第49話 秘めた力

 エリオンはツキノと二人で――とは云ってもいつも通りの食堂であったが――夕食を済ませ、彼女に「おやすみ」を告げた後、寮の自室へと戻った。そして深夜になってから、再び部屋を出た彼が向かった先は、礼拝堂であった。


 デバイス石の欠片から創られたが、点々と壁に据えられた燭台で燃えている。足元を照らすには心許ない灯りであるが、それが一層、深更しんこうに息づく静寂を利かせていた。

 学徒に定められた就寝時間はとうに過ぎており、こんな夜更けに礼拝堂を彷徨うろついていることが知られれば、然るべき罰則を受けるのは間違いない。しかしエリオンがこの時間にここへ来るのは、初めてのことではなかった。


 静まり返った堂内に、コツリと響く足音――そして。


「やあ、エリオン」


 高窓から斜めに射し込む月光の領域へ、一人の男が、ルーラー像の前から歩み出る。エリオンは意外な素振りを見せることなく、そちらに顔を向けて応えた。


「こんばんは、レンゾ学長」


「いつも時間通りだね。ボクはその価値を忘れて久しいんだけど。――じゃあ始めようか」


「はい」とエリオンが頷くと、レンゾはルーラー像の台座に手を触れる。


 間もなく彼の右眼が青く光ると、音も無く床に、二人の足元を囲う円形の筋が入った。すると直後、そこだけが幅狭のエレベーターよろしく、すっぽりと地下へと沈んでいった。



 ***



 誰も知らぬ、また通常の手段では辿り着くことも出来ない学舎の地下は、建物全体と同等の広さを持つ、白い空間であった。

 エリオンが数日前に初めてここを訪れた時、真っ先に思い浮かべた映像は、蟻塚のアイオドの樹の中。規模こそ及ばぬものの、造りは正しくそれと同じで、ここは床も壁も天井も全てが継ぎ目ひとつ無く、そしてそれ自体が充分な灯りを伴っていた。


 柱すら無い、ただ広いだけのその空間で、レンゾはいつもと変わらぬ様子で口を開く。


「前回と同じように、まずは基礎殊能からいってみようか」


 振り返ってパチンッと指を鳴らすと、二人の前でズズズと床が四角く迫り上がり、たちまちにしてそれは、3メートル程の立方体を成した。そして内側から色が滲み出るように、輝く銀色の金属へと変じていく。


「大きいですね……」とエリオン。


「まあ前回よりはかなり重いよ。ここの学徒達の研究では、グレイターが基礎殊能で持ち上げられる重量の限界は、大体100キログラム前後という推測がなされている。でもこれの重さは20トンだ」


「20トンて――2万キロですよね」


 呆気にとられ、当たり前のことを口走るエリオンの前で、金属の塊は、それを証明するかの様な存在感を放ちながら鎮座している。


「うん、常識で考えれば1ミリも動かないだろうね。でもキミが『他の学徒達が使う重りだと、力加減が分からなくて上手く出来ない』なんて言うから、わざわざ用意したんだよ?」


 レンゾはそう言うものの、それは実際エリオンの正直な感想であった。

 実践練習とうたわれた講義の初日、基礎殊能を計る目的として用意された50キロの重石は、彼が殊能で持ち上げようとした時、余りにもと感じたのであった。喩えるならば砂粒ほどの埃、或いは羽毛の繊維1本――押し殺した吐息でさえ吹き飛ばしてしまうのではという、そんな感覚である。

 故にエリオンは、上級学徒に「石を浮かせてみろ」と言われたところで、それをどう扱えば良いものかが解らず、素直に「上手く出来そうにありません」と応えたのであった。

 そんな一幕があったせいで、彼はすっかり劣等生のレッテルを貼られていたのである。


「すみません……ありがとうございます」とエリオン。


「まあ僕としても、キミの能力の限界を見てみたい、というのが本音ではあるんだけど」


 レンゾは茶目っぽく笑うと、その場から少し離れて、エリオンを手で促した。


「それじゃ、やってみて」


「はい――」


 エリオンは金属塊の真正面に立ち、目を瞑る。おもむろに息を吐きながら、意識を集中させる――。


(うん……これならを感じる……やれそうだ)


 すると巨大な金属のサイコロは、まるでガスを注入されていく風船の如く、質量を感じさせない動きでフワフワと浮き上がり始めた。


「へえー」と感心するレンゾの顔が、徐々に角度を上げていく。


 瞳を開いたエリオンは、それを浮かせたまま片手を前に差し出すと、ボールを撫でる様な仕草で手の平を回す。――その動きに合わせて、塊がゆっくりと縦横に回転した。


「もっと速く出来るかい?」


「――はい」


 レンゾの指示に従って、エリオンは両手を前にかざすと、塊を凝視しながら目を見開く。


「おお……」と、感嘆の声を上げるレンゾ。


 立方体は中心点を固定されたまま、その回転だけが狂ったように、縦横無尽に恐るべきスピードで加速されていく。それは次第に風をまとい、やがて面や角を見失って、ぼやけた球体として視えるまでなった。


「おおおおおっ?」


 暴風が二人のローブの裾をバタバタとなびかせ、レンゾは思わず目を細めて前のめりになる。


「……っ、もういいよ、エリオン。止めていい」


 彼がそう告げるとほぼ同時に、まるで慣性など存在せぬかのように、球はピタリと止まって四角に戻った。

 束ねていた髪の毛を散らかされ、無残な姿になったレンゾが苦笑しながら言う。


「いやいや予想通り――じゃないな、予想以上に強い力だね。ここまでいくと、基礎殊能と言ったところで誰も信じないだろうな。これはもう、物体操作系の顕現名帯者ネームドレベルだよ」


「ネームド?」


「同種同系統の限定殊能の中で、特に優れた能力を顕現させたグレイターに付けられる、謂わば二つ名みたいなものだよ。まあだから基礎殊能では付かないんだけど」


「そうなんですか……。じゃあ『ウルズの刻』っていうのは――」


「それはゼスクスが持ってる、現象制止能力の顕現名けんげんめいだね。まあそれはさておき――」


 レンゾは再び静かに佇む金属塊に歩み寄ると、それを軽くノックしながら言った。


「今度は肝心の、キミ独自の圧縮ちからを検証してみよう。出来るかな?」


 その問い掛けに、エリオンは不安そうな表情で「やってみます」と返した。そして左手で右手首を抑えながら、掌を前に向け、自分に言い聞かせる。


(……パルゲヤを思い出せ。スケルガルのコアを破壊した時のイメージを――)


 深呼吸しながら、じっと塊を見つめるが――しかし。


「うッ?!」


 脳裏をよぎったのは、原形すら失ったゴブリンの死骸と、ヘッドギアごと頭を潰されたモリド兵士の姿。その凄惨な映像がフラッシュバックして、エリオンは堪らず嘔吐えずいた。そして両手で口を抑え、俯く。


「ふうむ……やっぱりダメか」


 それを見たレンゾは、それほど深刻なものではないものの、軽い溜め息を吐いた。


「どうにもキミは、過去にそれを使った時の状況がトラウマになってるみたいだね。魔法と違って殊能は直感的なものだから、そういう精神状態は発動を阻害する。こっちは少しずつ改善していくしかないな」


「……す……すみません」


「まあそんなに気にすることはないよ。少なくとも明らかな目的意識がある時は使えるみたいだしね。気楽にいこう」


 そう言ってレンゾは、エリオンの肩を軽く叩いた。

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