第46話 講義
丁度3席、上段の端に空いた椅子があったので、エリオンらはそこに座った。
見下ろす教室の景色は濃紺のローブ一色で、しかしながら種族については様々である。後ろ姿でもそれと判るエルフやマーマンに、ドワーフや機械人、狼の頭を持つ
彼らの全てがグレイターかどうかはともかく、少なくとも皆が皆、熱心な学徒であることには間違いなかった。
隣に座ったエルフの少女が、教壇に立つ眼鏡の優男に視線を送りながら。
「あの方は『クヴァシルの血』――シュン上級学徒です」と、エリオンらに囁く。
その彼は、三人が着席するのを満足そうに見守ってから、講義を再開していた。
「先程述べたように、グレイターで云うところの殊能量子と、魔法使いで云うところの魔素は、どちらもともに同じ創元素を表す言葉だが、殊能と魔法ではそのアクセス方法に大きな違いがある。一般に詠唱と呼ばれる、複雑な
学徒らが納得の顔で聴き入る一方、ポカンと口を開けたまま固まるツキノと、頭を抱えて項垂れるエリオン。無論その内容は半分も理解出来ていない。
そんな彼らを他所に、講師のシュンは教卓の下から30センチ程の黒い箱を取り出す。それを卓上にドンと置くと、前面をスライドさせて開き、皆にその中を見せた。
「この箱はペタグラフトニウムという、インヴェルの民の技術を用いて作られた、特殊な合金製の箱だ。中にあるのはただの林檎――物体に直接作用する殊能であれば、容易に影響を及ぼすことが出来る物質だ」
そう説明してから、シュンは教室を見回す。
「この中で、視認せずに物体を操作できる者は?」
すると何人かの学徒が、ポツリポツリと手を挙げた。
「じゃあ君にしよう」と、シュンが指を差す。
指名されて前に出てきたのは、青色の髪をしたドワーフの少年。
「――君の能力は?」
「物体の振動です。元の素材によって効果に差が出ますが、
「触れる必要はあるかい?」
「一度手に取らせてもらえれば、充分です」
「よし。じゃあやってみてくれ」
シュンは林檎を彼に手渡し、少年が確認する様にそれを触ってから箱の中へと戻すと、静かに蓋を閉める。
ドワーフの少年は「いきます」と一言、その黒い箱に両手を向けて、じっと意識を集中させた。そして数秒もすると、手を下ろしてシュンに頷き掛けた。
「では見てみよう」
そう言ってシュンが再び箱から取り出した林檎は、入れた時と同じ、赤々として瑞々しい状態のままであった。
「あれ……おかしいな?」と少年。
しかしシュンはそのまま彼を席へと帰し、箱の上に手を乗せて言った。
「ありがとう。――今見た通り、このペタグラフトニウムという合金には、殊能量子波を遮断する性質がある。彼の名誉の為に言っておくが、どんなに強力なグレイターであっても、この箱の中身や或いは箱自体に対して、殊能の効果を発揮することは出来ないんだ」
林檎を戻し、蓋を閉じる。
「しかし一方で、魔法の発動に対して――正確には魔法が類する超次元干渉を用いた創元素の設定に対しては、ペタグラフトニウムの遮断性は意味を成さない。勿論、魔法で発生させた後の物質であれば、この素材に限らず物理的に遮断することは可能だ」
部屋のあちらこちらから「なるほど」といった、納得の類の声が上がる。
エリオンとツキノも、これに関してはなんとか理解が追い付いたようで、「へえ」と感心しながら頷いた。
「やっぱり魔法こそが万能なんだわ」と、得意気にツキノ。
するとエリオンが、小声でそれに反論する。
「でもフェルマン先生が『状況によっては詠唱を必要としない殊能の方が、魔法より実用的なこともある』って言ってたよ」
「だからそれは、限定的な話でしょ」
「それはそうだけどさ……なんていうか、もっと柔軟な考え方をした方が――」
そんな二人のヒソヒソ話であったが、それが静かな教室で注目を集めるには、果たして充分な音量であった。
「君達は今日から入学した子だね?」とシュン。
「!? あ、はい! あの――すみません……」
申し訳無さそうに縮こまるエリオン。ツキノも「ごめんなさい」と畏まる。しかしシュンはそれを見上げつつ、微笑んで応えた。
「いや、いいんだ。議論は思考を磨く最良の手段の一つだからね。ただもうすぐ講義の時間が終わるから、舌戦を繰り広げるのはその後にしてくれると助かるな」
その台詞で更に小さくなる二人。そして教室が静まり返ると、改めて口を開くシュン。
「今日の講義はここまでだ。――何か質問のある者は?」
「………………」
しんとした静寂はそのまま。
「宜しい。ではこれで講義は終了だ」
学徒達が席を立ち、シュンの横を通り過ぎて、ぞろぞろと出払っていくのを見つめるエリオンとツキノ。その横で案内役の少女も立ち上がる。
「では私達も。そろそろお昼の時間です」
笑顔の彼女に従い、他の学徒に続いて段を降りる二人。そこでエリオンは、ふと思い付いた様子で顔を上げ、教壇の横で足を止めた。
「あの……」と、シュンに声を掛ける。
「? ――何かな?」
「さっきのチョウジゲン……カンショウ? 魔法が類するっていうのは――、他にも魔法や殊能みたいな力があるということですか?」
エリオンの質問を受けて、シュンは持ち上げかけた合金の箱を教卓に下ろした。
「……君はグレイターだね? 名前は?」
「エリオンです。――何故僕がグレイターだと?」
「その頭を見れば判る。グレイターは頭髪の色素が豊富だからね。もっともそこまで複雑な色は初めて見たが」
「そうなんですか」
どおりで奇抜な色の髪が目に付くはずだ、と得心するエリオン。同時にまた、奇異の目で見られがちであった自分の
「それでエリオン。今の質問の答えだが――」とシュン。
「あるよ。魔法や殊能を遥かに超える、絶対的な力がね。名前は聞いたことがあると思うが、それは『アルテントロピー』と呼ばれている」
「アルテントロピー……って、神の御意志のことじゃ?」
「そう訳されることが多いが、本来は『情報改変力』という意味だそうだよ。使える人間が――人間と云っていいのか分からないが、それを持つ存在が特別過ぎる為に、研究らしい研究は行われていないけどね」
「? 特別な存在というのは――?」
「
「ルーラーの……(じゃあユウさんも)」
「詳しく知りたいのであれば、学長に訊いてみるといい。あの人はそれを目の当たりにしてきた最初の人だからね」
シュンはそう言って微笑んだ。
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