第50話 エイレとゾーヤ

 道の両側に建ち並ぶのは、古典的なレンガ造りの家々。四角いほろの露店が連なる目抜き通りを、1頭立ての機械馬の荷馬車が、ガタゴトと抜けてゆく。

 舗装の甘い石畳で躍る荷台から、林檎が1つ転げ落ちると、それを見た少女が抜け目無い動作で拾い上げて、笑顔で口に運び込もうとした。


「やめておけ、ゾーヤ」


 並んで歩いていた女が、それをたしなめる。


「なんでよエイレ。ウチが拾ったんだから、もうウチの物でしょ?」


 齧り付く寸前で止められたゾーヤは、林檎を眼前で止めたまま口を尖らせて、そう不満を洩らした。


「大佐から略奪の許可は下りていない。余計な行動は慎め」


「これは略奪じゃなくて拾得っていうんですけどー?」


「同じことだ」


 切れ長の眼で睨まれて、ゾーヤは「ちぇっ」と吐き捨てながら、林檎を離れていく馬車に投げ入れた。


 ――イグルスの街中。


 モリド諜報員の根回しや偽造の身分証などにより、黒面の死神ことゼスクスの部下である二人は、恙無つつがなくこの街への潜入を果たしていた。


 深緑の長い髪を団子状に束ねたエイレと、短い金髪を遊ばせているゾーヤは、無論人目を惹かぬよう、ともにアマンティラ大陸では一般的な庶民服――首元に雑な刺繍が施された綿チュニックと、丈長のブレー、それに薄革の裏に亜麻を張り合わせた、くるぶしまでのブーツ、という恰好である。

 しかしながらそれは男性の服装である上、二人は元々が目鼻立ちの整った、しかも若い女性であった為、その変装は彼女らが望むほどには、意図した効果をもたらししてはいないようであった。


「ねえ、エイレ。なんかチラチラ見られてる気がするんだけど。ウチら実はバレてる?」


「あまり周りを見るな、ゾーヤ。心配無用だ、視線は感じるが敵意は感じない。女が男の服を着るというのが、この国では珍しいんだろう」


「ふぅん……つってもヒラヒラしてたら、いざって時にヤベー動きにくいよね」


「同感だ。性別で服を分けるなら、体型に合わせるだけでいい」


 そう述べたエイレの胸元は、はち切れんばかりに迫り上がっている。窮屈そうなその服を、じっと見つめるゾーヤ。


「たしかに……キツそうだもんね、それ」


「………………」


 納得の表情で言う彼女に、エイレは無反応。


 小国とは云え国の中心地である以上、それなりの活気と賑わいを見せる通りを、二人は堂々と闊歩かっぽしてゆく。


「しっかしまあ、冴えない国だねー! 街中でも土臭いのなんのって。これじゃ田舎っていうより遺跡だよ」


「ルーラーを崇める魔法文明など、所詮この程度ということだ。早々にこの地を離れ、我らを導いてくれた大佐の慧眼けいがんに感謝するんだな」


「そりゃモチロン。ゼスクス大佐の為なら、たとえ火の中水の中ってヤツだかんねー。でも林檎は食べたかった」


「大佐と林檎を比べるんじゃない、不敬だぞ」


「へいへい」


 ――やがて街外れの寂れた魔法具屋に辿り着いたエイレらは、『準備中』の札が掛かった扉を躊躇いもなく開け、足を踏み入れる。

 吊るされたドアベルが、コロンコロンと柔らかな音を立てると、奥のカウンターから「いらっしゃい」と、いかにも魔法使いじみたローブの男が姿を見せた。フードのせいで顔は見えないが、折れた背中としゃがれた声が、おおよその年齢を物語っていた。


 薄暗く狭い店内は、埃を被った棚に面積の大半を占められており、そこに奇妙な形のガラス瓶や、くすんだ色の木札が並んでいた。所々無造作に置かれた小さな木箱には、『3個で1オルス』と書かれた張り紙。箱の中には乾燥させた木の実が、種類別に詰められていた。


「どんな品物をお探しで?」と男が問うと、エイレは迷わず答えてみせる。


「そうだな――『黒いはさみを一つ。マナル鳥の翼を切りたい』」


「なるほど。……承知致しました」


 く合言葉を聴いた男は、すっくと腰を伸ばし、首元に隠されていた機械に手を当てる。


「――お待ちしておりました、中尉殿。どうぞ上へ」


 すると若々しい声に切り替わり、男は敬礼をしてから、カウンター脇の細い階段を示した。エイレは「ご苦労」と一言、礼を返すと、ゾーヤとともに2階へ。


 軋む階段を上がった先は、屋根裏部屋の様な天井の低いスペースになっていた。隅々まで掃除が行き届いており、下階のような埃っぽさはないものの、古い木の匂いと湿気はそのままである。家具と云えば、脚の短いベッドが2つだけで、その横に黒い化繊かせんのミリタリーバッグが置いてあった。

 エイレが、唯一光が採り込める擦れたガラスの小窓から外を覗くと、店の前の通りの様子と、遠くにある礼拝堂の屋根が確認出来た。


「手狭ですがご容赦を」


 暫しのあと昇ってきた男の台詞に、「構わん」とエイレ。


「中尉の装備はそちらのバッグに。それとこれが、軍曹に着て頂く服です」


 そう言う男の手には、丁寧に畳まれた紺色のローブ――双翼の学舎の制服があった。それを受け取ったゾーヤは、ローブをバサリと広げてみて。


「ダサっ! ヤベーこれ、ただの布じゃん。この国の服のセンス、どうなってんのよ……」


 などと酷評しながらも、渋々その場で着替え始めた。

 一方エイレはバッグを開け、中から組み立て式の銃を取り出す。長方形をした黒い銃である。彼女は横目で裸のゾーヤを見ながら、手元には目もくれぬまま、それを手際良く繋ぎ合わせていく。


「ゾーヤ、我々の任務はターゲットの確保だ。だがティルニヤの時のような強引な手段では、また奴が暴走する恐れがある。ある程度信用させた上で、街の外へおびき出す。貴様の役目はその信用を得ることだ」


「解ってるって。要するに『お友達ごっこ』をしてくればいいんでしょ? 田舎モンのガキぐらい簡単に騙せるよ。――これどっちが前なの」


 ゾーヤはローブの前後に悩みながら、とりあえず頭から被り、中で暴れている。


「本人は子供そうでも、取り巻きがいる可能性がある。――葉の刺繍が前だ」


「あ、そう。まあいたところで、って感じだけど。お勉強好きのなんて、ウチの相手じゃないし」


「侮るな。少なくとも学長トップは化け物だぞ。他にも厄介なグレイターが何人かいる」


「でも大佐の元お仲間とかってのはいないんでしょ? たしか『オレルスの弓』と『ヘイムダルの頭』――?」


「その二人はいない。それにルーラーもな。どれか一人でもいれば、BiSMバイスムでない貴様が勝てる相手ではない。もし奴がいるようなら、バレる前に撤退しろ」


「アイアイサー」


 すっぽりと頭を出して着用を完了したゾーヤが、幅広の袖で隠れた手を上げて敬礼する。


「よし。ではミッション開始だ」


 それとほぼ同時に銃を組み上げ終えたエイレが、感触を確かめる様に照準を覗きながら言った。

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