第67話 不惑

 ニムヴァエラと対峙したエイレは、睨み合う間――刃を交わすまでの須臾しゅゆの間に、知り得た情報をもって思考を巡らせた。


(この淫魔おんな、馬鹿ではない……。おどけた振りは演技ブラフ。不死身を前提として考えれば、『コアを破壊しない限り死なない』という情報をこちらに与えたのは、傲慢さではなく狡猾さ故か。コアそれを探す過程で身体中を傷付けさせ、より強い苦痛をより効率的に得る――狙いはそんなところだろう)


 或いはエイレにとって、そういった推断も戦闘の一部であり、その意味では既に、彼女の戦いは始まっていた。


弱点コアを相手に探させる――それが作戦として機能するということは、コアが極めて見つけ難いか、或いは認識できないか……そもそもという可能性すらある)


「だが――!」とエイレ。迷わず初手を打ったのは彼女である。


 素早く腰から銃を引き抜き、ニムヴァエラの頭部にピタリと照準を合わせる。

 それを察知したニムヴァエラが首を傾けると、その横を弾丸が擦り抜けた。そして更に放ったもう一発をも、不死であるはずのニムヴァエラは、獣の脚を屈ませて避ける。

 それを確認したエイレは、得たりと目を光らせた。


(やはりな。不死身ではあっても、こいつの脳や神経系の構造は生物とほぼ同じ。つまりそれが阻害されれば無力化されるということか)


 結論に至ったエイレは、すかさずハンドサインをゾーヤに示す。――下に向けた拳の小指を立てて、直後に掌を地面にかざす。《地形を使え》の意である。

 それを見て取ったゾーヤは、腰のポーチから小さな金属球をジャラリと掴み取り、手品師よろしく慣れた手付きで、指の間に並べて挟み込んだ。


 そして後ろで銃を構えている兵士に、


後退さがってな」と一言。


 手から発する青白い放電で、バチバチと空気が破裂する。――兵士達は異も唱えず、エリオンを庇うようにして後退。


「あらん? その能力……さっきの攻撃はアナタだったのねん? 殺してくれて、どうもありがとう」


 ニヤリと微笑むニムヴァエラに対して、ゾーヤは応じる様子を見せない。ただ弾を挟んだ手を突き出して、


「エイレ!」とだけ叫んだ。


 みなまで言わずとも、エイレは即座に身を屈める。その頭上を、真一文字に薙ぎ払う電磁投射の散弾。

 ニムヴァエラは膝をバネの如く伸ばし、高々と跳躍したものの、その弾丸は彼女の片脚を容易く吹き飛ばした。


「あはんっ」


 と苦痛に嗤いながら、空中で錐揉みした彼女は、そのまま下降の勢いに合わせて、エイレの頭上から爪撃を振り下ろす。


「チッ!」


 エイレは逆手に抜き取ったナイフで鮮やかにそれを逸らし、カウンターの肘鉄を顔面に返す――仰け反らせたところへ銃口。

 だが発砲するより先に、ニムヴァエラのヘビが「シャッ!」と怪音を発して飛び出すと、素早く銃身に巻き付き、そのままエイレの手首を締め上げ、食らいついた。

 

「これでアナタはお終いよん」


 ズブリと刺さった細い牙から、注入されていく毒――しかし。


「どうだかな」とエイレ。


「?!」


 彼女はグイッと腕を曲げ寄せて、巻き付いた蛇を力任せに引き千切る。そしてナイフを持ったままの拳で、ニムヴァエラを思い切り殴り飛ばした。

 派手に転がるニムヴァエラは、石の凹凸で撥ね、血を撒き散らし、川の浅瀬で水飛沫を上げる。


「……即効性の神経毒のようだが、生憎私の筋骨格は特殊な強化手術を受けている。無論それに応じて神経線維も、通常の人間とは別物だ」


 エイレは、胴を千切られても尚動く蛇の頭を、ナイフで切り落とすと、微かに痙攣する己の腕を眺めた。


(――とは言っても、多少の影響はあるか……)


 すると間を置かず、水の中から身を起こしたニムヴァエラが、濡れた髪を肢体に纏わりつかせながら、再び微笑んだ。


「へえ……」


 青い血が緩やかな水流に線を伸ばし、そして間もなく途切れる。破壊された片脚と舌も、見る間に再生し、今だ彼女の魔力が健在であることを示していた。

 だがその眼にはもう、釣り上がった口元ほどには、余裕や愉悦の色が見られないのであった。


「アナタ、人間じゃなかったのん……つまらないわね。嬲り甲斐が無くなったわ」


「そうか。楽しみが減って残念だったな、バケモノ。ならば次はどうするつもりだ?」


「……本気を出すわ」


「フッ、本気か。さっきからそう見えていたが? それともに応援でも請うか?」


 冷淡な顔でそう言い、ほくそ笑むエイレであったが、どうやら彼女のその言葉は、ニムヴァエラの中に潜む禁忌に触れたようであった。


「あ?」


 ピクリと眉間に皺が寄る。


「アナタ今、魔王様のお名前を……呼び捨てに――?」


 その瞳が細められていき、闇に染まってゆく。


「この……畜生の糞便にも劣るゴミが? ……下賤な屑如きがぁぁァ?! ワタシの魔王様を呼び捨てにぃぃい?!」


 高まる憎悪。ニムヴァエラの身体から、周囲が歪んで見えるほどの、黒いオーラが発生した。そしてその次の瞬間には、彼女の姿はその場から消えていた。


「!?」


 ――否、そう錯覚するほどの速さで、ニムヴァエラは距離を詰めたのであった。

 エイレが、と云うよりも、誰一人として反応する間もなく、ニムヴァエラの爪はエイレの腹部を穿つらぬき、真っ赤な滑りを帯びて背中から突き出していた。


「ぐ……っ!」


 痛覚よりも視覚が先に捉える痛み。苦悶の呻きとともに溢れ出る血――。

 ニムヴァエラは、そんなエイレの内臓を弄ぶように、腕を捻り込みながら吼えた。


「遊んでやってりゃあ、調子に乗りやがってッ……! テメェらグレイターのゴミなんぞ、魔王様の靴裏にこびり付いた虫ケラ以下なんだよぉッ? 解ってんのかゴラァ!!」


「う!? っぐぅぁぁぁぅ……!」


 さしものエイレも耐えかねて、悲鳴を上げ、ニムヴァエラの腕を固定するように、両手で力一杯に握り締める。しかしその顔には意外にも、微かな笑みが浮かんでいた。


「――が……たしの……だ……」と掠れた声。


「はあ? 聴こえないわよおぉぉぉ?」


 ニムヴァエラは、エイレを串刺しにしたまま、その腕で彼女の身体を持ち上げる。


「……ここまでが……私の作戦……だ」


「はん? 何ワケ分かんないこと言って――!?」


 その時、訝しむニムヴァエラの後ろで、バチリッと空気の弾ける音。

 ハッと振り向いたニムヴァエラの視界に、手を青く輝かせるゾーヤ。


「やれ……ゾーヤ」


「アイアイサー」


 応えると同時にゾーヤが地面に手を当てる。そこから瞬時に地表の水を伝い、全身びしょ濡れのニムヴァエラに到達する大電流――。爆発に似た衝撃と音がはしり、電流それはエイレ諸共ニムヴァエラを、声を上げる隙もなく丸焦げにした。


「…………」


 絶句するエリオンの前で、白煙をくゆらせながら、力無く倒れる二人。しかしゾーヤもモリドの兵士も、その光景に顔色ひとつ変えてはいない。


 淡々とした口調で、当たり前のように、


「クリアだ。エイレの頭部を回収しろ」とゾーヤ。


「ハッ」と応えた兵士の一人が、速やかにその炭の塊に駆け寄っていく。


「な――」


 エリオンはその無機質な非情さに、暫し言葉を失いつつも、やがてゾーヤに向かって、怒りに似た声をぶつけた。


「ゾ、ゾーヤ……なんでこんなことを――! 平気でできるなんて! 仲間じゃなかったのか!?」


 するとおもむろに振り返るゾーヤ。そこには普段と変わらぬ、いつもの笑顔の彼女があった。


「仲間だよ? ウチらは全員、同じ志を持った仲間。だから自己犠牲こういうのは当たり前じゃない?」


「!! お、おかしいよ。それは――狂ってるっていうんじゃないのか……」


「何言ってんのさ、エリオン。狂ってるのはこの世界の方でしょ」


 ゾーヤはそう言って微笑むと、エイレの頭が入ったバッグを兵士から受け取り、それを担いで平然と歩き出した。

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