第37話 出港

 翌日――。日が昇る前から海に出た漁業船キャラベルが、日の出とともに帰ってくると、今度は大型商船ガレオンの様な機関船舶が、出港の汽笛で蒼穹そうきゅうを震わせ旅立ってゆく。穏やかな海風が船乗りの掛け声を運び、市場の喧騒がそれを掻き消した。

 謂うなればこれが、港湾市パルゲヤの日常風景であり、昨夜の剣闘場とは打って変わって平和な、しかし活気の途絶えぬ光景であった。


 ユウ、エリオン、ツキノの三人は騒動の後、アヤメやギルオートと別れ、一旦は街の宿場に戻って夜を明かした。そして再び商業ギルドを訪れてみると、その周りにはいつも以上の人混み――。その原因が何であるのかは、そこに集まる人々の会話からすぐに把握出来た。


「おい、昨日の賭けはどうなったんだ?」


「俺ぁ知らねえよ。ところであのバケモンは?」


「なんでも剣魔が倒したって噂だ」


「うへえ、やっぱりアイツはトンデモねえな」


「そんなことより、金の話をしろよ。試合が中止になったんなら返金するのがスジってもんだろう? 俺の金は戻ってねえぞ」


「俺もそうだ。マウコムはどこにいった? 説明してくれなきゃ困る」


 そんなことを喚きながらギルドの前に集う人々を、入口に立ったオークの用心棒が、無言の圧力で塞き止めている。


「なんか……荒れてますね」とエリオン。


もありなん、だな。でも僕らも他人事ではないよ」


 ユウはそう言って人混みを掻き分けていくと、門番よろしく立ち塞がるオークの男に声を掛けた。


「マウコムと話をしに来た。道を開けてくれ」


 事前にマウコムから言い含められていたのか、それとも昨日のユウの戦いぶりに恐れをなしたか、オークは沈黙のまま横に退いて、ユウら三人だけを通した。直ちに定位置に戻り再び肉壁となった彼や、をしたように見えるユウ達に、外の者から罵声や抗議の声が上がる。

 申し訳なさそうに振り返りつつ進むエリオンとツキノ。逆にそれを気にも留めないユウ。彼らは中に入ると、受付の女性にそのまま奥へと通された。



 ***



 真っ直ぐに立ち昇る葉巻の煙を、口から吹き出された新たな気流が掻き乱す。


「すまなかったな、アンタらを置いていっちまって」とマウコム。


 彼の執務室――ユウとの交渉が行われた部屋である。机に座るマウコムと向き合うのは、ユウら三人だけで、部屋に他の者の姿は無かった。


 一歩前に立つユウが口を開く。


「それは構わない。むしろ早々に避難してくれてよかった。死者が出てしまったのは残念だが」


「そっちはまあ仕方ねえ。人様の殺し合いを観て愉しむような連中だ、どの道まともな死に方はしなかっただろうよ」


「………………」


 どの口が言うのだ、などと思いつつもエリオンは、その根本の原因が自分である以上、批判の言葉を口にすることは出来なかった。ツキノは隣で露骨に侮蔑の気色を露わにしていたが、彼女もまた沈黙を崩さずにいた。


「結果はともかく、僕は言われた通り試合に出た。約束は守ってもらう。剣も返してくれ」


 ユウの台詞に、マウコムは「ああ」と渋々立ち上がり、後ろの壁に手を当てる。するとその一部がスライドして開き、彼は中にあった頑強な金庫から、白銀の剣を取り出した。


「こっちだって約束は守るさ。信用を無くしちゃ商売は成り立たねえからな。まあ正直、全く儲けにはならなかったが、こっちとしちゃあ、アンタに命を救われた身でもある――」


 その剣を手渡し。


「俺は貸しは作っても借りは残さねえ、それがポリシーだ。約束通りギルオートの奴には、必要なだけ石を工面してやる」


「ありがとう」


「但し全額前金で払え。そこは譲れねえ」


「分かった。宜しく頼むよ」と、ユウが手を差し出すと、マウコムは叩く様な勢いでその手を掴み、ガッチリと握った。



 ***



 それから3日後。港に浮かぶ焦茶色の船があった。

 長さ30メートル程の先が尖った楕円形で、内側に反った船底。船首に小さな貨物室があり、中央から後部にかけては三層構造の部屋になっている為、船尾は高い。真新しくはあるものの、素材の質感は木製のそれであり、遠目にはマストの無い古風な貨物船キャラックといった印象である。


 それを眺めるのはユウら一行と、その製作主であるギルオート。最初に感想を洩らしたのはツキノであった。


「いい船じゃない。シンプルだけど私は気に入ったわ。アナタはどう?」


 優しく頭を撫でられたププが、彼女の胸元から飛び立って、先んじてその船に乗り込む。


「気に入ったみたいね」と笑うツキノ。


 係柱ビットに留めるロープもいかりも無く、それでいてピタリと桟橋に寄り添ったまま動かぬ船に、彼女もまた嬉しそうに跳び乗った。ユウとエリオン、そしてギルオートがそれに続く。

 見た目は帆船であるものの、肝心の帆は無く、当然の如くエンジンやスクリューの類も見当たらない。それを物珍しそうに見回すエリオン。


「ギルさん、これどうやって動かすんですか?」


 するとギルオートは、後方にある複層船室の上段を指差して言った。


「基本的にAIによる自動航行で必要があればマニュアルに切り替えることも出来る。あそこが操舵室だ。その下が居住用で最下階に機関室がある」


「へえ、じゃあ楽チンですね」


「うむ。全没式のハイドロジェット推進だが動力は海中のデバイスからアカシャリアクターで得るので燃料も必要無い」


「何だか良く解らないけど、凄そうね」とツキノ。


「戦闘は想定していないので武器は積んでいないが簡易的な粒子圧力バリアがある。雨風はそれで凌げる。それと1週間分の携帯食料レーションが船首の貨物室に」


「……随分と気前が良いな」


 注文した内容を遥かに上回る出来の船に、ユウが少し驚いた様子でそう言うと。


「気にしなくていい。自分の借金まで払って貰ったお礼さ」とギルオート。


 しかしその台詞に三人は首を傾げる。


「僕らは何もしていないが?」


「? 君達じゃないのか? マウコムから借金は返済済みだと――」


 ギルオートも同じく疑問を口にしたところで、後ろから女性の声。


「待ってください」


 皆がそれに振り返ると、そこには大きな皮袋と刀を担いだアヤメの姿があった。


「私もご一緒させてください」


「アヤメさん……」とユウ。


「もうこの街での研鑽は充分に積みました。ですので勝手ながら、の乗船手続きを済ませてきました」


 それを聞いてギルオート。


「では自分の返済はマスターが?」


「ええ。どうせ私が行くと言えば、貴方もついて来るんでしょう?」


「それはまあそうですが。よくマウコムが許しましたね」


「試合の賞金が貯まっていたので、借金の倍額を払って認めさせました。すんなりと交渉に応じましたよ」


 ギルオートには、マウコムが倍額返済その程度で引き下がる男とは思えなかったが、それを認めさせるアヤメの交渉術がどんなものであったかは、彼女の背中にある刀が答えあろうと、一人納得したのであった。


「構いませんよね? ユウ君」と、アヤメが微笑む。


「僕は構わないが――」


 そう言いつつ、ユウが周りの顔を見回すと、エリオンとツキノは笑顔で頷いてみせた。


「分かった。ギルオート、船は大丈夫なのか?」


「問題無い。ベッドは六人分ある」


「そうか……じゃあ皆で行くことにしよう。荷物を積んだらすぐに出港する」


 こうしてエリオン、ツキノ、ユウ、アヤメ、ギルオートの五人となった一行は、澄み切った蒼天に太陽が昇った頃、見送る者の無いパルゲヤの港を後にしたのであった。

 目指すは東の大陸――ゲの海を越えて、港湾市ドバルの先にある、学園市ネオネストである。

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