第54話 知らざる無情

 イグルスから2キロ程離れた場所にある、大きな湖のほとり。水面に映る月は今だかげり、人里離れた闇は益々深い。

 そんな中、梟の如き静けさを以て、木立の影に重なりひっそりと佇む人影。微動だにせず待つその影の許へ、獣道から姿を現した二人組の男達が合流した。


「ほらよ、ご注文の品だぜ」と、その片割れが言う。


 影の女――マントとフードを深く被り、その隙間から緑色の髪を覗かせるエイレの前に、男は担いでいた少女の身体を、無造作に放り落とした。

 エイレは冷たい眼でそれを見下ろすと、うつ伏せのまま動かぬ少女の白い髪を掴み上げて、その顔を確認する。


「……間違いないようだな」


 言うまでもなく、その少女とはツキノであった。


「ああ。言われた通り手は出しちゃいねえぜ? それとこいつは、そのガキの手荷物だ」


 彼女を攫ってきた男は、言いながら肩掛けの革袋をエイレに投げ渡す。彼女がその中身をあらためると、何冊かの魔法に関する書物とノートが入っていた。


「学徒ってなぁ、まったくお勉強熱心な奴だぜ。酒場にまでそんなモン持ってくるなんてよ」


 男達が嗤うもエイレは感情を見せず、その袋を後ろに付き従っている兵士に渡す。


「ご苦労だった」


「おう、マジで苦労したんだぜ? そのガキは見かけによらず、かなりの魔法使いだったんでなあ。こっちも命からがらってやつさ」


 そううそぶく男に、彼女は「そうか」とだけ返し、マントの懐に手を入れた。


「だからよ、ほらアレだ。危険手当っつーことで、報酬はもう少し上乗せ――」


 するとそこで、男の声は響きを失った。依然口は動いたままであるが、しかし言葉おとだけが無に飲まれて消える。


「…………?」――戸惑う男。もう一人も同様に首を傾げて、顔を見合わせる。


 互いに掛け合う声すら聴こえず、彼らは怪訝な表情で辺りを見回してから、再びエイレに目をやったところで、彼女の手にある銃に気が付いた。


「――!?」


 静寂それがエイレの殊能――『ノットの霜』の効果であると、二人が理解することはあたわなかった。それより前にエイレの銃口が、無音の火を吹いたのである。


「!!」


 驚くべき早業によって額に風穴を空けられ、目を見開いたまま、鮮血を垂れ流して崩れる男達。

 しかしそれでも尚、物音ひとつ認められない湖畔では、森の小鳥が眠りから覚めることすらなかった。


「………………」


 二人の絶命を確認したエイレは、そしてそのまま、淀みない動作で照準を下げる――銃口が向けられた先は、まだ深い眠りについているツキノの頭。

 真新しい紺色のローブと滑らかな白色の髪を土に汚されながらも、その横顔は美しくも可愛らしくもあり、また穏やかなものである――。


 それを見つめながら、エイレは引き金を引いた。

 ツキノの身体は、頭蓋を撃ち抜かれた衝撃で、一瞬ビクリと動いたものの、それだけである。最期の言葉も断末魔も無い。ただ栓を抜かれたボトルの様に、地面に大量の血を零すだけであった。


「……後の処理は任せる。袋に詰めて湖にでも沈めておけ」


 殊能を解除したエイレは、部下にそう告げながら銃をしまう。そして改めてフードを被り直すと、何事も無かったかのように、早々にその場を立ち去った。



 ***



 山の向こうで黎明が滲み始める頃、エリオンはふと目を覚ました。小窓の外を行き交う小鳥は、いつも通りのさえずりで朝を歌っていた。


 二人で寝るには小さいベッドで、彼は自分の肩に寄り添うゾーヤの頭を、眠りを妨げぬようそっと退かすと、足元の下着を拾い上げて身を起こした。

 柔肌を晒す彼女に、薄い綿の布団を掛け直し、それに背を向けて自分は静かに服を着る。すると後ろから。


「起きたんだ? 早いんだね、エリオン」


「わ……」


 突如掛けられたゾーヤの声に、エリオンは軽く身を震わせた。


「ああゴメン、ゾーヤ。起こしちゃった?」


「ううん。ウチも朝は早く目が覚めるんだ。眠りが浅いからかな」


 ゾーヤはそう言いながら、布団を胸に巻き付けて起き上がると、つぶらな瞳でエリオンを見つめる。それに対し彼は、気恥ずかしそうに目を逸らした。


「そ、そうなんだ……。僕はいつもは、もう少し、寝てるんだけど――」


「ふぅん。じゃあもっかい寝る?」と言って、顔を寄せるゾーヤ。


「え?! あ――っと、いやっ、その……」


 頬を赤くしたエリオンが慌てるのを見て、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。


「冗談だってば。カワイイね、キミ」


「ゾ……ゾーヤも――か、可愛いよ……」


 照れながら再び顔を背けるエリオン。その後ろで、ゾーヤの目が細められる。


(ヤベーぐらいな、コイツ……。これならウチだけでも拉致れそうだ。エイレに連絡して、少し予定早めてもらおっかな)


 彼女にそんな『裏』があるとも知らず、エリオンは思い付いたように振り返り、笑顔で言った。


「そうだ、よかったら一緒に朝食――」


「いいよ。食堂開いてるかな?」



 ***



 いつも通りのローブに着替え、エリオンとゾーヤが二人が並んで1階したに降りてくると、上級学徒と思しき何人かが、廊下を慌ただしく駆けていった。そしてエリオンの姿を認めた一人が、足を止めて声を掛けた。


「エリオン学徒、丁度良いところに」


「おはようございます、イオハ上級学徒。――何かあったんですか?」


「君はツキノ学徒と親しかったね。彼女を見かけなかったかい?」


「ツキノを? ツキノなら、昨日のお昼に会いましたけど……」


 と言いつつも、その別れ際を語るのは何となく気が引けて、口籠るエリオン。


「そうか――ならいい。ありがとう」と上級学徒。


「あの、彼女がどうかしたんですか?」


「……行方が知れなくてね。昨夜に学舎を出ていく姿を見た者がいるんだが、どうやらそれきり戻っていないらしい」


「ツキノが――……」と、目を丸くして固まるエリオン。


(まさか僕のせいで? 僕とゾーヤがキスをしたから……?)


 自惚れのようであっても、泣きながらノートを投げつけた彼女を思い出すと、エリオンとしては、あながちその推測が間違いとも思えなかった。

 しかし無論、事実は違う。その場にいる者の中では唯一人、彼の横で戸惑う振りをしているゾーヤだけが、正しい推測を行っていた。


(さっすがエイレ。暗殺しごとが早くて助かるね。あとはコイツをおびき出して、そのままダカルカン支部に運んじまえばいいワケだ)


 その企みを胸に、ゾーヤはおずおずと口を開いた。


「あのー、ひょっとしたらだけどウチ、ツキノ先輩の居場所分かるかも」


「本当かい?」と上級学徒が問うと、彼女は自信無さげに頷いてみせた。

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