第47話 女神

「魂の答え……」と、池溝は反芻はんすうする様にその言葉を小さく繰り返してから、再度エリオンに尋ねた。


「――それは昨日の面談で話していたものと同じ? その、アルテントロピーというのは」


「はい。あの当時と今では認識が違いますが、力としては同じものです」


「たしか情報改変力――と言っていたよね? 魔法や超能力より遥かに優れた力だと」


「はい」


「それを君が使えるということ? もしそうなら――」


 問いながら池溝は、しかし途中でハッと我に返って言葉を止めた。そして自身が発した台詞を振り返ると、呆れた様に失笑を零した。


(なに馬鹿なことを言ってるんだ、自分は。彼の話はどう考えても創作だし、現実にそんな力が在るわけないってのに……。患者の妄想を本気にするなんて、まともじゃないな)


 しかし対するエリオンの顔は、真剣そのものといった表情であった。少なくとも彼自身、それを妄想などとは思っていない様子である。

 そして彼はまたしても、池溝が言いかけた先の言葉を読み取って応えた。


「今は使えません。まだこの世界との紐付けは完全じゃないので。ですから証明は難しいと思います」


「うん、まあ――(そりゃそうだろうな)」と、納得する池溝。


 このところ、あまりにも熱心にエリオンの話に付き合っていたせいで、どうやら彼の妄想が刷り込まれてしまったようだ――そう思って、池溝は自分を戒める。それによくよく考えてみれば、休憩所が花で埋もれたから何だというのか。あの場所は監視カメラにも映っていないし、仮にエリオンの仕業であったところで、一晩もあればは可能なのである。


(花をどこから持ってきたのかはともかく――いや、そもそも彼がやったという証拠すら無いんだ。客観的に考えれば解ることじゃないか。馬鹿らしい)


 そう結論付けた彼は改めて、想像に囚われつつあった思考を解きほぐすことにした。


(私が変に思い込みをしたのは、彼の話が緻密で、妙にリアリティがあったからだ。細かな設定に至るまで考えられていて、まるで実際に見てきたような――)


 そこでと気が付いて、別の質問を投げ掛ける。


「ところでエリオン君。君は本は好きかい? もしくはよく映画を観たり、そういう記憶はあるかな?」


 するとエリオンは一瞬黙ってから。


「……本は嫌いではないです。フェルマン先生の家や、学舎でも何冊か読みました。映画を観たことはないです。あっちの世界にはありませんでしたから」


「そうなんだ」と頷いてから、再び考え込む池溝。


(彼の話は、所謂いわゆる宗教妄想に近い。だが統合失調症特有の不条理さやあらは無い。つまり完全な創作ではなく、充分に構築された根拠元ネタがあるんだろう。それを調べれば、彼の受けた影響から心理状態が量れるかもしれないな)


 テーブルに視線を落とす。曖昧な視野の中で、手付かずの鯖の味噌煮と白米が、微かな湯気を立てていた。彼が箸をつけないせいか、エリオンも自分の皿に手を伸ばそうとはしない。


「ん――? ああ、ごめん。話してばかりじゃ食べられないね。……いただきます」


 池溝は、プラスチックの箸を親指に挟んでお辞儀をすると、そそくさと食事を始める。その前でエリオンは、暫くサンドイッチを見つめたままであった。



 ***



「食べないの? エリオン」とツキノ。


「うん? ああ、なんか食欲が湧かなくて」


「じゃあ貰うわね」


 ツキノはそう言って、エリオンが残した茶色いサンドイッチを、横からスルリとさらっていく。

 甘辛のタレに漬けた干し肉をスライスし、仄かな酸味のある果実を輪切りにしたものと、爽やかな薫りのハーブを少量。それらをライ麦パンで挟む、通称『学舎サンド』――それがこの食堂の人気メニューであった。


 双翼の学舎の1階にある食堂は、長机を連結させた片側20席ほどの島が、ズラリといくつも並べられている。500人程の容量があるが、在籍する学徒数はそれより多いので、皆が皆ここで食べる訳にもいかず、大抵の者は中庭や寮の自室、或いは図書館で調べ物などをしながら済ませることが多かった。それ故、料理のほとんどは紙包みで売られている。


 午前中で一通りの案内を終えたエルフの少女は、エリオンらに丁寧な挨拶をしてから、二人を食堂に残して去っていった。そして去り際に彼女が教えてくれたその看板メニューを、彼らは揃って注文して、今しがたそれを食べ終えたところであった。


「不思議な味だけど、なんだかクセになりそう。この草がセラハの葉なのね」


 そう言いながらツキノは、えてほんの少しだけ残したサンドイッチを、布で包んで、腰に付けた小さな革のポシェット――いつもププが潜んでいる場所にしまう。彼女はそうして、少し余らせた食事をププの餌にするというのが、すっかり習慣となっていたのである。しかし今はその姿が見当たらなかった。


「あれ? そういえばププは?」とエリオン。


「なんかね、学舎の中は許可が無いと動物を連れ歩けないのだそうだわ。だから案内の間は、レンゾ学長が預かるって。――変な実験に使われたりしないかしら?」


「それはないと思うけど」


「まあとりあえず、学長室に戻りましょ。お昼までには制服ローブも用意してくれるって言ってたしね」


「うん」と頷いたエリオンは、ツキノとともに席を立った。



 ***



 学長室の応接ソファに、我が物顔で腰掛ける女性――短く所々が跳ね上がった赤い髪と、天然の褐色肌。大人びた瀟洒しょうしゃな白スーツを着ているものの、小柄な身体と無邪気な顔立ちに、成人らしさは見当たらない。黒い瞳は夜の猫の様につぶらで、欠伸をすると同様の白い八重歯が覗いた。


 学長のレンゾは、窓から外を眺めながら、背中越しに彼女へ声を掛ける。


「まさかユウだけでなく、キミまで一緒だったとはね。それだけ彼が重要な存在、ということかい?」


 すると赤髪の少女は、手をプラプラと投げやりに振る。


「別に。まあイレギュラーなのは間違いねえけどさ? ただまたハドゥミオンを創るようなら、ちっとはお仕置きが必要かもな」


「それは解るけど、何もユウまであざむく必要はなかったんじゃないかと思うよ?」


「今のアイツは俺らを避けてるからな。クロエの影響が強過ぎるんだ、アイツは」


 そう言って、困り顔で溜め息を吐く。するとレンゾ。


「クロエ・リマエニュカ――混沌の女神か。キミら同様、ユウも彼女を捜しているみたいだね。彼はエリオンがその鍵なのかもと考えてるらしい」


「そりゃそうだろうな。俺の設定を無視して一等官権限を与えられるヤツなんて、クロエ以外にいるワケねえしさ?」


「なるほどね。それで、キミはこれからどうするつもりだい? アマラ。創造の女神が降臨したと知れば、世界の人々は少なからず影響を受けるだろう。ことにモリドの連中はね」


「別に表立って何かするつもりは無えよ。俺はエリオンってヤツが、どんな人造人間インテレイドなのか確認しときたかっただけだ」


「インテレイドか……やっぱり彼は人間ではないんだね」


「ああ。しかもクロエの完全オリジナルだ。エリオンあのガキが何の為に創られたのか、それは知っとく必要がある」


「……そうか」


 と返したレンゾは、何か言いたげな顔をしたまま、しかしそれ以上語ることはせず、黙って外の景色を眺めるだけであった。

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