第56話 渦巻く運命
新たに作られたかの様に、新品同様の清潔さを取り戻した学舎のローブを纏い、ツキノは部屋の前に立つ。するとドアは音も無くスライドし、壁の溝に飲み込まれた。科学の恩恵に馴染みの無いツキノはそれを見て、恐る恐る部屋の外へと足を踏み出した。
部屋と同じく白い壁で成った廊下は、左右に真っ直ぐと伸びており、その途中途中や突き当りの場所に、ツキノがいた部屋と同様の、のっぺりとした自動ドア。素材の色もあって、少々明る過ぎると感じられる艦内である――。
その光源の原理は、到底ツキノには理解出来ない。ただ低めの天井全体は、ぼんやりと明るくなっていて、また床面からも薄っすらと白い光が立ち昇っている。そして、ひとつひとつは弱々しいそれらの明かりが、幾重にも重なることで、艦内の隅々までを総じて昼へと変えているのであった。
「これがインヴェルの船……」
物珍しさと感動で歩みが遅くなるツキノを、先導するアマラが「こっち来て」と急かす。
「あの……アマラ様? ところで何故私が――」
突如こんな場所に連れてこられたのか、という疑問。
「アマラでいいって。んでまあ、そういう
そう言ってアマラは、廊下の突き当りのドアの前に立つ。そこにツキノが追い付くと、ドアは先程と同じく静かに開かれた。――そこは操作盤も何も無いエレベーターで、しかし二人が乗り込むと間もなくドアが閉まり、微かな加重を足の裏に感じさせた。そして再び開いたドアの先は、広い
「わぁ……」と、感嘆を洩らすツキノ。
無論そこがブリッジであるなどということは、彼女には分かりようはずもない。
並んだ
「なんて綺麗な――本当にここが、テンの海なのね……」
ブリッジにはまだ、彼女らの他に人の姿は無かった。しかしツキノが
「お疲れ様です、アマラさん」
と最初に声を発したのは、琥珀色の髪をした女性。滑らかなミディアムロブ。年齢は二十歳前後といったところで、銀縁の眼鏡を掛け、全身にピッタリとフィットした、白い
「おおコノエ、シキ。二人とも哨戒ご苦労さん」
アマラが笑顔で迎えると、もう一人の男――同じくスーツを纏った青年が言う。
「哨戒っつーか、探索だけどな。勿論いつも通り成果は無しだ」
背高で細身の彼は、
「旦那ならもう一周りしてくるってよ。バタンガナンのスラスター、出力上げたから調整してるんだと。ディファレンターもいねえってのに、あの人は一体何と戦ってんだか」
「そか。んじゃまあ、とりあえず先に紹介しとくわ。――こいつがツキノね」
アマラにポンと肩を叩かれて、軽く押し出されたツキノは、見慣れぬ服装の二人に戸惑いながらも、おずおずと頭を下げた。
「は、初めまして。ツキノです」
「初めまして、ツキノさん。私はコノエ。
眼鏡の女性がそう名乗って微笑み、続いて――。
「
その言葉にツキノが首を傾げると、横からアマラが言った。
「ツキノは
「1つだけ――? 皆さんには、他にも名前があるのですか?」と、ツキノは目を丸くして彼女に問う。
「ああ。俺ら『最初の人』は大抵2つ以上持ってるよ。ファミリーネームとかミドルネームとかさ? コノエはユズリハ、シキはアマヤってのがそれだ。俺は、まあ知ってるだろうけど、アマラ・
「名前がいくつもあるなんて……。ではお二人もルーラーなんでしょうか?」
聞いたことのない名前ではあるが、と思いつつも畏まるツキノ。するとシキが頭を掻きながら答えた。
「ま、一応な。ウィラの人間は皆そういうことになってる。つっても俺らは単なるグレイターで、アマラ達みたいな力は無えが。言うなりゃただのパイロットだ」
「パイロット――?」
「機甲巨人の操縦士のことだ。俺はジン・オレルス、コノエはビャッカ・ヘイムダルって機体に乗ってる。あともう一人この
「巨人の……」
呟くツキノは、フェルマンから話は聴いていたものの、
(これは夢なのかしら? ルーラーの女神様と一緒に、巨人のいる星船に乗っているなんて――)
しかし夢や幻覚であると決めつけるには、あまりにも意識がはっきりとし過ぎている。そして瞳に映る、鮮明な輝きに満ちた星々の世界は、とても彼女の頭で思い描けるような、人智の及ぶ光景ではなかった。
「あの……私はこれからどこへ――?」
改めてその壮大な宇宙に心を奪われたまま、ツキノはふとその疑問を口にした。するとアマラ。
「とりあえずウィラに行く。お前が悪いワケじゃねーんだけどさ? どうにもあのエリオンってガキは、お前が近くにいると不安定になるみてえだからな。まあまた暴走したとしても、俺がいれば食い止められるんだけど――ひょっとしたらそれも含めて、アイツの計画なのかもしれない」
「? アイツって?」
「クロエ・
「
「うん。ユウは、俺達ウィラとは違う目的で動いてるんだけどな……。だがとにかく、あのエリオンてのは、クロエに繋がるこの世界唯一の鍵だ」
「エリオンが、世界の鍵?」
「ああ。アイツの持ってる
そのアマラの台詞の意味を、ツキノは理解することが出来ない。しかし自分が恋心を抱く幼馴染が、彼女の想像を遥かに超えて、大いなる運命の渦中にあることだけは察することが出来た。
(エリオン――アナタに一体、何が起きてるの……?)
その問題の前では、ゾーヤに対する嫉妬心など容易に掻き消され、ツキノはただ小さく手を握り締め、エリオンの身を案じるだけであった。
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