第72話 破壊の化身

「正しくあろうとする時に――?」


〈そうだ。そしてお前の心は、誰よりもそうあることを望んでいる。俺にはそれが解る〉


「僕は――……」


 そんな二人の会話は、しかしカザルウォードにしてみれば、エリオンが突如独り言を始めたようにしか見えなかった。


「何をブツクサ言ってやがんだ? 電波でも受信してんのか」


 当たらずとも遠からずといった彼のふざけた台詞に、エリオンは意識を目の前へと戻しカザルウォードを見る。


「そうだ……そうだったんだ。僕はいつも繋がっていた。でもそのことが、流れてくる情報があまりにも多くて、僕の中に在る力が大き過ぎて――怖かったんだ。だから僕は、それに気付かないフリをしていた」


「はぁ? 厨二病か、お前。そういう独白はあとで恥ずかしくなるぞ」


 嘲笑するカザルウォードの言葉は、しかしエリオンには届いておらぬ様子であった。彼の顔には優しい微笑みが浮かんでおり、ただ満足そうに呟いた。


「でももう解ったよ、ドト。んだよね。怖くても理不尽でも『それでいい』んだ。僕自身をそうやって受け入れた時に、ありのまま世界を認めた時に、初めて人としての正しさが解る。正しく愛することができるんだね」


〈ああ。だからお前はお前の道をゆけ。エリオン〉


「うん。……ありがとう、父さん」


 その確信めいた台詞をきっかけに、エリオンの身体から青い光が滲み始めた。その柔らかい光によって侵食されるように、彼を捕らえている魔物の石像が、サラサラと砂に変わり流れてゆく。


「ほう……」と興味深そうに、その様子を見つめるカザルウォード。


(魔法じゃあねえな。かといって殊能でもねえ。なんつーか、もっと根本的な力だ。これが神の権限ってやつか)


 解き放たれたエリオンの光は一層強く輝き、やがては人の形をした光源となった。そして間もなくその形が成長していき、小柄だった彼の身体は、数秒と経たぬうちに成人のそれへと変わるのであった。

 その急激な変容ぶりを見て、カザルウォードの表情には怪訝の色が強まっていく。


「…………」


 黙って見つめる彼の前に、やがて現れたのは、虹色の髪と美しい顔立ちをした青年。紛れも無くそれはエリオンであるのだが、


……? テメぇ――」


 カザルウォードが思わずそんな問いを発してしまうほど、その印象は極端に違っていた。

 エリオンの顔には先程までの怒りも、少年らしいあどけなさも残っておらず、まるで覚者の如く超然とした――カザルウォードからすると、若干不愉快にも感じる余裕の表情があった。


「僕はエリオン。蟻塚のオーク、ドトの子。そしてリマエニュカの創りし神の骨、エンリルリオン」


「リマエニュカ……? なるほど、混沌の女神のオモチャってワケか。だがそういう力を見せつけてくれるってことはよ、一戦交えるそういうつもりってことだよなあ?」


 カザルウォードの瞳が、台詞とともに剣呑な輝きを帯びる。


「僕に戦うつもりはありません。でも貴方がそれを望むのなら、止めるつもりもありません」


「ハッ、上等上等! 計画変更、いい機会だぜ。神の権限オモチャにどれだけ利用価値があるか、ここで試してやる」


 そう言いつつ不敵に嗤ったカザルウォードは、フワリと宙に浮き距離を取ると、両手をエリオンに向けてかざした。禍々しい赤黒いオーラがその腕を這う様に巻き付き、彼を中心に吹く風が、周囲一帯の草花を巻き上げる。


「虚空にあまねく不浄の白銀、粛然たる久遠の楔、九海きゅうかいを凍て刺す深淵の矛よ――」


 詠唱とともに渦巻く冷気。舞い散る葉は瞬時に凍って砕け散り、キラキラと輝く粉塵がエリオンの頭上高くで、彼を取り囲むように再び集束していく。


「我を知り、理を知れ。我は王、闇の支配者たる魔族の王。我が名はジーグレス・カザルウォードなり


 それらはパキリパキリと乾いた音を立てながら、鋭利に繋がってゆき――間もなく生み出されたのは、膨大な数の巨大な氷の槍であった。

 長大で鋭利な氷柱とも見えるそれは、上空で円環状に配置されたまま、薄白い冷気を漂わせて浮いている。


「壮観だろ? この槍は一本で城壁を貫き、百人の重装騎士を氷漬けにする威力がある。グレイター共のチンケな能力なんぞたぁワケが違うぜ?」


 うそぶくカザルウォード。しかしエリオンは、そんな彼を穏やかな表情のまま見上げて言った。


「貴方の力では、僕を傷つけることはできない」


「ああ? ――上等だ。そう言うなら耐えてみせろよ、神様気取りの人形風情が」


 長い犬歯を剥き出して、カザルウォードが吼えた。


「魔王カザルウォードの名において氷禍ひょうかの槍に命じる、我が魔道を阻む者を滅ぼせ!」


 彼が両拳を握ると、乱立した槍の矛先が一斉にエリオンへと向く。そして、


氷穿嵐極大魔法アビス・ブリザード!」


 ――発射。空から降り注ぐ大質量の垂氷たるひの群れ。

 夥しいその氷の破壊兵器がエリオン唯ひとりに向かって殺到すると、衝撃で吹き上がる土煙によって、彼の姿は瞬時に掻き消された。極低温の余波が拡散し、凄まじい勢いで大地が凍り付いてゆく中、


すさべ、氷刃」


 カザルウォードの追加の一言で、剣山の如く突き刺さった氷塊が、激しく砕け散った。そしてその着弾点を中心に吹き荒れる、白い竜巻。

 凍結した周囲の草花や土砂をもさらい寄せ、天高く渦巻く颶風ぐふうに細かな刃と化した氷が入り混じる。そこに一歩でも踏み入る者があらば、風と冷気と刃によって跡形も無く粉砕されるであろう――。


「………………」


 しかしカザルウォードは、暫くの間その凄絶な竜巻を眺めつつも、不満そうに鼻を鳴らした。


「フン、それがテメぇの力かよ」


 やがて風が消え、はらはらと冷たい欠片が舞い落ちる中に、それはあった。


「ロボットか……初めて見るタイプだな」


 金の装飾に縁取られた真っ白な装甲。炎を象った重鎧と、王冠を思わせる縦長の頭部。まるで人の形を得た城のような、荘厳で堂々たる鋼の巨人。

 カザルウォードが言うまでもなく、それは機甲巨人――かつて蟻塚でエリオンが創り出した、破壊の化身ハドゥミオンであった。

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