第61話 月下

「――熱感知サーモその他センサーは無反応。向こう側は無人であると断言する」


 青い視界で見据える扉の先――虫の鳴くような作動音を立てて、ギルオートの機械の瞳孔が縮まる。


「分かりました」とアヤメ。


 潜入した建物の通路には、部屋のドアとはまた別に、所々行く手を阻む鉄扉が設けられていた。それらはすべからく施錠されており、鍵はシリンダー方式であったり、カードリーダー方式であったりしたが、どれほど複雑で堅固なものであれ、結局のところその素材は全て金属である。

 故にアヤメがその表面に触れるだけで、扉は難なく開け放たれるのであった。


「驚くべき技だな。それがお前の殊能というやつか」


 そう言うザガの表情には、台詞ほどの感嘆は見られないものの、思わず声に出してしまう程度には、その能力に感心しているようであった。


「私の殊能『ヴェルンドの鉄』は、触れた金属を自在に変形させることが出来ます。センサーを残して鍵を破壊する程度なら、造作もありません」


 アヤメは特に誇る様子もなく言うと、暗殺者よろしく音も立てず、足早に先を急ぐ。


「この先が監視房のようですね」


 兵士から訊き出した情報の通り、いくつかのセキュリティを越えて辿り着いた地下階には、艶の無い黒い金属製の扉が待っていた。船の操舵輪にも似た丸いハンドルが付いており、一見していかにも重厚な、他の扉よりも明らかに堅牢な造りであることが見て取れる。

 先程同様ギルオートが、その機能をもってして向こう側を凝視するものの、しかしその目に映る黒い四角は不変の暗幕となり、その先を見透すことは出来なかった。


「……どうやらセンサー類は完全にシャットアウトというやつだな。少なくとも自分の性能ではこの扉の先を検知することは不可能だ。逆に云えば各観測方法に対して高い遮蔽性を備えた素材を用いた複層構造ということだ。当然ペタグラフトニウムも含まれている為『ヴェルンドの鉄』も無効になるが――。どうします? マスター」


 ギルオートが尋ねると、アヤメは即答。


「無論、斬ります」


 そしてアヤメがギルオートの後ろに回り込むと、彼は心得たというように刀を受け取り、無言で背面を開いた。


「出来るのか」と問うザガに、アヤメは機械の身体に手足を通しながら答える。


「恐らく。私の刀――緋々色鐵ひひいろかねは特別製です」


 ガシュンッと圧を感じさせる音とともに、ギルオートの背中が閉じると、透明なバイザーとなった彼の半面の中に、アヤメの凛々しい面貌が宿った。

 人機一体となった彼女は、スラリと抜き放った刃を前に、柄を腰の横へ引き絞る――中段霞の構え。すると低い羽音に似た振動音とともに、銀色であった刀身が、燃える骸炭コークスの如く、赤白く変化していった。


穿ッ!」


 そして一閃――高速の突きが、容易く、深々と扉に突き刺さった。



 ***



 重々しく開いた扉から射し込んだ明かりが、傀儡の様に項垂れたエリオンの足元を照らす。しかし彼はピクリとも動かず、じっと床に視線を落としたまま。


「おーい、生きてるかー?」


 扉を開けるなり、そう呼び掛けたのはゾーヤであった。彼女は、サブマシンガンを携えた兵士二人を引き連れて、堂々と部屋に入ってきた。


「ゾーヤ……?」と呟くエリオン。


 彼はツキノの2度目の死を聞かされて以降、モリド兵に問い掛けられようが殴られようが、何の反応も見せず、電池の切れたロボットかの如く、ただ虚ろな顔で吊るされているだけであった。

 しかしここへ来て、初めてゾーヤの声が耳に入ると、おもむろにその顔を上げて彼女の名を呼んだ。しかし。


「……ゾーヤ――!」


 彼はエイレから、彼女がスパイであると知らされたものの、きっとそれは自分を精神的に揺さぶる為の嘘で、実際にはあくまで脅されて従っただけに違いない――そんな淡い期待を、或いは甘い考えを懐いていた。

 しかし両脇に兵士を従えて尚、笑顔のままでいられるゾーヤを見て、彼の心にはくらい火が灯った。


「――裏切ったな……! 僕を!」


 哀しみを塗り潰す唯一の手段は怒りである、とでも言わんばかりに、エリオンは激しく身体を揺らし、鎖を鳴らして声を上げる。


「君が――っ、お前が! なんでツキノまで! 彼女は何も――」


「なんだ、全然元気じゃん」


 その様子に、僅かながらの安堵を見せて苦笑するゾーヤは、悪びれもせずに言って返す。


「勘違いしないでよね、。あの女をったのはウチじゃないから。それにだけ。まあホントはこっちが表なんだけど」


「そんなの……そんなのが言い訳になるか!」


「別に言い訳なんてしてないじゃん。ウチはただ事実を伝えただけだよ? ゼスクス大佐が言うにはさ、この世界は嘘だらけだから、本当に価値あるものは真実だけなんだって。知ってた?」


「……人を騙しておいて、よくそんなことを……」


「だから話したんじゃん。でもキミは話してないよね? 本当のこと。自分のこと。キミが蟻塚で何をしたかも」


「――!」


 虚を突かれ、言葉に詰まるエリオン。ゾーヤはそこで本題に入った。


「キミを移送するから、エリオン。どうも鼠が罠にかかったみたいだから」


「鼠――?」と、彼が怪訝な顔で睨んだ時。


 ドンと部屋が縦に揺れ、開かれた扉の外から、くぐもった爆発音と重なり合う銃声が響いた。



 ***



 弾け飛んだ外壁の隙間から、煙を抜けて宙高く躍り出る、強化外装のアヤメ。その耳元でギルオートの声。


『やられましたねマスター。まさかトラップだとは』


「仕方ありません。ですが、エリオン君がこの基地にいるのは間違いありません」


 肩から吹き出す制御噴射バーニアで身を捩ると、アヤメが在ったその空間を、電磁気をまとった砲弾が高速で擦り抜けていく。


「ザガさんは――」


 と向けられた視線の先では、建物の裏口を突き破り、獰猛な口に兵士を咥えたまま現れる、金毛の狼。


「無事なようですね」とアヤメ。するとギルオート。


『――敵戦力を把握。非武装15名。可変火器PFA装備の兵士が52名。無論兵士は全員――』


 華麗に着地した彼女を、地面から勢いよく生え出た土の壁が取り囲む。それを一薙ぎ、斬り崩す。


「解っています。グレイターですね」


 そう言いつつアヤメが見据えるのは、今しがた彼女らが飛び出した建物。その壁が更に内側から破壊されると、中からコンクリートと鉄の瓦礫を踏みしめて、四本脚の戦車が顔を出した。


『それとご覧の通り機動兵器アーマードが』とギルオート。


「それも承知しています。――ザガさん!」


 アヤメが叫ぶと、離れた所で銃弾を掻い潜りながら狼が吼えた。


「ここにいる!」


「貴方はエリオン君の救出を! 敵は私達が引きつけます!」


「承知した!」


 ザガは目の前の敵の喉元に食らいつくと、兵士それを振り回して引き千切り、狼狽する他の兵士を蹴散らしながら、瞬く間に森の闇へと消える。


「逃がすなっ!」と、追撃の指示を発する兵士。


 しかしその首は、次の瞬間、弾丸の如くはしり抜けたアヤメの剣閃によって、ゴロリと地に落ちた――。


「彼を追うことはあたいません。貴方がたのお相手は、この不動ふどうアヤメが務めさせて頂きます」


 立ち塞がるアヤメ。森を背に刀を構え、月影の彼女はそう宣言した。

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