第60話 潜入

 エリオンが囚われている部屋とも、アヤメらが身を溶かした宵闇とも違う――そこはもっと不吉で剣呑な、澱んだ空気が濃紺の煙と化したような、くらく妖しい空間であった。

 アーチ状の石柱に囲まれ、円を組んで居並ぶ黒衣の魔導師達。皆が皆、足元まで隠れるローブを身に着け、フードを深く被っている。彼らの中心には、血液で描かれた魔法陣。その血はまだ温かく、新鮮なが、蝋燭の灯りをテラテラと反射していた。


 湿り気のある、不気味な静寂――。頑なに守られていた沈黙は、しかしやがて一人の魔導師が、粛々と陣の真ん中に歩み出ることによって破られるのであった。


「崇高なる闇の盟主が為に」


 その男の台詞を、周りの魔導師達も囁くように復唱する。


「真なる魔王、カザルウォード様の為に、魂の器を」


 男は懐からおもむろに短剣を取り出すと、それを両手で逆さに持って、祈るように天蓋の闇を仰いだ。


「――此の肉叢ししむらを捧げん」


 そして迷うことなく、その刃を己の胸に深々と突き刺す。――間もなく口からゴポゴポと音を立てて溢れた血が、喉から胸を伝い、身体を這って流れ落ちる。その鮮血が魔法陣へと辿り着いた時、床が低く鳴り震え、陣から赤い光が立ち昇った。


「……ま、魔王……様、に……」


 するとそこで、突如男の胸の傷から人の手が突き出す――それが扉をじ開けるように、内側から彼の肉体を引き裂いた。


「ごヴぇッ!」


 血と肉と臓腑が飛び散り、周囲の魔導師らのローブにビチャリと粘り着く。

 その惨たらしい光景は、しかし彼らにとっては感動のそれであるようで、何人かの魔導師が、フードの奥で「おお」と声を洩らした。そして彼らの畏敬の眼差しは、にえの中から現れた銀髪双角の男――カザルウォードに注がれていた。


「……ふぅ。ったく、いちいち面倒な魔法だ」


 凄絶な登場を果たしたカザルウォードは、全裸の肢体を血と肉に塗らしたまま、そう言って髪を掻き上げる。そうして彼が気怠げな一歩を踏み出すと、身体に付着した肉片達は気味悪く形を変え、一弾指いちだんしの間にその身を包む漆黒の鎧となった。


出でよ我が下僕よズーム・ニムヴァエラ


 次にカザルウォードが、床に落ちている心臓に手をかざして唱えると、それは真っ直ぐ立ち上がるように伸びて、次第に枝分かれし、まるで編み物か蛇の如く絡み合いながら、ニムヴァエラの姿へと変じていくのであった。


「ありがとうございますわん、魔王様」


 表面から臓物の赤黒さが失われ、不気味な薄紫の肌を得て、にっこりと微笑むニムヴァエラ。

 すると魔導師の一人が進み出て、二人の前でうやうやしく額突ぬかづいた。


「ようこそお出でくださいました。魔王様、ニムヴァエラ様。偉大なる盟主方を奉迎ほうげいできましたこと、一族恐縮の至りに御座います」


 しかしそんな態度はも当然である、とでもいうかのように、ニムヴァエラは、


「あらそう、良かったわねん」


 とだけ述べて、その横を通り去る。そしてカザルウォードはと云えば、やはり彼も平然とした顔で、平伏したままの魔導師に向かって訊いた。


「モリドの拠点は?」


「……これより南西200キロ程にある、ジウナ山脈中腹の森で御座います」


「そうか、ご苦労さん。じゃあお前ら、もう帰っていいぞ」


 そう告げられた魔導師は、畏み立ち上がれど頭は垂れたまま。その肩を、カザルウォードは軽く叩いてから歩き出す。


「さあてやるか、ニム」


「あら? 魔導師この子達は連れて行きませんのん?」


「ああ、久々の戦争ケンカだ。はお前一人で充分だろ」


「お優しいこと。でしたらお手柔らかにお願いしますわん」


 などと言いつつ、ニムヴァエラは舌舐めずりをして、その歪んだ欲情を露わにした。


 二人は魔導師達に見送られ、暗い階段を昇り外に出る。――夜の帳は充分に落ち、廃村と思しきその地域の周りには、星月以外に道標は無かった。


「南西だったな。飛ばせばそう時間はかからねえが、やっぱ普通の転移魔法が使えねえってのはダリぃもんだ」


 カザルウォードはそんな愚痴を零しながら、翼も機械も持たずして、フワリと宙に浮き上がる。それと同じ様にして続くニムヴァエラ。


「仕方ありませんわ。転移魔法にだって、というものがありますのよん? 魔王様は魔力が膨大過ぎるのですわん」


「つっても、兵隊数万人は運べるんだろ?」


 二人はそのまま、数十メートル上空にまで昇ってゆく。


「あらん? 魔王様はご自身の力が、数万の軍勢に劣るとお思いになって?」


 そう言われてみて、「まあそりゃねえな」と納得するカザルウォード。


「そういうことですわん」


 ニムヴァエラは満足げに微笑むと、半月を背に南西の空――モリドのダカルカン基地に向けて、颯爽と風の如く飛び立つ。するとカザルウォードも、仕方なさそうに溜め息を吐きつつ、しかしそれよりも遥かに速いスピードで、夜空を翔けていくのであった。



 ***



 目にも止まらぬ速さで繰り出される手刀――その一撃が首に決まり、言葉を発することもなく崩れ落ちるモリド兵を、ザガは素早く抱きかかえた。

 その後ろで振り返った兵士もまた、人間では到底抗いようのない力で、ギルオートに羽交い締めにされ、喉元に突き付けられたアヤメの刀によって、動きも声も封じられた。


 エリオンがいるであろうと、当たりをつけた建物の脇――。


「抵抗はなさらぬよう。さすれば命は取りません」と囁くアヤメ。


 兵士が歴戦であればこそ、彼女のその台詞が単なる脅しではなく、確実に遂行され得る行為の警告であると、理解出来た。穏やかな口調とは裏腹に、刀身の延長線上にある殺気は、間違いなく既に彼を貫いているのである。

 ヘルメットの隙間から垂れた冷や汗が、ゆっくりと首にまで伝っていくのを感じながら、男は小さく頷いた。


「この建物に、虹色の髪をした少年が捕らわれているはずです。間違いありませんか?」


 アヤメが尋ねると、兵士はコクコクと小刻みに首を振る。


「では詳しい場所と警備状態を教えてください。声は静かに」


「……地下の監視房だ。……黒い扉で、常駐の歩哨がいる。カードが2枚ないと入れない」


「そのカードはどこに?」


「歩哨が1枚……もう1枚は、エイレ中尉が持っている」


「そうですか。ありがとうございます」


 アヤメがそう言った次の瞬間、兵士を抑えていたギルオートが、彼の頭をヘルメットの上から両手で挟み込み、細かく激しく揺さぶった。男はその振動で意識を失い、グッタリと倒れ込んだ。


「どうします? マスター」とギルオート。


「俺がそのエイレという輩から、カードを奪ってこようか?」


 ザガがそう申し出るも、アヤメは少し考えてから首を横に振る。


「いえ。尉官から物を奪えば、確実に騒ぎが大きくなるでしょう。それに殊能も戦闘力も未知の相手では、リスクが大きいと思います」


「では――?」


「それなりの防備はあるようですが、このまま潜入しましょう。余程堅牢な物でない限り、扉は破壊できます」


「承知」とザガ、そしてギルオートも同意したものの、しかしそこで、倒れた兵士のヘルメットから無線の声。


『――巡回班A、定時報告が無いぞ。問題発生か?』


 するとギルオートは、躊躇いなくそのメットを取り去り、内蔵されたマイクに口を近付ける。そして発した声紋こえは、その兵士と全く同じ音声であった。


「こちらA班、付近に異常無し」


『――了解』と、通信が切れる。


 その芸当に目を丸くするザガと、黙って頷くアヤメ。

 そうして三人は、素早くモリド兵士達の身体を森に隠し、再び音も無く闇に紛れ込む――。幾分薄まった監視の目を潜り抜け、建物の裏口にあたるドアへと向かった。

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