第66話 不死身の淫魔
沈黙の流れる部屋の中で、するとザガは唐突に「解せぬ」と一言。
「何が……?」
その言葉に釣られて、アヤメも無意識に眉を
「それほどまでに重大な――いや『強大な』と言うべきか……。エリオンという少年が持つ『神の権限』とやらは、聞けばルーラーにも及ぶほどの力らしい。だがそのような力がありながら、何故彼は自力で脱出しないのだ? 何か弱みでも握られているのか?」
「それは――」
アヤメが答えを模索しつつ言葉に詰まると、そこにギルオートが、横から意見を挟んだ。
「確かに。ツキノは保護されているし他の学徒が捕まっているという情報も無い。つまり人質の線は薄い。ならば何か使えない理由があるのかも知れないな」
「使えない理由とは何だ?」とザガ。
「これは自分の推測だがね。エリオンの力は何か媒体を通じてしか行使され得ないものなのかも知れない。そもそも彼自身がグレイターならば本人に由来する力は殊能だけだ。ならば彼に力を与える外部の存在があると考えて然るべきだろう」
「外部の存在……?」
「考えられる物として挙げるならAEOD」
「AEOD――アイオードとかいうやつか。ルーラーが使う観測用の機械だな?」
「うむ。あれは観測機であると同時に
「ルーシーへのアクセス手段、つまりAEODがいなければ力を使えない、ということか?」
「そう考えるのが論理的。だろう?」
ギルオートの言うことに首肯する一同。その推論は、正にモリドが至った結論と同じものであった。
アヤメはそこで暫らく考え込んでから、
「ギルオート。もしエリオン君が
「それは勿論ですよマスター。脱出どころか彼が神の権限を行使できれば魔王とすら単独で戦えるのではと考えています」
「そうですか……」
難しい顔で再び耽るアヤメ。
「何か策でも?」とギルオートが問うと、彼女は神妙な面持ちで頷いてみせた。
「ええ。あくまで素人考えなので、正直上手くいくかは分かりませんが……、このままただ隠れているよりは良いでしょう。試してみる価値はあると思います」
アヤメはそう言って、ギルオートらの顔を見つめた。
***
木々が少し開け、月下では土よりも石が目立ち始めた
ゾーヤの傍らには、銃を抱えた兵士二人と、黒く無骨な手枷を嵌められたエリオンの姿があった。
「ご苦労だったな、ゾーヤ」
労いつつ微かな笑みを浮かべるエイレ。その彼女を見て、エリオンは酷く顔を曇らせた。
「僕を連れ回して、どうするつもりだ?」
「話した通りだ。目的に変更は無い。襲撃も想定済みだ」
「想定済みだって? 基地を壊されてるじゃないか」
「招かれざる客も来たからな。だが貴様はこうしてここにいる。――不服か?」
「当たり前だ。僕はお前を赦さない、絶対に……」
「口では何とでも言える。無力さを知らぬ者なら尚更な」
そんなふうにエリオンをあしらい、嘲笑を浮かべたエイレ。黙りこくるエリオンを横目に、彼女は太腿のカーゴポケットから、四角い薄型の機械を取り出した。その表面で軽く指を走らせると、即座に浮かび上がる三次元の地図。
「――海岸まで300キロか」と呟くと、
「機械馬は持ってきてないよ?」とゾーヤ。
「構わん。どうせこの山道だ、すぐに馬は使えなくなる。渓谷側のCルートから抜ければ、10キロほどで森を抜けられる。そこからであれば、本隊との合流地点までは直線だ。一気に行くぞ」
「アイアイサー。じゃあ行こっか、エリオン」
ゾーヤは暢気な敬礼で応じると、エリオンの背中を軽く押した。
「僕に触らないでくれ、ゾーヤ」
「あらら、ヤベー冷たい態度。あんなに触れ合った仲なのにさ」
「…………」
その台詞にエリオンは、怒りとも後悔ともつかぬ表情で目を逸らすと、黙って歩き出す。――彼らの後方では、焼けた空が少しずつ黒煙に塗り替わっていた。
***
エリオンを連れ、全員が無言のまま、草木を掻き分け進んでいく。
カザルウォードの炎は、どうやら術者の意思に従って燃え移るようで、その火の手が無闇やたらと延焼範囲を拡げることはなかった。その為基地から2、3キロも離れれば、山林はすっかり本来の、あるべき閑寂を取り戻していた。
一行はその宵闇に乗じて、獣道や、時には道なき道を下る。するとやがて木の
「やぁっとかー。ウチもう疲れたよー、お腹空いたなー」
口を尖らせて一人不平を零すゾーヤに、先頭を行くエイレは何も言わぬまま、手の平サイズの
ゾーヤはそれを受け取り頬張りながら、せせらぎだけが響く谷間を見回した。
川の左右は、断崖とまではいかずとも、道を選ばず登り降りするのは、幾分困難な急斜面であった。山肌は所々に石の
実際にエリオンはその見極めを誤り、何度か片足を落としかけたものの、ゾーヤが咄嗟に彼の服を引っ張って、事無きを得たのであった。
むくれた顔のエリオンであったが、流石にそれが三度目ともなると、渋々「ありがとう」と言わざるを得なかった。
渓流は、水面に映る月が、辛うじて原形を留めていられる程度の、緩く穏やかなものであった。とは云え水際に寄れば、丸くなり
そんな川沿いの道を暫く歩き、エリオンも夜間の強行軍に馴れ始めた頃。
先頭のエイレが足を止め、前を向いたまま、素早く拳を肩の高さに上げた。それは「止まれ」を表すハンドサインである。
「どしたの? エ――」
ゾーヤは静かに問うたものの、エイレの背中から伝わる緊張感で事を察し、途中で口を
細められる二人の視線が交わる先には、崖から崩れたものであろうか、一際大きな岩塊。その
「あらん、随分と遅かったじゃない」
その影が発した甘ったるい声に、
「不死身か、バケモノめ」と、忌々しそうに返すエイレ。
「ええ勿論、不死身よん。魔族は
嗤うニムヴァエラの、吹き飛ばされたはずの頭部は元通り。身体にも傷ひとつ無い、
「お勉強ついでに教えてあげるけどぉ、ワタシの魔力は苦痛によって増大するのん。最近は感じさせてくれる子がいなくて弱まってたけど、アナタ達が殺してくれたお陰で、大分満たされたわん」
言葉通り、ニムヴァエラの身体からは殺気とともに、肉眼で確認できるほどの、禍々しいオーラが立ち昇っていた。
「だからここからが本番よん。たっぷり
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