第48話 黄昏

 アマンティラ大陸は、その7割が温暖湿潤気候に属しており、ここネオネストもそれに含まれている。

 国土は全て盆地に収まっている為、夏は際立って暑いものの、双翼の学舎があるイグルスの街の近くには洪大な湖があり、それが熱波のような南風を、爽やかな涼風へと変えてくれるのであった。


 エリオンとツキノが学徒となってから数日も経つと、彼らが学長のお墨付きで入学した者であるという噂は、その風に乗るかの如く、瞬く間に広まっていった。しかしその後の1週間ほどで、二人の評判は、まるで正反対なものになってしまっていた。


「――あの白髪の女の子、凄いらしいね。習いたての分離詠唱をもう実践してるんだって? 普通なら半年はかかるっていうのに。大したものだなあ」


「ツキノ学徒よね? 彼女の何が素晴らしいかって言えば、古アーマンティル語の知識の豊富さよ。カルヴァンス上級学徒でも頭を抱えるような呪文書まで、スラスラ読んでしまえるらしいわ」


「いやいや分かっていないな、君達は。特筆すべきは彼女の魔法の強さだろう。恐らく膨大な魔素の流れを制御出来るんだ。あれは天性の才能に違いない」


 そんな評価と分析の声が、学舎のあちらこちらから聞こえてくるのである。その噂の全てが事実であるかどうかは別としても、実際にツキノは魔法使いとして、本人も驚くほどの上達ぶりを発揮していたのであった。

 しかしその一方で、エリオンに関してはあまり耳当たりの良くない――と云うより、はっきりいってしまえば、かなり辛辣な意見が多かった。


「彼は基礎殊能すらまともに使えないみたいだね。あれでグレイターと名乗るのはちょっと」


「限定殊能を使おうとすると体調が悪くなるんだってさ。いくら勉強熱心でも、実践で活かせないんじゃあねぇ」


「あんな実力で、どうやって学長の面接に合格したのかしら?」


 グレイターの殊能には、『限定殊能』と呼ばれる独自の個性的な能力の他に、誰しも基本的に使うことが出来ると云われる、『基礎殊能』というものがある。

 前者は炎を操る、幻覚を見せる、瞬間移動をする、自身の身体能力を飛躍的に高めるなど、種類や系統は千差万別であり、一般的に殊能と言えばこれを指す。そして後者は、静的な物体を宙に浮かせる、カードの裏に隠れた図柄を当てるといった、謂わば殊能の前段階に当たる能力で、双翼の学舎に入る者なら使えて当然――最低限の入学条件であった。

 しかし殊能に目覚めてからまだ2ヶ月程のエリオンは、思うようにその感覚を制御出来ずにいた。そしてまた自身が抱える心の問題により、限定殊能である『圧縮』の能力も、思うように発動することが出来なくなっていたのであった。



 ***



 空がしんみりと滲み、そろそろ夕刻という頃合いになってから、聴講と練習を終えたエリオンは、中庭でツキノを待っていた。このところの二人は、互いの勉強や修行に精を出しており、こうして顔を合わせるのは3日ぶりのことである。


 ルーラー像が立つ池の周りで、それを臨むように配置されたベンチ。熱気が鎮められた風を浴びながら待つエリオンに、少し遅れてやって来たツキノが声を掛けた。

 二人の制服姿は、すっかり学舎の風景に馴染んでいる。


「ごめんね、エリオン。来る途中で引き留められちゃって。なんか最近やたらと声を掛けられるのよ。詠唱のコツだとか、古代語の読み方だとか。私の方が訊きたいぐらいなのに」


「そうなんだ。でもきっとそれは、ツキノの力が認められてる証拠じゃないかな。凄い新入生がいるって、殊能こっちの学徒の中でも噂になってるよ」


 エリオンの風評をかんがみれば、皮肉に聞こえなくもないその台詞を、ツキノは素直に受け止めて顔を綻ばせた。彼女は、彼がそんな意地の悪い人間ではないと、誰よりもよく理解しているからである。


「そう? ありがとう、エリオン」


 と幼馴染の称賛に笑みを返しつつも、しかし彼が自分とは対照的な評価を受けて、このところ沈みがちであるということも、彼女は知っている。


「でも私は下地があったから、他の人より少し上手に出来たってだけだと思うわ。アナタは――ここへ来て初めて殊能を学んだんだもの。これからどんどん上達して、あっという間に皆を驚かせるほど凄いグレイターになるわよ」


「そう……だといいんだけどね」


「絶対そう。私が保証するわ。だってアナタはスケルガルにだって勝てたじゃない。あんな恐ろしいモンスターを倒すなんて、他の学徒には絶対無理よ」


「まああれは、アヤメさんとギルさんがいたからね」と苦笑うエリオンに、ツキノは不満げな鼻息を洩らす。


「またそうやって。エリオン、アナタは強いんだから、もう少し自信を――いえ自尊心かしら? とにかくそういうのを持った方がいいと思うわ」


 それはもっともな意見かも知れない、と思いつつ、エリオンは空を仰いだ。


(自尊心か……)


 無い訳ではなく、己を嫌っている訳でもない。しかしユウに諭されたとは云え、蟻塚で自分が犯した過ちは、胸を張って誇れるような事ではなかった。目の前のツキノでさえ、その結果がもたらした悲劇の存在ひとつなのである。


「…………」


 斜陽に映えるその横顔に、ツキノは一瞬見惚れたように言葉を失い、そしてすぐにハッとなって口を開いた。


「……ほ、ほら、そうやってすぐに閉じこもるの、良くないわ。何かあるなら私に言ってよね。相談だって愚痴だっていいんだから。私はその……いつだってアナタの――友達なんだから……」


 僅かな頬の赤らみを、夕焼けが隠す。


「うん。ありがとう、ツキノ」


 エリオンの瞳は優しい。穏やかに見つめられて、ツキノは心臓の高鳴りを感じていた。それを悟られまいと、慌てて話題をすり替える。


「そ、そういえばユウさんって、とても有名な人だったのね」


「そうみたいだね」


「皆が『勇者様』なんて呼んでいたから何かと思ったら、あの人、昔旅をしながらモンスターを退治していたらしいわ。レンゾ学長やレグノイ王と一緒に。だから三人とも『最初の人』なのだわ。驚きよね」


「うん。この世界が生まれる前にあった、『剣と魔法の世界アーマンティル』という所から来たみたいだね」


「あら、アナタ知ってたの?」


「いや、この前僕も学長から聞いたんだ。勇者っていうのは、その世界で誰よりも強く、正しく、勇ましい人間のことなんだって」


「なるほどね。どおりで強いはずだわ」


「うん……」と、小さく頷くエリオン。


(誰よりも強く――)


 彼は自身の言葉を心の中で反芻はんすうし、再び沈黙を抱く。

 それと同じような台詞を、ユウは混沌と破滅の女神――神の敵ともうたわれる、リマエニュカという存在に対して使っていた。


(ユウさんがいた世界だって、リマエニュカに滅ぼされたはずなのに……。何であんなふうに言えるんだろう?)


 ひょっとすると、勇者であったこと以外にも、ユウは何かを隠しているのかも知れない。エリオンがツキノやドトに対して、最も重要なことを話していないように。


(『強さ』って何なんだろう? 真実と向き合うことが強さなんだとしたら、本当の事を話せない僕は――)


 ふと見上げたルーラー像は、黄昏に染まっていた。

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