第三章

第44話 レンゾ

 学園市ネオネストは、東の大陸アマンティラの内にある新興市国。元はレグノイさんが治める新生トラエフ王国の一部だったらしいけど、現市長の志と住民の人達の希望の下、7年前に極めて平和的な手続きをもって、その独立を果たした。

 現在の人口は約8000人。元々が盆地の農村であった為に、土地は肥沃で自然も多い反面、港湾市ドバルのような科学的恩恵は多くない。開発が進んだ今でも、地面は舗装された石畳の道より、雑草の生えた土の方が割合として大きく、建物もレンガ造りや木造といった、技術としては蟻塚と変わらないレベルだ。住民の衣服や日用品といった生活基盤すら、それに準じた質素なもので、歴史においても国力においても、この学園市はまだまだ発展途上なんだと思えた。

 そんな理由から、この国の知名度は、世界的に見ればまだそれほど高くはない。僕自身、ユウさんに教えてもらって、初めてその存在を知った。でも殊能と魔法を体系的に研究し、その使用者を公的に育て上げるという取り組み――僕とツキノが籍を置くことになった『双翼の学舎』は、その道の人間からすれば非常に興味深く、また期待を抱かせるものであると、彼は言っていた。


 転位魔導器によって、ドバルからネオネスト中心部のイグルスという街にやってきた僕らが、最初に案内されたのは、その学舎の学長室という所だった。



 ***



 豪華とは云えぬまでも、それなりに品の良い意匠を凝らしてある、アンティーク調の茶色い部屋。応接間と執務室を兼ねたその部屋で、エリオンらを出迎えたのは、一人の男。


「やあやあ、遠路遥々はるばるご苦労様」


 縦長の格子窓から射し込む光が、彼の纏うゆったりとした白い長衣ローブを、シルエットにしてみせる。

 細い輪郭。切れ長の目には片眼鏡。紅色の長髪は小分けに結んで束ねられ、それにより露わになっているのは、エルフ特有の尖った耳である。薄い唇は笑顔それが染み付いているのか、自然と端が持ち上げられていた。


「と言ってもまあたかだか数千キロだし、転位装置も使って来たんだから、疲れちゃあいないよね。ボクの方は5分も待たされたもんだから、すっかり待ちくたびれたけど」


 不条理な台詞を吐いて、男は手を差し出す。それを最初に握ったのはアヤメであった。


「その節はお世話になりました。レンゾさん」


「ん? ああ、キミは――以前ネストにいた子か。おかえり。名前は憶えてないけど、鉄を操る子だよね」


「アヤメです。こちらはその能力で創ったギルオートです」


「宜しくお願い申し上げる」とギルオート。


「アマラに人格を与えられた機械人だね? インテレイドと呼ぶべきかな。なかなか男前じゃあないか」


 珍しくもなさそうにギルオートを眺めた後に、視線をエリオンに移す。


「キミがエリオンか。思ってたより華奢だな。昔のユウみたいだ」


 そう言うなりその男――レンゾは、身体検査よろしく、エリオンの二の腕を掴んでみたり、手を取って指を眺めたり、彼の顎を摘み上げて瞳を覗き込んだりした。


「あ、あの――」とエリオン。


「へぇ、だね。魔素の流れも正常のようだ」


「……あの、レンゾさん? これをユウさんから預かったんですけど」


「ん、なに? ――ああ手紙か」


 エリオンが取り出した白い紙を、レンゾは奪うようにして手に取る。そして表裏をさっと確認した後、光る指先で紙面をサラサラとなぞった。――途端に浮き上がる文字。


「……ふむふむ。……へぇ、なるほどね」


 頷いた彼は、その内容を咀嚼するように暫く考え込んでから。


「どれどれ」と、エリオンの胸に人差し指を当てる。


「……?」


 エリオンが疑問の表情のまま突っ立っていると、レンゾは指先を当てたまま、小さく短く何かを唱えた。するとそこに数センチ程の魔法陣が現れ――。


「――凍り付けセ・ディエ


 直後にエリオンの身体が吹き飛ばされた。


「?! エリオン――ッ!?」


 ツキノが叫び、部屋の壁へと打ち付けられた彼に、慌てて駆け寄る。しかし彼女の手を借りるまでもなく、エリオンは後頭部を抑えながらも、すっくと立ち上がった。別段怪我を負った様子も無い。


「いきなり何を……」と言いながら、エリオンが自分の胸をさすったところ、彼の服の全面は凍り付き、白い冷気を上げていた。


 その様を見て、「へえ」と感心したように声を発したのは、彼に魔法をぶつけたレンゾ本人である。


「――驚いたな。物理運動の影響は受けても、んだね」


「え……?」


 レンゾの突然の行動やその台詞に驚く皆であったが、しかし彼は気にも留めずに言った。


「なるほど。どうやらユウの懸念は杞憂きゆうではなさそうだ。キミの身体は色々と調べる必要がある」


 興味深い、といった様子で笑みを浮かべたレンゾが、指をパチンッと鳴らすと、エリオンの服の氷がたちまち昇華して消え失せた。

 そしてその魔法の技を、食い入る様に見つめていたツキノへと目を向ける。


「キミは魔法使いになりたいそうだね?」


「は、はい!」と、姿勢を正すツキノ。


 彼女としては、いきなりエリオンを魔法で吹き飛ばしたレンゾに一言物申したいところであったが、どうにもこのレンゾという男は、そんな相手の威勢を削ぐ――悪く云えば、他人の心情など気に掛けずに話を進める、そんな人物であったので、ツキノはまんまとそのペースに飲まれてしまっていた。


フェルマンの弟子じゃあ、さぞかし勤勉なんだろうね」


「? 先生をご存知なんですか?」


「ご存知もなにも、彼に魔法を教えたのはボクだからね。あの子は要領は悪いし、魔法の才能もだったけど、努力家ではあった。だから『のんびり屋のフェルマン』なんて呼ばれてたよ。まあそのアダ名を付けたのはボクだけどさ」


「フェルマン先生が……」


「だけどキミは見たところ、魔素の流れが大分スムーズだ。ここでちゃんと勉強すれば、数年でにはなるんじゃあないかな」


「! じゃあ――」と、ツキノが目を輝かせる。


「うん、ここの魔法科で修行に励むといい。――エリオン、キミもとりあえずはグレイターとして入学させよう」


 ツキノが「やったぁ!」と、エリオンの手を取り喜び跳ねるのを、同じく笑顔の彼が、しかし冷静な素振りで落ち着かせる。

 そしてそんな彼らに、レンゾは思い出したように付け足した。


「ああそうそう、ボクの名前はレンゾ。この双翼の学舎の学長にして、この世界随一の大魔法使いだ。宜しく頼むよ」


「……は、はあ…………」


 よくもまあぬけぬけと言い切れるものだ、と一同は呆れた様子で顔を見合わせた。

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