第65話 人外戦闘

「さぁて苦痛を頂戴、お嬢ちゃん。代わりに快感と死を堪能させてあげるわん」


 ニムヴァエラの口角が不気味なまでに吊り上がり、妖艶であった顔が人間の枠を超える。目に見えて伸びた鋭い爪は妖しく濡れて、汗をかく様にポタポタと透明の雫を垂らした。


(毒か……?)と、注意深く観察するエイレ。


 先程投げ捨てたレールガンは、ザガとの戦いで弾が尽きている。よって手持ちの武器はナイフが2本。


(魔族であればそう簡単には死なんだろう。首を落とすか、あるいは――)


 ニムヴァエラの一挙手一投足を見逃すまいと、エイレは目を見開く。暗闇に眼が慣れたところに、カザルウォードの炎の灯りが追加されたことで、訓練された彼女の視界は充分に明瞭であった。


「…………」


 エイレがジワリと一歩退くと、ニムヴァエラはそれに合わせて、嗤った顔のまま間を詰める。


「来ないのぉん? 焦らされるのもキライじゃないけどぉ」


 嬉しそうに爪を一舐めした彼女の瞳が、一層剣呑な輝きを帯びる。――膨張する悪意。


(来る!)


 瞬時に攻撃それを覚ったエイレが身をかわすと、彼女の顔が在った空間を、蛇の顎が喰らい取る。唾液のような毒液が飛び散り、頬を掠めた。


「――――」と囁くエイレ。


「なぁに? 聴こえないわよん?」


 ニムヴァエラは蹄で大地を蹴ると、無防備にも顔面からエイレの前へ。横に薙ぐナイフで首を半分ほど、無造作に爪を振るう。

 エイレはそれを屈んでかわし、紫色の返り血に顔を歪めながらも、立ち上がりざまに腕の付け根を突き刺した。そして流れる動作で半身を捻り、射出鉄杭パイルバンカーさながらの後ろ蹴りで、ニムヴァエラの身体を吹き飛ばす。

 その勢いで木の幹に叩き付けられるニムヴァエラ。――深々と潜り込んだナイフは動脈に達しており、それが抜けると同時に、脇の動脈からドボドボと血が溢れ出した。

 しかし彼女は一向に怯むことなく――と云うよりも、むしろ恍惚の表情で頬を赤く染めながら笑っていた。


「あぁん……イイわぁ、この痛み。イっちゃいそう」


 その様子に、「バケモノが」と吐き捨てるエイレ。


「うふ、だってバケモノだものん。それにしてもアナタ、随分と人間離れした力なのね? 強化系能力者、というやつかしらん?」


 話しながらも、ニムヴァエラの傷口は見る見るうちに塞がってゆく。


「どうだかな……。だがそんなことは、もう貴様には関係無い」


 そう告げたエイレは、またもや誰かに何かを伝えるように、はっきりと口を動かした――しかしその声は周囲に音として響かず、彼女の不審な挙動に、ニムヴァエラはきょとんと小首を傾げた。


「……? さっきからなぁに? 声も出なくなるほど怖いのかしらん?」


 そんなニムヴァエラに、今度はエイレが不敵な微笑みを見せる。


、と言ったのさ。貴様には聴こえなかっただろうがな。――れ、ゾーヤ」


「?」


 直後――超高速の砲弾が、閑静な空気と茂る木の幹を丸ごと削り取り、森を横から突き抜けた。それはニムヴァエラの頭部も含めて吹き飛ばし、反対側の虚空へと消える。

 首元から紫色の血液を振り撒いて、低い草葉の中に埋もれるようにして、ドッと倒れるニムヴァエラの身体。


「――良い狙撃だ」


 エイレが呟くと、耳に付けた小型の通信機から、


『モチのロン!』と得意げなゾーヤの声。


「あとは――」


 言いながら振り返ったエイレであったが、しかしそこにあったはずのザガの姿は、いつの間にか消え失せていた。


(逃げたか……)


 エイレはザガの去ったであろう、基地のある方角を見つめる。――基地の炎は止むどころか、益々火勢を増して、まるで空そのものを焼く様であった。


「ダカルカンは陥落おとされたな……。ゾーヤ、そちらの状況は?」


『なんも問題ないよ、エリオンもいるし。近いからすぐ合流できる』


「了解した。こちらは人狼を一人取り逃がしたが、恐らくそいつも仲間と合流するはずだ。我々はその間に撤退する」


『基地はどーなってんの? なんかヤベー燃えてるけど』


「魔王の仕業だ。奴らの目的も神の権限である以上、気付けばすぐに追ってくる。急げよ」


『はいはい了解』


 そこで通信を終えると、エイレは凄惨なニムヴァエラの死体を無感情に一瞥。


(いくら魔族と云えど、流石に頭部を完全に喪失すれば死ぬか)


 そして振り返り、ゾーヤの許へ颯爽と足を向けた。



 ***



 地下室に身を潜め、ギルオートと分離したアヤメは、縦に響く振動に息を呑みながら、再び地上へと躍り出るチャンスを窺っていた。

 時折響く爆音は魔法ではなく、その熱によって基地の設備が誘爆を起こしているものである。その為コンクリートの壁に亀裂は生まれるものの、まだ当分崩壊には至りそうもない。


「音が止まない。なんて出鱈目な威力……」


「だから無謀だと言ったんですがね」


 戦闘用出力での稼働限界を過ぎたギルオートは、壁を背に直立したまま、口も動かさずにそう声を発した。両肩は甲虫の羽のように開き、剥き出しになった円環型のパーツが、周囲の空気を吸い込むように回転しながら光っている。


 それに目を向けながら、


「あとどれぐらいで回復しますか」とアヤメ。


「フルチャージまでは15分弱。脱出程度なら3分半です。もっとも出力を取り戻したところでアレに勝てる見込みは限りなくゼロに近いとだけは言っておきますがね」


「それはもう解りました。しかしモリドにせよ魔王にせよ、おめおめとエリオン君を渡すわけにはいきません」


「ですが現状策が無い。漁夫の利を狙うにしてもカザルウォードの攻撃はそういう日和見を許さないほどに節操が無い。でしょう?」


「ええ。彼の魔法は、大規模破壊や大軍の殲滅に特化しているようですね。『ヴェルンドの鉄』で金属壁を作ったとしても、到底防ぎ切れはしないでしょう。それに緋々色鐵すら通さぬ防御魔法……」


「引くに引けず倒すも困難となると打つ手が無いな」


「こんな時に……(ユウ君がいてくれれば――)」


 つい言いかけたアヤメは、その願望せりふを恥じ入るように飲み込んだ。そして彼女が俯いて、暫く思索に耽っていたところで、二人のいる部屋の扉が勢い良く破られた。


「!!」


 咄嗟に身構えるアヤメ――であったが、


「無事か?!」と吠えつつ現れたのは、金色の毛先をチリチリと焦がしたザガ。


「ザガさん! よくご無事で……」


「俺は問題無いが――すまない、少年に辿り着くより先に敵に見つかった。モリドと魔族が交戦している隙に逃げたが……救出はできなかった」


「いえ、私達も不甲斐なく戦線を退かざるを得ませんでした。事態は思った以上に深刻なようです」


 大きな頭を垂れる狼に、アヤメはそう言いながらそっと手を掛けた。

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