第55話 慈愛の女神

 僅かな木漏れ陽の獣道を、ゾーヤが先頭となり、それにエリオンと数人の若手の学徒達が、一列になって続いていく。その中には人間の他にエルフやドワーフも混じっていたが、種族はともかく一様のローブ姿であったので、誰が殊能者で誰が魔法使いであるか、見た目で判断することは出来ない。しかしいずれにせよ、その堂々たる歩みと面構えを見る限り、彼らがそれなりに高い能力を身に付けた者達であるというのは、想像に難いことではなかった。

 沈黙の一行が枝を踏み折る足音に、蟲兎や三つ目蜥蜴といった小動物は慌てて立ち退き、草葉の陰から、その闖入者ちんにゅうしゃらが過ぎ去るのをじっと見守っていた。


 ツキノの行方に心当たりがあると申し出たゾーヤは、その探索と称してエリオンをおびき出し得たものの、用の無い同行者が増えたことには不満を懐いていた。しかし表情にはそれを出すこともなく、彼女は素知らぬ様子で口を開く。


「多分、この先の湖だと思うんだけど」


 幸いであるかどうか――未だ何も知らぬエリオンは、彼女の台詞をそのまま信じつつも、疑問の顔で辺りを見回して言った。


「ツキノはなんで……? 学舎の規則を破ってこんな所まで――」


「さあ? でも『森の湖に行きたい』みたいなことを言ってたよ」


 とぼけた顔をしたゾーヤの言葉は、無論嘘である。場所に関しては真実であったものの、彼女の目的はツキノの捜索などではなく、エリオンの身柄の確保――その先で待ち受けるエイレの部隊と合流し、彼を連れ去ることに他ならない。


「なんか悩んでたみたいだから、気分転換とか――独りになりたかったのかもね」


 その台詞を聴いて、エリオンの表情にかげりが浮かんだ。


(やっぱり……僕のせいなのかな……)


 そんなことを考えては一層ふさぎ込み、俯いたまま彼が歩いていると、その前で突如足を止めたゾーヤの背中にぶつかった。


「あっ、ごめ――」


「着いたよ」


 隘路あいろを抜けた彼らの目の前に、ぽっかりと森をくり抜いた様な空間――。開かれた空を映す大きな湖に向かって、ゾーヤは「あれじゃないかな?」と指を差す。


「……ツキノ――?」


 その指先をエリオンの視線が辿ると、穏やかな水辺の縁には、学徒のローブを纏ってフードを深々と被った人影が独り佇んでいた。髪を隠し背中を向けている為、それが果たして本当にツキノであるかは判別出来なかったが、ゾーヤはそんな疑いを持たせる隙もなく、振り返って言った。


「皆で行くと向こうが気不味いだろうから、とりあえずウチらだけで行こうよ、エリオン」


「え? う、うん……」


「先輩達もそれでいいですよね?」


 ゾーヤの言葉と一緒に、エリオンが戸惑いつつも他の学徒を見やると、他の学徒らは顔を見合わせてから頷いて了承の意を示した。


「じゃあ、行こっか」


 するとゾーヤはすかさずエリオンの手を引いて、二人だけで歩き出した。水際の小さな人影は微動だにせず、エリオンらが近付くも、その動きに変化は無い。


「ツキノ!」


 やがて10メートル程にまで縮まった距離で、エリオンが声を掛ける。するとその声に応じて、ゆっくりと振り返ったローブの中身は、しかし当然、ツキノとは別人であった。


「な――」


 驚愕の表情で足を止めるエリオン。――その人物は彼が全く見知らぬ少女であったが、彼女は口に猿轡さるぐつわを噛まされていた。そして瞳は恐怖に怯え、助けを求める声の代わりに涙が溢れている。


「だ、誰……? いや何が――」


 エリオンは状況が理解出来ず当惑し、答えを探すように振り返り、彼の後ろに離れて立つゾーヤを見やる。しかしその視線と焦点は、すぐに彼女を通り過ぎて、先程抜けてきた森の抜け道へと移るのであった。


「え……?」


 無表情なゾーヤの遥か後方では、黒づくめの戦闘服を着た男達が、エリオンとともに来た学徒らに銃を突きつけ、取り囲んでいた。そして間もなく、彼らのサブマシンガンが無音の青い火花を散らして、無防備な学徒達を薙ぎ倒していった。


「――ッ!!」


 叫ぶ声も詰まらせ、走り出そうとしたエリオンを、ゾーヤが懐から取り出した銃でもって制止を促す。


「?! ゾーヤ? 何を……なんで君が――」


「おやすみ、エリオン」


 彼女は言いながら、微塵の逡巡も見せず引き金を引く。その銃声だけは湖畔の空高くに響き、遠くの木々から、驚いた鳥達が飛び去っていった。



 ***



 耳を圧迫する静寂の中で、意識を取り戻した彼女は、しかし白い空間の眩さに目が慣れず、思わず顔をしかめた。


(ここは――どこなのかしら? 私……なんで……)


 間もなく自分が裸であることに気が付いて、彼女が慌てて胸を隠しながら起き上がると、トプンッという瑞々しい音が小さく響く。


「――?」


 視線を落とし、自身とそれを包む物体を、訝しげに見つめる。その彼女が今しがたまで眠りを預けていたのは、乳白色をしたゲル状の液体であった。起き上がった彼女は、その繭の様な塊から上半身だけが抜け出した格好になっていた。


「何これ……?」


 一瞬の目眩を経て、霞んだ視界が徐々に鮮明さを取り戻すと、辺りは彼女が見たこともない機械類が置かれた、小さな部屋であることが分かった。

 そこは光沢の無い無機質な白い部屋で、壁付けのテーブルと思しき白い台の上に、淡い光に縁取られた四角い映像だけが浮かんでいる。その画面の中では、見知らぬ文字と波紋形の計測図グラフが軟体動物の如く、刻一刻と緩やかな変化をしていた。


「何なの……ここ」


 彼女は呟きながら、おぼろげな記憶を辿る。


(たしか私、イグルスの酒場を出て……そうだわ。その後に変な二人組に絡まれて――)


 そこから先を憶えていない。魔法で立ち向かおうとしたところを、先手を打たれて意識を失ったのである。

 そして記憶がそこに至ってから、彼女は唐突に不安を感じ取って、自分の身体をまさぐるように撫で回し、股の間にまで手をやった。


 するとそこで――。


なら心配無いぜ?」と、少年じみた若い女性の声。


 ハッとして顔を向けた先――部屋の隅には、一体いつの間に現れたものか、白い紳士服スーツを身に纏った、短い赤髪の少女が立っていた。


「この姿の俺と会うのは初めてだよな、ツキノ。悪かったな、イキナリでさ? 正直なとこ、人間同士のいざこざに手を出すつもりはなかったんだけどね」


「アナタは……」


 少女を見て、ツキノは茫然と呟く。――繭から目を醒ました彼女は紛れも無く、エイレに頭を撃ち抜かれ絶命したはずのツキノであった。


「でもまあ、お前は色々と面倒見てくれたし、恩を仇で返すってワケにもいかねえだろ? だから今回だけは再生たすけさせてもらったよ」


 無邪気な笑顔を見せるその少女を、ツキノは知っていた。と云っても、実際に会ったことは一度もない。しかし幼い頃から聴いていたお伽噺の中で、フェルマンの家で読み漁った書物で、双翼の学舎に立つ像の一人として――このいちなる世界において、その者を知らずに育つことの方が、難しいくらいなのである。


「アナタは慈愛の女神……アマラ様? じゃあここは――」


「ここはテンの海、宇宙艦リ・インダルテの中だ」


「ウチュウカン? テンの海って……じゃあ私は、インヴェルの星船に?」


「うん。あーそれとさ、大袈裟な呼び方は好きじゃねえからさ? 俺のことはアマラでいいよ。それか今まで通り『ププ』でもいいけどさ」


 創造と慈愛の女神――絶対者ルーラーアマラはそう言うと、真っ白な八重歯を見せて笑った。

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