第45話 双翼の学舎

 イグルスの街の真ん中――それはつまり、ネオネストという国の中心地とも云えるが、そこで半円形に連なる城の如き大厦たいかこそが、双翼の学舎であった。

 荘厳な建物はその名の通り、中央にそそり立つ礼拝堂から、尖塔を生やした棟が翼の如く、東西に弧を描いて広がっていた。その両翼の先にまた、小ぶりの城の様な塔がそびえているのである。

 左右の塔の間は、そのまま円を繋ぐ形で高い鉄柵が続き、礼拝堂を正面に見据える位置に、太い石柱で囲われた正門。その手前に、見張り小屋らしき木の建物。

 緑の敷地の中庭には、石レンガの丸い池があり、中央に建つフォーマルスーツを着た男女の銅像が、天にかざした手から水を溢れ流していた。


西翼せいよくの建物がグレイター用の校舎兼学徒寮、東翼とうよくが魔法使い用の建物です」


 栗毛と三角エルフ耳の少女。歳の頃はエリオンらと然程変わらない。紺色の生地に山吹色で枝葉の刺繍をあしらった、膝丈のローブを着ており、その下に灰色の薄手のホーズ。

 男女問わず同様の恰好をした者が、敷地の至るところで見られた為、エリオンはそれがここで定められた服装なのであろうと理解した。


 彼女の案内の下、小さな皮袋の手荷物だけを持ったエリオンとツキノは、巨大な礼拝堂の門前へ。


「この学舎では立場に関係なく、在籍するグレイターを『殊能学徒』、魔法使いを『魔法学徒』と呼んでいます」


「先生のことも?」とツキノ。


「ええ。教わる側も教える側も、ここでは皆同じく学徒です。レンゾ学長いわく、『接して学ばざるは怠惰の証』――碩学せきがくの人こそ、どんな些細なものからでも何かを学べるのだそうです」


「へえ。なんか意外ね」


 レンゾのことを、横柄で大言壮語を撒き散らすだけの人物かと思っていたツキノは、言葉通りの表情でそう言った。


「あの方はご自身も学徒であると仰られていますが、皆は敬意を払って『学長』と呼んでいます。またもっぱら教える側である人を『上級学徒』と」


 そう説明しながら、少女は閉ざされた巨大な門扉に触れる。すると表面に文字が浮き出て、扉は重々しくゆっくりと開いた。


「――この門に限らず、学舎の扉のいくつかにはセキュリティが掛けられています」


「セキュリティ? って何ですか?」と、聞き慣れぬ言葉にエリオンが小首を傾げた。


「侵入者警戒の為の安全装置、といったところでしょうか。転位装置同様、このセキュリティシステムも学長が開発された物なんですよ」


 三人は礼拝堂に足を踏み入れる。――染みひとつ無い白地のタイル床。中には何人かの行き交う学徒や、物静かに佇んでいるだけの者もあった。

 椅子が無いせいか、そこはエリオンが想像していたよりも広く感じられ、高く吹き抜けになった静寂の空間には、甘さと清涼感が入り混じった、独特な匂いが漂っていた。

 覚えのあるその香りを、ツキノは鼻から胸一杯に吸い込んで、吐き出す。


「この香り……なんだか懐かしい。フェルマン先生の家と同じ匂いだわ」


 うんうんと頷くエリオンとツキノに、少女が微笑んだ。


「じゃあその方も魔法使いなんですね。この匂いは『セラハの薬香やっこう』という、体内の魔素の流れを調節してくれる魔法具のものです。勿論、殊能にも効果がありますよ」


 正面奥の石台の上には、池の噴水と同じ人物の像がおり、凛々しく胸を張って彼らを見据えていた。エリオンとツキノは、その男女の姿にも見覚えがあった。

 崖上の雄獅子を思わせる、威厳と力強さに満ちた巻き毛の男性は、正義と力の神リアム。小柄で短い髪の、屈託の無い明るい笑顔の女性は、創造と慈愛の女神アマラである。


「ここにもルーラーの像があるのね」とツキノ。


「ええ。でもこの学舎にあるルーラー像は、信仰の対象ではなく、尊敬と感謝の為に建てられたものです」


「神様なのに信仰をしないって、不自然ではなくて?」


「確かに私達にとっては神ですが、学長にとっては友人であるとのことです」


「ルーラーが友人……? じゃあ、あのレンゾという人は――」


「『最初の人』です。あの方は、渾沌戦争でルーラーと共に変わり果てた者ディファレンターを討ち滅ぼした、伝説の魔法使いなんです」


「あの人が?!」と、ツキノは目を丸くして大声を上げた。


 その声が思った以上に反響したせいで、他の学徒からの視線が集まる。彼女は思わず畏まり、気不味そうに俯いた。



 ***



 外装が石造りの城の様であるのに対し、学舎の内装は殆どが木板張りで、仄かな暖かみを感じさせるものであった。

 エルフの少女を先頭として、エリオンらは、緩やかなカーブを描く焦茶色の廊下を、そこに並ぶ教室を覗き見ながら歩いていた。


 廊下は円弧の内側――つまり中庭に面しており、縦長の大きな窓からはどこからでも、池のルーラー像と正門が見える。

 その反対側が教室や研究室の類であるが、当然部屋自体も扇形の造りになっており、座学を主とした部屋では、外側へ広がるなだらかな段上に、内側の教壇に向けて椅子や机が配置されていた。


「1階と2階は全学徒共用の食堂やお風呂、今いる3階と4階が、上級学徒の講義を聴いたり研究をする為の部屋。その上が学徒寮になっています」


「その講義というのは、誰でも聴けるものなのかしら?」


「勿論。この西翼では、基礎殊能学、生体デバイス力学、殊能量子波学。あちらの東翼では、古アーマンティル言語学、魔法薬学、魔法具構造学などの講義がありますが、そのどれも、学徒であれば誰でも自由に参加できます。デバイスを扱うという点においては、殊能も魔法もは同じですからね。流石に実践練習となると難しいですけど」


 少女は笑いながら言うと、正に今講義が行われている教室の前で足を止めた。――『基礎殊能学』の札が掛けられた扉の向こうから、くぐもった男性の声。


「少し覗いてみましょうか」


 ノックをせずに扉を開けると、ほぼ満席の段上から、何人かの学徒の目。しかし大半は熱心に講義に耳を傾けており、エリオンらの存在を気にする者は少なかった。

 教壇に立っていた眼鏡の男は、ローブの胸元に片翼の徽章きしょうを付けており、それが上級学徒の証であると、少女が小声で囁く。


「――であるが故に、大気中の創元素との繋がりは、魔法に比べ殊能の方が、より物理的な制約を受けやすいという特徴がある反面――」


 男は話しながら、エリオンらにチラリと目を向けると、制服ローブを着ていない二人が新入りであると察し、空いている席に座るよう、手振りで促した。

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