルフ内でもはっきりしないらしい。


 最後の一つは【ダークエルフ】。

 フォレストエルフとバトルエルフは、食べる物や生活の違いから長年対立し続けているが、その二種族の間から極稀に生まれる事がある種族なんだとか。

 この二種族が愛し合う事自体がかなり珍しく、交わったからといって必ずダークエルフが生まれるわけでもないので、超ウルトラスーパーデラックス級に珍しい存在らしい。


 綴文がイメージするエルフは、此方の世界アノニームではフォレストエルフと呼ばれていると分かり、とてもスッキリした気分だ。

 しかし、【ダークエルフ】についての話しはそれだけで終わらなかった。


 ダークエルフの外見は地球の創作と殆ど同じようで、【褐色の肌】に【白髪はくはつ】【紅眼こうがん】で、魔力量が多く、とても目が良いらしい。

 その外見的特徴が【シラカミ様】にとても似ており、肌が【褐色】である事から【許されざる存在】として扱われ、どちらの村にも居られない程に酷い扱いを受け、最悪死に至る事もあった。

 両親と一緒にエルフの居ない場所で生活する事を選ぶ場合が多いと聞くようだが、ただでさえ珍しい種族であるために、悪い人に狙われて見世物や愛玩奴隷として捕らえられてしまう事もあると里長から聞いたらしい。


 どの世界でも酷い連中は居るものだと心底苦苦しく思った。

 当たり前だが、聞いていて良い気分になる事は一切なかった。


――


 そんなこんな話しをしながら歩みを進め、野営をしながら遂にシルフォードの森が見えてきた。

 安心感から二人から感嘆の溜息が漏れるが、ここまで猛獣に出会わなかった事が逆に恐ろしく思えていた。

 出会いたいわけではないし、可能ならこの先一生見ることが無いのが一番ではあるのだが、猛獣蔓延るこの世界で、生息域を歩いて何も無いほうが異常であるように思えてならないのだ。


「綴文様、もう間もなく到着ですね」

「なんだかんだ長かったね……ようやっとかって感じだよ」


 ファルルの呼び方が【白き御使い様】から【綴文様】に変わったのは、綴文から変えるよう言ったわけではなく、話している内に自然と変わっていった。

 綴文としてはそっちの方がまだマシなので、様付けについては何も言うまいと決めた。


 今はユゥンの詠三章一節 前三ノ頁前、太陽も真上に来ていないが、このままのペースで進む事ができれば、空がオレンジに染まる頃には森の中に入る事が出来る距離だ。

 しかし、太陽の照りつけが厳しく、真夏日と呼べる気温の高さに視界がボヤけそうになる。

 ファルルの方は、軽装とはいえ身を守る為に装備を身に着けているので、村娘スタイルの綴文よりも遥かに体力の消費が激しそうだ。


「ファルル、今水を出すから、少し休憩しよう」

「はぁ……はぁ……わかりました……はぁ……はぁ……」

「<水流ウォーターフロウ>」


 大きめの水球を生み出し、ファルルに飲むように勧める。

 結界に包まれているわけではないので、手を突っ込めば水に触れる事ができるし、器を入れて抜き出せば掬う事もできる。

 こういう時ほど魔法って便利だなと、つくづく実感できる。


 少しの間体を休め、ファルルの顔色も大分良くなったので移動を再開する。

 ちなみに、【水石】を使う事も一瞬考えたのだが、この世界に【魔導石】があるのかまだ確認していなかったのもあって使えなかった、というオチだ。


 太陽が真上を少し過ぎたくらいの頃に、昼の食事用に切っておいた果物を歩きながら食べ、軽く喋りながら歩いていると、綴文が嫌な寒気を感じた。

 それは、セリカの森で【フロウ・コッコ】と対峙した時のような、全身の鳥肌がブワッと総立ちするような、強烈な物。

 ファルルも同様に感じたのか、ほぼ同時に足が止まる。


 背中を汗が伝い、緊張感が一気に高まる。

 周囲への警戒を緩ませる事なく、ゆっくりと後ろの様子を伺う。


「あれはキックラビットです……脚の力が異様に強い、この辺りに生息している【兎】型の猛獣です……」

「あの脚……蹴られたらひとたまりもなさそうだ……」


 二人の喉からゴクリと音が鳴り、その音でさえ聞こえているのではないかと思えるくらい、周囲は静寂に包まれている。

 当のキックラビットは獲物を探している様子は無く、縄張りを巡回しているかのように周囲を警戒しているように見える。

 幸いな事に、二人にはまだ気が付いていないようだ。


「アレに追われたら、私達では逃げ切る事は不可能だと思います……」

「私も全く自信ないわ……」

「なので、音を立てないように、見つからないように、ゆっくり離れましょう……」

「了解……」


 キックラビットの様子を窺いながら、ゆっくりと進行方向へと移動を試みる。

 屈んで体勢を低くし、足音が立たないようにゆっくり、慎重に、気付かれないように。


 ガサッ!


 草が揺れる音が周囲に響き、二人は視線を合わせてお互いを確認するが、草に触れた様子は無い。

 咄嗟にキックラビットを見ると、忙しなく周囲をキョロキョロと見回し、音が鳴った方向を探している。

 直後、二人が居る方向とは真逆の方を向いて、グッと脚に力を込めてロケットの様に跳ねて行った。


「「………………あ゛ぁぁぁぁぁ!!!」」

「怖かった! すっごい怖かったよ!」

「死ぬかと思いました! 見つかった! ヤバイ! 殺される! って思いました!」

「戦ってたら絶対に死んでたね、あの速さは無理、断言できる」

「魔法なんて詠唱してる暇なかったでしょうね……はぁぁぁ……生きた心地しなかったぁぁぁ……」


 腰が抜けたように地面にへたり込み、先程までの恐怖を払拭するように、手を握り合って思った事を口にしていった。

 ものの数分、もしかしたらもっと短かったかもしれない。

 その恐怖から解放された安堵感に浸る事で、なんとか冷静さを取り戻す事ができた。


「なんか一気に気が抜けちゃったね……」

「ホントですね……あー生きててよかったー」

「でもあれだね、気が抜けたファルルも可愛かったよ? すっごい泣きそうな顔でさ」

「なんですかそれ! やめてくださいよ! 趣味悪いです!」


 耳まで真っ赤にして抗議するファルルもまた可愛らしく、綴文の中で完全にいじられキャラ認定されるのだった。


 ちなみにキックラビットは、音が発せられた場所を特定できず、何事も無かったように巣に戻っていった。

 ……実は二人の大分後ろを歩く男女二人組の冒険者が居たが、キックラビットの存在に気付いておらず、盛大に音を立てた犯人だったりする。

 目的地は同じシルフォードのようだったが、危機察知能力も警戒心も無いこの二人が無事辿り着けたかは定かではない。


――


 キックラビットを目撃して無事切り抜けた後、短い休憩を挟みながら歩き続け、ようやく里の玄関口【シルフォードの森】へと辿り着けた。

 ここまで来れば、里までは後少しで着く事ができるらしい。

 今の空の色はオレンジ色だが、大分黒が迫ってきているので、予定より少し遅い到着となった。


 ファルルに目配せをして頷くと、ファルルが森に入っていくので後に続いて森へと足を踏み入れる。

 森の中は空気がとても綺麗で、若干湿度は高目なものの、森の外の暑さなど無かったかのように清々しく感じられた。

 それに、セリカの森とは違い、なんと表現すれば良いのか分からないが、こう荘厳な雰囲気というか、神々しい雰囲気というか、森全体が何かに守られているように感じられる。


「もう間もなく里が見えます……あそこがそうです」


 そう言って指さした場所は少しだけ低い位置にあり、外壁ではなく結界で守られた里があった。

 此処からはもう少しあるようだが、結界の外に人が立っているのが見て分かる。


「もう少しなので頑張りましょう!」

「おー」


 とてもなだらかに下っているようで、少し楽に移動が出来たが、門の前に到着する頃にはもう空は漆黒に包まれていた。

 二人の門番はファルルの存在に気が付き、一人が門を潜って走っていくのが見えた。


「フィル・ファルフォル・フェールフォルが娘、フィル・ファルル・フェールフォル、只今帰還しました」

「よくぞ御無事で戻られた、今里長の元へ駆足かけあしに向かわせましたので、そのまま里長邸へとお向かいください」

「ありがとう、失礼する」

「あの、私も通って大丈夫なんですか?」

「はっ! 白神様ご到着後、検査無しで通すよう里長より通達がございますので、ファルル様と共にお通りいただいて問題ございません!」

「あ、ありがとうございます」


 ビシッと敬礼して声高々に言う門番に驚いたが、そのまま通って大丈夫ならありがたく通らせてもらう事にする。

 ファルルと一緒に門をくぐると、少し幅の広い真っ直ぐな通りがあり、両サイドに木々が立ち並んでいた。

 その木々はどうやら住居であるようで、沢山の吊橋が空中に敷かれ、ポツポツとある窓からは光が漏れている。

 先程の門番の声が聞こえたのか、こちらを見ている人影も見受けられた。


「さあ綴文様、里長の家……というか私の家に向かいましょう。頁も頁なので、挨拶だけになるとは思いますが、父にもお会いいただかないといけないので」

「うん、わかった。それで、ファルルの家はどこにあるの?」

「あの一際大きな木のすぐ側ですよ」

「大きな木……?」


 ファルルが指差す方を見ると、そこには今まで見たこともないくらい大きな木が聳え立っており、何故か其れから目を離す事が出来ない。


「あの木は【御神木】、私達エルフが代々守っている【世界樹】と呼ばれている木です」

「世界樹……」


 まるでその木の周りだけ別世界のような、雰囲気も纏う空気感も何もかもが別物に感じる。

 そこから放たれる神気とでも呼べばいいのだろうか、とても引き込まれ、ただ呆然と世界樹を見つめ続ける。


「驚く人はよく見ますけど、綴文様ほど呆然とした方は初めて見ました」

「…………ハッ! ごめん……息するのも忘れてた……」

「ふふっ♪ さあ、行きましょう? あまり遅くなるのもアレですから」

「う、うん」


 手を引かれて歩き出し、徐々に近付く世界樹にまたも目を奪われながらも、里長の家がある場所へと向かう。

 途中何度かファルルが振り返って綴文の事を見ていたが、綴文はその視線には気が付かなかった。

 なんだか意味ありげな短い溜息を吐き、仄かに頬を赤く染めたファルルは、そんな綴文もまた可愛いなと思った。



――Side シルフォードの門番


 ファルルと綴文が門を通過した後、一人残った門番は興奮していた。


「白神様と喋っちまった! やっべー!」


 創造神の御使いと呼ばれている【白神様】と言葉を交わす事は、【白神教はくしんきょう】の信者からすれば神と直接話しをする事とほぼ同義と言えるだろう。

 長くは喋れなかったが、遥か雲の上の存在と会話をしたという事実に鼓動がバクバクと早鐘を打ち、その感動が口から溢れ出てしまったようだ。

 そんな興奮覚めやらない門番の元に、駆足かけあしに出ていた門番が戻って来た。


「戻った……ぞ……どうしたんだ?」

「聞いてくれよクラウディン! 白神様と言葉を交わしてしまった! とても可愛らしいお声だった……あのお声は一生忘れられない……」

「うっ……確かに羨ましくてぶん殴りたいところだが……今のお前、すっごく気持ち悪いぞ……」

「なんだと! あのお声を聞いてないからそんな事が言えるんだ! あんただって一緒に聞いてたら……」


 その後、この大興奮の門番の女ヴァニィは一時間近く語り、門番の男クラウディンは何時話しが終わるのか、遠い目をして聞き流す事に徹するのであった。

 しかし、あの短い言葉のやりとりだけで、どうやってそこまで語れるのか、下界を見ていた神々にも理解出来なかった。

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