第75話 幕は降り

 きらきらと輝く巨大な翼は、遠目には固形であるかのように見えて、しかし実際には、独立した創元素デバイスの粒子が寄り添って翼をかたどったものであった。

 ハドゥミオンが降り立つと、間もなくそれは風に吹かれた火の粉の如く、音も無く散り、そして消えていった。


「どうやら戦闘の意思は無いようだな……」と、アグ・ノモ。


 視界を縁取る細枠が火器反応無しセーフグリーンであることを確認した彼は、とりあえず当面の脅威は去ったようだと判断したようで、ゆるりと辺りを見渡してから、通信こえを発する。


「コノエ、被害は?」


「ビャッカ2機が消滅、他は損傷ゼロです……。すみません、私の判断が遅すぎました……」


「いや、並のパイロットでは全滅していたところだろう。それに無人機だったのが幸いした。人的被害が無いのは良いことだと云える」


「ありがとうございます。それにしても――」


 コノエのビャッカは空中に留まりつつ、眼下の大地で、超然と佇立したままのハドゥミオンを見下ろした。その大きさは、標準的な巨人であるビャッカと比べても倍以上はある。


「あの対消滅の中で無傷なんて、とんでもない機体ですね……」


「アレの性能が桁外れなのは間違いないが、恐らく攻撃を防いだのはパイロットの力だろう。ハドゥミオンの設計データに虹の翼あんなものは無かったはずだ」


「ではあれが神の権限――。敵でなくて良かった、というところでしょうか」


「まだ判らんよ。しかしいずれにせよ、重要な存在ではある」


「ですよね……」


 ハドゥミオンの佇まいはまるで、自分こそが巨人の王である、とでも主張しているかのような威容であった。

 コノエはその姿に気圧されつつも、


「とりあえず接触してみましょう」


 そう言うと、両手を広げて敵意が無いことを示しつつ、ゆっくりと降下していく。そして無人のビャッカ2機とバタンガナンも、粛々とそれに続いた。


 一方コックピットのエリオンは、巨人の眼を通して、カザルウォードが残した爪痕を寂しげに眺めていた。


「元には……戻せないよね? ルーシー」


 その応えが、彼の頭の中で響く。


〈IPFでは消滅した物質を修復することはできません。ですが神の権限を行使すれば、他の元素デバイスから復元することは可能です。但しこの場に予備のデバイスが存在しない為、周辺の物質を変換する必要があります〉


「でもそれは――」


〈はい。大気や土砂を使った場合でも、生態環境には大きな影響を与えます。長期的には、現状よりも被害が拡大する恐れもあるでしょう〉


「……うん」


〈復元を行いますか? エンリルリオン〉


「いや……やめておくよ」


 先程エリオンの超常的な力によって元通りになったばかりの丘は、再び凄惨な戦禍の景色へと変えられてしまった――カザルウォードが単なる破壊ではなく、対消滅という不可逆の現象を伴う攻撃をしてきたことは、エリオンにとって憂うべき誤算であった。


(さようなら……ゾーヤ……)


 彼が暫くの間沈黙していると、今度は彼の耳にコノエの声が響いた。脳内の隅々にまで澄み渡るルーシーの声とは違って、耳の奥に流れ込むような、機甲巨人の通信機能による音声である。


『ハドゥミオンのパイロット、応答してください。こちらはWIRAウィラ所属バハドゥ警備隊、私は隊長の杠葉コノエと申します。戦闘の意思無くば降機してください』


「……ウィラか。母さんのいたところだね」


 その言葉は通信を通しておらず、応えたのはまたしてもルーシー。


〈はい。世界情報統制局――通称WIRAは、以前ルーラー=クロエが所属していた組織です。しかし現在はこのいちなる世界の統制者として、ルーラー=リアムが指揮を執り、インヴェルの民やグレイター達と協力して活動しているようです。そして離脱したルーラー=クロエは、混沌の女神と呼ばれ、彼らや世界にとっての敵と見做されています〉


「世界の敵……。そうか、彼らはまだ知らないんだ。母さんが何故この混沌とした世界を創ったのか――いや、創らざるを得なかった・・・・・・・・・・のか、その理由を」


〈はい。かつてのエンリル・オリジナルが情報次元から消失したことにより、彼らには先の界変が、ルーラー=クロエが原因であるものと認識されているようです。実際この世界の何処にも、オリジナルの記録は存在しません〉


「でも神の骨エンリルである僕がその証になる」


〈エンリルリオン。確かに貴方はルーラー=クロエが残した唯一の鍵です。しかし彼女の無実の証明には、もうひとつ必要不可欠なものがあります〉


「うん、可能性の記録べレク・レコードだ。――僕の中にある情報は断片的で、母さんの目的を果たすにはその残りを見つけ出す必要がある。それには彼らの力が必要かもしれない」


 エリオンとルーシーが紡いだ僅かな沈黙に、しびれを切らしたように、再びコノエから呼び掛けがあった。


『聴こえていますか、ハドゥミオン。こちらは――』


 それを遮り、エリオンが応える。


「こちらハドゥミオン。聴こえています、僕に戦闘の意思はありません」



 ***



 朝焼けが水平線から足を運び、佇立する5体の巨人をおもむろに照らし出す――。ゲの海を臨む丘の、消滅を免れた台地の上で、一同は会すこととなった。

 機甲巨人を降りたコノエとアグ・ノモが、美貌の青年となったエリオンと向き合う。そこへギルオート、アヤメ、ザガの三人が、持ち前の機動力と駿足をもって駆け付けたのであった。

 彼らが状況を問う間もなく、最初に口を開いたのはアグ・ノモ。――くすんだ銀色の髪を寝かせ、光沢のあるオレンジ色の全身スーツに身を包んだ彼は、穏やかな口調で手を差し出す。


「君がエリオン君だね? まずはこちらの要請に従ってくれたことに感謝しよう。私は――」


 しかしその目は、鋭い眼光でもってエリオンを正面から見据えており、台詞ほど友好的な雰囲気を感じられるものではなかった。

 それを覚ってか、エリオンは握手を交わしながら、更に静かな声音で返した。


「知っています。かつて『黄昏の悪魔』の二つ名で呼ばれていた、元帝国軍エースパイロット。インヴェルの民のアグ・ノモさんですね」


 すると「なるほど」と目を光らせるアグ・ノモ。


「どうやらルーシーのデータベースにアクセス出来るというのは本当らしい。しかし生憎その名は捨てた名だ。今は一介の巨人乗りに過ぎんよ」


 困り顔で苦笑する彼の横で、一方真剣な顔つきで立っているコノエにも、エリオンは顔を向けた。


「そして貴女は、殊能『ヘイムダルの頭』の保持者、杠葉コノエさん」


「そこまでご存知なら、私達が来た理由も理解していますね?」とコノエ。


「はい。機甲巨人の接収か即時解体、その為だと」


「その通りですが、それだけではありません。貴方がルーラーと同等の、神の権限を手にしたということには、何か意味があるはずです。恐らくあの――」


「混沌の女神クロエ・リマエニュカ――僕を創った母さんの真意を知りたい、ということでしょう?」


「……ええ。その通りです」


 コノエが神妙に頷くと、


「そのことについて、僕は貴方がたに話さなくてはいけないことがあります」


 エリオンもまた真っ直ぐな瞳で彼女を見つめ、そして全員の顔を見回した。

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