第70話 ルーシー

 焼け跡とともに暁を迎えたダカルカン基地――。唯一生き延びた電波塔の足元で、ギルオートは片膝を突き、地面から剥き出しになったケーブルを、点滴の管のように自分の腕へと挿し込んだ。そうすることで、彼の視覚は電子の世界へと旅立つのである。


「………………」


 何が視えているのか、或いは何を視ようとしているのか、焦点の定まらぬ彼の瞳孔がキュイキュイと蟲の啼くような音を立てて、拡大と縮小を繰り返す。


「繋がりましたか?」とアヤメ。


 彼女はギルオートの横で立ったまま、ザガは少し離れた所で鼻を微動させながら、周囲を警戒していた。


「――接続成功。AEODを経由してルーシーへのアクセスを試みる」


 彫像の如く固まったギルオートは、その台詞を残して完全に沈黙した。

 それを心配そうな表情で見守っていたアヤメは、暫くすると顔を上げ、無言のまま薄紫の空を見上げる。彼女もまたギルオートとは違った意味で、心をどこか遠くへ馳せている様子であった。



 ***



 銀河の輝きにも似た青い光の群れは、そのひとつひとつがいちなる世界の何処いずこかに在る機械――通信端末のアクセスポイントである。

 可視化された電子ネットの海を泳ぐギルオートは、それら光の中で遥か遠くにあってすら一際眩い、恒星を思わせる巨大な塊へと迷わず向かって行った。

 だがその途中、彼の思考の内では不可解な疑念が頭をもたげる。


(おかしい。いくらAEODを経由してるとはいえ遮断機能ウォールに掛かることもなく進めるというのは――)


 本来であれば、何千万、或いは何億という数のセキュリティの壁が現れて然るべき――。ギルオートが目指す管理者ルーシーとはそういう重大な存在のはずである。

 しかし青く四角い光のドア群を横目に流星の如く進んでゆく彼の進路を、妨げるものは何ひとつ無いのであった。


(これではまるで……いざなわれているようだ)


 そう勘繰るのも当然、果たして彼は驚くほど速やかに、その目的地へと辿り着くことができてしまった。そしては彼を待ち受けていたかのように、広大な電子宇宙の真ん中に、堂々と佇んでいた。


「なるほど。これが総てのAEODを、神の目を束ねるという管理者――」


 ルーシー。世界の監視者とも謳われるそれは、視界の中央に捉えれば壁にしか見えぬ、途方も無く大きい純白の球体であった。

 ブラックホールのコントラストを反転させたような色合いは、それが明度によるものなのか、はたまた輝度によるものなのか、判別する術は無い。だがいずれにせよその圧倒的存在感は、この宇宙の様な空間においてこれ以上神に近いモノは無いであろう、そう思わせるだけのインパクトがあった。


 その存在を前にして、らしからぬ緊張を見せるギルオートであったが、それでも彼は大声でその球体ほしに向かって呼び掛けた。


「ルーシーよ!」


 AEODにせよ管理者ルーシーにせよ――そしてまた彼自身も、このいちなる世界において自律した機械というのは、全てが人工知性体インテレイドである。故にその接触は機械的な手続きではなく、対話によって行われるのである。


「世界の監視者よ! 貴方の持つ叡智をお借りしたい! 自分は――」


〈ギルオート。不動アヤメが造り出し、ルーラー=アマラが知性を授けた機械人ですね〉


「!!」


 突然に返されたその声は、幼子をなだめる母親の如くゆったりと落ち着いた口調で、広大な空間を余す事なく響き渡った。


〈貴方が訪れた理由は知っています。虹の髪のエリオン――彼を助けたいのですね〉


「ああそうだ。エリオンは今モリドに拉致され窮地に立たされている。しかし彼が神の権限を自在に行使できれば、そこから抜け出すことができる。その為に貴方の協力が必要だ」


 ギルオートがそう断言すると、しかしルーシーは束の間の沈黙を置いてから言葉を返した。


〈……貴方がたは勘違いをしているようです。グレイターの科学者達も、自らを魔王と呼ぶあの人間もそうです〉


「? どういう意味だ――?」


〈この世界が生まれる前、かつて存在した『界変のアルテントロピー』は、ルーラー=クロエ・リマエニュカによって、人間の肉体、実存という情報の骨格フレームを与えられました。その後の界変により人格は消滅しましたが、彼女が創り上げた器は宇宙に遺されたまま――宿る神を持たない骨格として、尚も存在し続けたのです。その神の骨こそがエンリルリオン〉


「エンリル……リオン? それはエリオンのことか?」


〈そうです。そして情報次元の力は、構造自体が持つ意味から生まれるもの。故に神の骨とは、界変のアルテントロピーを発生させる情報構造体なのです〉


 ルーシーの言葉はギルオートにとって、そして世界にとっても何か重大な意味を孕んでいるように感じられた。しかし彼がそれを理解するには、前提となる知識や理解に余りにも大きな隔たりがあるのであった。


「……すまないルーシー。自分には貴方の語る言葉が理解できない。だが勘違いであると言うのならば説明してくれ。自分らの認識の一体何が違うというんだ?」


〈ルーラー=クロエ・リマエニュカは、神の骨に、無垢な魂として初期化された新しい人格を与えました。それが今現在、通称エリオンと呼ばれている少年です。しかし彼はあくまでソフトに過ぎず、ハードに由来するその力は常に存在しています〉


「ではエリオンは……貴方にアクセスしなくとも神の権限を使える状態にある、ということか?」


〈正確には常にアクセスしているということです。本来OLSとは、創元素デバイスが標準的に持つ通信機能を利用したシステム。この世界が創元素デバイスで構成されている以上、彼は宇宙のどこからでも私と繋がることができます〉


「ならば何故エリオンは自力で脱出しない? 自分が聞いた限りの力だけでも、充分それが可能なはずだ」


〈彼は無垢であるが故に、他者を信じているのです。誰に裏切られようとも、何度傷付けられようとも、無意識の底では解り合えると信じている――或いは、そう願っているのかも知れません。彼を育てたドトムワガというオークや、蟻塚という素朴な環境での人間関係が、彼の人格をそのように形成したのでしょう〉


「つまりエリオンは、せいで力を使えないと?」


〈そう言い換えても構いません。同時に彼は、自身の力がどれほど絶対的なものであるかも理解しています。かつてその力の理不尽さを自覚し、自ら地の中で眠りについたように――〉


 そのエリオンを偶然にも掘り当て、封印ねむりから覚醒させてしまったドトは、無論そのような事情など知る由もなかった。しかしそれがエリオンという少年の、物語の始まりであったということは今更云うまでもない。


「自身を怖れるがあまり、自主的に権限を規制していたということか……。それが登録の儀によって解除された今でも、彼はそれを行使することを無意識に躊躇している。そういうことか」


〈その通りです〉


「だが今はそうも言ってられんだろう。モリドや魔王が彼の権限ちからを悪用する可能性があるならば、だ。それを阻止しなければ世界がどう転ぶかも分からん。――教えてくれルーシー。エリオンが暴走せぬように、彼が力を取り戻す方法は無いだろうか?」


 考える時間も惜しい、といった様子でギルオートが問うと、ルーシーは依然変わらぬ静かな口調で答えた。


〈彼は既に力を持っています。ですが拒んでいるのです。つまり彼に必要なのは、権限それを行使するに充分な理由――進むべき道標です。それが無いまま怒りや哀しみを動機に力を求めるのであれば、彼は再び暴走するでしょう。そしてそれを止めることは私にも不可能です〉


「そんなことになれば、この世界は終わる――」


 ギルオートはそう言いつつも、


「だが理不尽な終末を甘んじて受け容れられるほど、自分は素直な性格じゃあないんでね」と笑ってみせた。


 それは彼が、この状況を打破する為の一計を案じたからであった。

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