第xx話 創られし者
郊外というよりは田舎に近い、閑散とした駅前のタクシー乗り場で、門倉が手を振って出迎えた。
「おー、池溝ぉ」
「すいません、先輩。わざわざ迎えに来て頂いて」
「いいよいいよ、気にすんな」
笑顔の門倉は、しかし待ち合わせの予定より大分早くに着いていたらしく、長時間の炎天下で汗だくであった。
相変わらずの小太りで、ボタボタと垂れる額を拭う彼の背中は、ライトグレーのワイシャツがダークグレーに濡れ染められていた。
池溝とエリオンが訪れたそこは、都内から快速電車で小一時間ほどの、門倉が勤める研究所の最寄り駅である。
建物や高架が邪魔で臨めはしないが、遠くから潮の香りが微かに漂う。その香りに背を向けると、低いビルの切れ間には、なだらかな傾斜の山林が見える。慣れ親しんだ都会に比べて空は広かった。
「良い所ですね」と池溝。
彼はビジネスマン然としたスーツで、一方エリオンは、白いTシャツにジーンズという素朴な格好。
「だろ? エリオン君もよく来てくれた。久しぶり。遠いとこ悪いね」
「いえ」
エリオンは私物を一切持たぬ状態――どころか発見時には全裸であった為、その服は今回の外出に当たって、池溝が急遽購入した物である。シンポジウムの時には自分のスーツを貸したものの、今後もするであろう外出や退院を考えれば、必要性は言わずもがなであった。
洒落っ気など微塵も無い安物であったが、それはエリオンが着ていると洗練されたファッションの様にも見え、池溝は「
「じゃあ行こうか。ここから車で15分ぐらいだ。タクシーを呼んである」
門倉の案内で、三人を乗せて間もなく駅を出た車は、綺麗に舗装された山道を辿ってゆく。
道中、助手席の門倉は、ルームミラーの端に見切れているエリオンの顔を、それとなく横目で確認しながら、昨晩池溝と電話で交わした会話を思い出していた。
***
「――は? 超能力? なに馬鹿なこと言ってるんだ、お前」
仕事の帰り道、寂しげな街灯の下を歩きながら、門倉は携帯電話に向かってそう返した。
「そう思うでしょうけど、いや実際私も信じられないんですけど、本当なんですよ」
話口の向こうの池溝が至極真面目な声で話すので、門倉は困った溜め息を吐く。
「お前なぁ、そういうのは危ないぞ? 学者が新興宗教に飲まれたりするのは、そういうところからだからな。働き過ぎなんじゃないのか?」
「やめてくださいよ。疲れてるのは確かですけど、私は医師、彼は患者で、教祖じゃないんですから」
「好意的に理解を示すなら、スタンスは似たようなもんだろ」
「全然違いますって。でも何にせよ、とにかくあれは普通じゃないんです。まるで魔法――いや殊能か……」
「? いいか池溝、素人には見抜けないからマジシャンなんて職業が成立するんだ。どんなに不思議に見えたって、そういうのは必ずトリックがあるんだよ」
「いえいえ、トリックだとかそんなレベルじゃないですよ、あれは」
食い下がる池溝に、
「しつこい奴だな。どうせ明日来るんだろう? だったらその時にでも拝ませてもらうよ。その魔法だか超能力だかを」
門倉はそう言って、無理矢理にその話を終わらせたのであったが――。
――静かに景色を眺めるエリオンの横顔は、確かに現実離れした、驚くほど端整な顔立ちである。だがそういう人間は、テレビや動画配信サイトの中にもいないことはない。
(話の信憑性ってのは、見た目でも変わってくるもんかね)
そんなことを考えつつも、門倉は時折他愛もない世間話をドライバーに振ったりしては、変に気不味く感じる空気を紛らわす。
そうこうしている内に、やがてタクシーは、坂を登った先にある門の前で停車した。門倉が領収書を受け取っている間に、池溝とエリオンは車を降りて、門から中へと続く並木道を眺める。
青々と繁った木々は風に揺れ、研究所というよりは、ちょっとした避暑地を思わせる風景であった。
「こっちだ」と門倉。
入口の脇に立つ警備員に挨拶をしながら、その門を抜けて、並木道を辿る。
研究所の敷地は、池溝が想像していたよりも大分広く、いくつかの棟に分かれた建物が、所々に距離を置いて建てられていた。
門倉の話では、その各棟にIT企業や器械メーカーが1社ずつ入っているらしく、件の合同プロジェクト以外にも、AIやロボットに関する各々の研究が盛んに行われている、とのことであった。
「大手企業ばかりなんですね。先輩に聞くまで、こういう施設や研究があること自体知りませんでしたよ」
「だろうな。極秘とかそういうのじゃないんだが、業界誌にすら『
「へえ、なんでです?」
「目ぼしい成果が出てないからな。世間で話題になるのはAIが生んだ『結果』の方だろ? チェスチャンピオンを負かしたとか、医師の誤診を防いだとかさ」
「まあ具体例があると解りやすいのは間違いないですね」
「だからそういうのは革新的に見える。だが一方で、それを行うAI自体の研究ってのは、なかなか進まないんだよ。いや進んじゃいるんだが……まあアレだ、地味なんだな」
「なんか寂しいですね」
「まあな。だがそんなの関係無くAI開発は面白い、無限の可能性と夢がある――って考える連中の集まりだよ、ここは」
そう言って満更でもなさそうに笑う門倉に、池溝は微笑みを返す。しかし後ろを歩くエリオンの表情は、依然として無感情のまま、二人の様な明るさを宿すことはなかった。
***
広く白いエントランスホールに入るなり、早々に池溝らを出迎えた男――
「やあやあ、よく来たね」
歳もそれなりであろうに、背筋は伸びて髪は黒く、褐色の肌は色艶も良い。インド・パキスタン系の人種に見えるが、第一声の日本語は極めて流暢で、それが池溝を驚かせた。
「初めまして、池溝真二郎です。お会いできて光栄ですコールマン博士。日本語お上手ですね」
「ワイフが日本人なものでね。私も20年以上、
「ええ、勿論です」
「なら君もアイザックと。気楽にいこう」
互いに笑顔でしっかりと握手と言葉を交わし、
「そちらの青年がエリオン君だね? なんでも変わった特技を持ってるとか」
言いながらコールマンが改めて差し出した手を、エリオンはふわりと優しく握って言った。
「どう捉えるかは貴方の理解と想像力に依ります」
彼の返答に、コールマンは感心した様子で頷く。
「……ほう。なるほど、なかなか賢い青年のようだ。ところでエリオンというのはファーストネームかい?」
「いえ、通称です。本来の固有名は『エンリルリオン』といいます」
それを聞いたのは池溝も初めてで、彼は思わず「えっ」と声を上げた。
(本名じゃなかったのか……)
思い返してみると、彼が初めてエリオンと会った時には、看護師づてにその名を知らされただけで、その後すぐに例の話を聴かされた為、池溝はエリオンの名前自体には、深く言及していなかったのであった。
「……ユニークな名前だね。何か意味があるのかい?」とコールマンが尋ねると、
「『エンリルに似た者』という意味だそうです。僕はそれを基に創られた
エリオンは淡々とした表情でそう答えた。
「ほう……創られたとは、面白いことを言うじゃないか。それでそのインテレイドというのは――、いや立ち話では悪いな。まずは私の部屋に案内しよう」
コールマンはそう言って、エリオンらを奥へと導いた。
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