第xx話 託宣

 七分丈の検査着を来て、機械のベッドに横たわる青年。その寝台はゆっくりと、薄いベージュ色をした狭いトンネルへと入っていく。彼の頭部――本来の色彩を失った純白の頭の周りを、挟み込む様に対面した箱型の装置が、耳障りな低い駆動音とともに、グルグルと回る。

 その間、池溝は隣の部屋からガラス越しに、目を瞑り微動だにしない青年の姿を、疑惑の目で見つめていた。


(これで何か解ればいいけどな……)


 やがて機械が止まり、ピピッという音の後に、検査室のスピーカーから「お疲れ様でした」と女性の声。

 青年――云うまでもなくそれはエリオンであったが、彼はおもむろに起き上がると、機械の横にあったスリッパを履き直して、看護師に促されるまま部屋を出ていった。


 池溝はそれを見送ってから口を開く。


「お忙しいところ、すみません。田中先生」


 すると横の椅子に座っていた男性が、モニターを眺めながら笑う。


「先生呼びはよしてくださいよ。僕なんかただのレントゲン技師なんですから」


「いやいや、診療放射線技師は立派な『先生』ですよ。少なくとも私はそう思ってます」


 真顔でそう言う池溝に、田中は更なる自嘲を交えた苦笑いをしてみせた。


「有り難い言葉ですけど、そうは言っても所詮、今が僕らの春ってやつですよ。あと10年も経てば、この仕事は全部AI任せになってしまう」


「まあそれは。人間が進歩するほど、機械は進化していきますからねえ。でもそれを言ったらAI診断だって、今じゃベテラン医師顔負けですよ? 速いし誤謬ごびゅうもありません。ホワイトカラーは滅びの道ですよ」


 そう言いつつ、池溝が自分の台詞に溜め息を吐くと、田中は笑顔でそれを否定した。


「ソーシャルワーカーやカウンセラーは残りますよ。機械の最も優秀なところは、キャリアを気にしないところです。相手が誰でも、平気でNOノーを突き付けられる」


「ははは、それは確かに。世俗的な人間わたしじゃあ、大先生の診断に✕印バツは付けられないからなあ。心療内科でも開くかな」


 そんな会話をしているうちに、卓上のモニターの中では、輪切りの脳画像がポツポツと並べられてゆく――それを見て。


「どうですかね? 彼は」と、真面目に切り替える池溝。


「うーん……画像を見る限り、特に異常は無いですね。中脳の血流も良いし、ドパミン神経も正常かな。強いて言うならミエリンがちょっと――」


「ミエリン? 髄鞘ずいしょうに欠損でも?」


「あ、いえ――むしろ逆ですね。ミエリンしょうが普通より厚いんです」


「……つまり――?」


「恐らく、脳内の情報伝達が速いんじゃないでしょうかね。頭が良いとかではなく、もっと器質的な話ですが」


「なるほど」と深く頷く池溝。


「まあそれでも際立って異常、ということはないですよ。彼は総じて健康です」


 と田中は言うものの、池溝はどこか釈然としない様子で考え込んでいた。



 ***



 東鴻大付属病院は地上16階の建物で、その最上階は広々としたレストランになっている。

 白百合色の落ち着いた内装と、余裕ある間隔でテーブルが配置されたその様相は、高級ホテルさながら。品目は和洋中と取り揃えられており、言わずもがな、どのメニューも栄養管理は万全で、味に関しても病院とは思えぬほどの質の高さであった。


 入口に並んだ券売機に職員証IDカードかざすと、ずらりと並んだボタンが光る。池溝はその前で指を踊らせた。


「どれにしようかな、っと。――日替わりでいいか」


 独り言ではあるが、後ろのエリオンにもそれは聴こえる。彼は食券を取ると、再度カードを当てて言った。


「患者さんに奢るのは禁止なんだけど、今日は個人的に話がしたくてね。何が食べたい? 食事制限は無いから、好きなものでいいよ」


「いえ僕は……。――じゃあサンドイッチをお願いします」


「オーケー。それだけでいいのかい?」


「はい」


 昼前であるものの、店内の席は半分程度が埋まっていた。エリオンと同じ患者衣を着た者も少なくない。

 二人はカウンターで料理を受け取ると、窓際にポツンと空いた隅のテーブルへ。


「座って。――この席が空いててラッキーだったね。ここからの眺めが一番いいんだ」


 壁のほぼ全面がガラスになっている為、池溝の言う通りその席からは、周囲の高層ビルに遮られることなく、近くの大きな公園や、そこを流れる人工の小川が臨めた。ベンチで本を読む男性の周りには鳩が集まり、浅く緩やかな川では、ズボンをたくし上げた子供達が楽しげに遊んでいる。

 エリオンは、そんな平和な都会の一角を黙って眺めていたが、彼の綺麗な横顔はそこはかとなく、憂いを帯びているように見えた。


「…………」


「ええっと、エリオン君――」と池溝は、少し躊躇いがちな様子で切り出す。


「食べながらで構わないんだけど、いくつか質問をさせてもらってもいいかな? ああ勿論これは医師としてではなく、あくまで個人的な会話だ。だから当然録音もしない」


 するとエリオンは静かに顔を戻し、赤と青の色違いの瞳を、真っ直ぐ池溝に合わせた。


「僕はどちらでも。――何でしょうか?」


「ありがとう。先に言っておくけれど、ちょっと変なことを訊くかもしれない。気を悪くしないでほしい。無理に答えなくてもいいからね」


 そう前置いてから、池溝は居住まいを正す。しかし先に口を開いたのはエリオンであった。


「あれは彼ら自身の力です。僕はその使い方を少し教えただけです」


 唐突な台詞に、池溝が「え?」と目を丸くする。


「彼らっていうのは、何の話? ――例の世界の続きかな?」


「いえ、こっちの世界の話です。池溝さんは、あの花のことを訊きたかったのでは?」


 それを聴いて、池溝はようやくエリオンの台詞の意味を理解した。そして自分の意図を見透かされていることに、微かな戸惑いを覚えた。


「あ、ああ……うん、そうだ。先日君が外に出た時、君はあそこの花壇で何かをしている様子だった。そしてその次の日には、寂れたベンチの周りがクレマチスの花で埋め尽くされていた。ニュースにもなったぐらいだ。あれは君が――いや、その答えを言ったのか……」


「はい」


「……『彼ら』というのは、あの花のことかい?」


「そうです。彼らは弱りながらも、まだ咲き誇る意志を捨てていませんでした。だから僕は、を彼らに伝えました」


「それ――とは?」


 怪訝な表情で首を傾げる池溝に、エリオンはまるで神託の如く、穏やかな声で告げた。


「アルテントロピー。世界に対する、魂の答え」

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