第53話 二人の夜
夜の道は、酒場の前を少し外れただけで、容易く闇に飲み込まれる。
しかし今のツキノはそれを気に掛けるどころか、むしろその暗がりの中へと自ら足を運んだ。孤独を感じながら、物思いに耽られる場所――そういう居場所を探すように、目抜き通りから更に遠退く小路を選ぶ。
「エリオンの……バカ……なんで――」
失恋か失望か、呟きとともに零れる一滴の涙を拭うツキノは、やがて適当に進んできた道が、行き止まりになっていることに気が付いた。そして
「よう、お嬢ちゃん。こんなところでまた会うたあ、奇遇じゃねえか」
「子供の一人歩きは危ないって、学舎じゃあ習わねえのかい?」
言わずもがな男達は、酒場で彼女に声を掛けてきた二人組である。しかし先程とは違い酔っている様子は微塵もなく、足取りもしっかりとしたものであった。そしてその瞳はさっきよりも、大分物騒な輝きを帯びていた。
「……なに? 何なのよ、アナタ達」
明らかに善からぬ企みを潜めた眼を、ツキノは毅然と睨み返す。
「へ、変なコト考えないほうがいいわよ。私はこれでも魔法使い――なんだから……」
とは言ったものの、苦し紛れのその恫喝が単語ごとに覇気を失っていくのを、彼女は悔しながらも自覚していた。
そんなツキノの様子を見て、男達は大袈裟な身振りで嘲笑う。
「おーそりゃ恐れ入ったな、こえーこえー」
「だったらオジサン達に見せてくれよ。お嬢ちゃんお得意の魔法をよぉ?」
「……っ!」
魔法使いとして馬鹿にされたと感じたツキノは、怒りに歯を食いしばって自分を奮い立たせると、男達に向かって手を伸ばした。
「
だが彼女が詠唱を始めた瞬間に、男の一人が素早く間を詰めて、彼女の細い顎を鷲掴みにする。
「!? ……んむ――!!」
魔法が阻止され、叫びも上げられぬツキノ。ガッチリと抑え込む男の手を解こうと、必死に藻掻くが、少女の力は余りにもか弱かった。
「解ってねえな。甘いぜお嬢ちゃん。『魔法を使える』ってのと『魔法で戦える』ってのはよ、別モンなんだぜ? ソレが出来るかどうかなんてのは、ウチら傭兵からすりゃあな、ひと目で判るモンなんだよ」
男がそう言う間に、もう一人が懐から小瓶を取り出す。そしてその蓋を開けて、ツキノの顔の前に差し出した。
鼻からしか呼吸が出来ぬツキノは、何とか男に抵抗を試みるも、その瓶から漏れる微かな煙を吸うと、
「おっと――」と男が、倒れ込む彼女を支える。
「へへ……こんなもんで5千オルスたあ、楽な仕事だな。とっととコイツを依頼主に届けて、別の街に女でも買いに行くか」
「だな。でも折角の上物だし、ちょっとぐらい味見してみても――」
そう言って、肩に担ぎ上げたツキノの身体に手を伸ばす男を、もう一人が
「バカヤロウ。お前、あの女の眼を見なかったのか?」
「ああ? あの女って、依頼主か?」
「そうだよ。……ありゃあプロの眼だぜ。手を出すなってのも依頼の条件だからな。迂闊なことした日にゃ、ウチらが殺されるのは間違いねえ」
男は「そんなのは真っ平ゴメンだ」と身震いしつつ、周囲を確認しながら石畳の道を外れていく。そしてツキノを担いだまま、草木の生い茂る獣道へと姿を消していくのであった。
***
そんな事件が起きているとは露知らず、エリオンはいつものように、学舎の食堂で一人夕飯を済ませると、早々に寮の自室へと戻った。
木製のベッドと小さなテーブル。クローゼットの類も無いほど狭い部屋の為、光るデバイス石の欠片が入ったカンテラ1つだけでも、照明としては充分であった。
ローブを脱いで、薄い綿のチュニックに着替えると、彼はベッドに身を放り投げて、物憂げな溜め息を吐く。
(マズいこと言っちゃったな……)
頭の上の壁には、申し訳程度に設けられた小さな窓。そこに目を移すと、青い朧月がひっそりと彼を見下ろしていた。
(明日ツキノに会ったら、ちゃんと謝らないと――)
暫くの間、エリオンが夜空を眺めていると、ウトウトとしてきた彼の意識を、控え目なノックの音が呼び覚ました。
「……?」
規則の就寝時間まではまだ少し時間があるとは云え、夜になってから彼の部屋を訪れる者など初めてのことである。
(ツキノ……かな?)
などという期待と緊張を抱きながら、エリオンは
「あ……」
「よっ!」
立っていたのはゾーヤであった。――入浴を終えた後であるのか、金色の短い髪はしっとりした艶を帯びて、白い肌にはエリオンと同じく、柔らかい薄手のチュニック。しかしその胸元は大胆に広がっていて、ほんの少し背が高いだけのエリオンでも、背伸びをすれば中が覗けてしまいそうな状態であった。
「なんで……?」と言いながらも、エリオンは恥ずかしそうに目を逸らす。
「入っていいかな? 廊下だと少し寒いんだよね」
「う、うん……どうぞ……」
渋々招き入れたエリオンであったが、無論二人の人間がゆっくりくつろげる程のスペースなど無く、彼自身は立ったまま、彼女だけをベッドに座らせた。するとゾーヤ。
「なんで君が立ってんのさ? 座ろうよ、ほらココ」
自分の横をポンポンと叩いて、笑顔でエリオンを引き寄せる。
「え――あ、う、うん……」
しどろもどろになりながら彼女の隣に座ると、二人の重みがベッドを凹ませ、エリオンとゾーヤの身体がピッタリとくっついた。言葉通り少し冷えた彼女の肩に、エリオンの体温が奪われる。
「あ、ああの……な、何をしに――?」
そう尋ねつつエリオンが横を向くと、想像以上に近いゾーヤの顔が、無邪気な微笑みを浮かべて見つめ返す。小さな唇に目が行き、彼は慌てて顔を背けた。
「ナニって、昼間の続き」
「つ――!?」
咄嗟に立ち上がろうとしたエリオンの手首を、ゾーヤが素早く掴んで軽く捻る。その動作でエリオンの重心が崩れると、彼女はそのままベッドに引き倒し、間髪入れずに腰の上に跨った。
「わっ! ちょっ――?」と動揺するエリオン。
ゾーヤは、彼の真っ赤な頬を指先で撫でると、微笑みながらゆっくりと上体を傾ける。顔が近付くにつれ、垂れ下がるゾーヤの髪が、エリオンの
「あっ、あの! ちょっと」
「しーっ。……声、大きいよ」
柔らかな胸の感触と程良い重みが、エリオンの胸を圧すると、彼の思考は停止した。
「ゾ、ゾーヤさ――」
そうして再び、二人の唇が重なる。しかし今度は昼間の時よりも、ずっと長く、ずっと甘い口づけであった。
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