第35話 ギルオート

 緩慢に歩みを進めるスケルガルに、注意を払いつつも、ギルオートは素早く場内を見渡す。――常人ならば思わず目を背けるであろう、凄惨な死体が6。しかし他の観客達は四方の出入口に上手く散ったようで、避難率は全体の7割といったところ。残りの者達がけるまでに、それほど時間はかからぬ様子であった。

 客席中央の最前列に陣取っていたはずのマウコムは、危険と見るやかなり早い段階で、その姿を消していた。


「流石に逃げ足も一流だな」とギルオート。


 大方、専用の隠し通路でも使って逸早いちはやく退避し、どこか別の安全な場所から、モニターで見物でもしているのであろう。彼の想像はそんなところである。

 闘技場の反対側――と云ってもそう遠い距離ではなかったが、そちらのもう1頭のスケルガルは、今だ執拗な火炎攻撃でユウの動きを封じている。しかし避難さえ完了してしまえば、ユウが遅れを取ることは無いだろうと思えた。


「あっちは問題無いかね」


 火を吐くスケルガルのかたわらでは、召喚主であるンダムワが、自らの血溜まりの中に倒れたまま。その血の量から、彼が既に絶命していることは容易に察せられた。そしてそれは、強大な闇の魔物を召喚する対価としてだけでなく、任務を仕損じた者に未来は無い、という魔導師連盟の掟の厳しさを物語っていた。


 ギルオートはその憐れなむくろを一瞥すると、しかし特に感慨めいた様子も無く、再び目の前の敵へと目を向ける。


「さてどう仕留めたものかな」


 と言ってから、横で戸惑いながらも身構えているエリオンに尋ねる。


「戦えるかね? エリオン」


「や、やってみます――でも手が震えて……どこまで出来るか……。正直怖いです」


「フム。その反応は正常だし自己分析出来ているならとりあえずは冷静だ。君は君にやれることだけやればいいさ」


「僕にやれること……?」


 スケルガルが闘技場に降り立ち、獰猛な牙を露わに、二人こちらへと向かって来る。


「そうさ。人にはやれることとやるべきことがある。だろう?」


 そう言うとギルオートは、臆することなく踏み出す。――硬い地面に足跡を残すほどの第一歩。そこから弾かれるようにして、一直線に跳んだ。


「まずは自分が!」


 水平の加速はそのまま彼の身体を巨大な砲弾へと変え、凄まじい運動量の体当たりがスケルガルを弾き飛ばす。スケルガルは闘技場の壁面へ叩き付けられ、その石壁が圧し崩された。


「まだだ!」と、更に飛び蹴りで追い打ちをかけると、押し込まれたスケルガルの外骨格よろいに、僅かなひびが入った。


 横たわる巨躯の前に、ギルオートは両足を広げて腰を落とすと、左右の拳を後ろへ引き絞る。直後に肘の側面がガシャンと開き、そこに現れた小さな噴射口が、甲高い音と細い炎を吐き出した。


「まだまだいかせてもらうッ!」


 轟音とともに肘が火を吹き、文字通り爆発的な初速で繰り出されるパンチ。重々しい拳はメキメキと骨の鎧にめり込み、続く反対側の一撃がそれを砕いた。――飛び散る骨片を金属の皮膚が弾く。


「まだまだまだ!」


 だがそれに終わらず拳を返すと、ギルオートは更に別の箇所を、再び全力で殴りつけた。そこから始まる、嵐の如き連打。


「まだまだまだまだッ!」


 右左右左と、機関銃さながらの勢いで、相手のどこへといわず交互に拳を叩き込む。


「まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ――」


 スケルガルのまとう鎧が粉々になっていく。


「まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ――」


 牙まで砕けた口から、黒い血反吐が大量に吐き出されても、ギルオートの両腕は止まらない。


「まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだァーッ!」

 

 最早スケルガルの体躯は、その原型すら留めておらず、周囲には血飛沫とともに肉片までもが飛び散った。そして胴体の半分ほどをところで――。


「チェェぇぇストぉぉォォォッ!!」


 顔面を叩き潰す。その一撃で、ギルオートはようやく攻撃を止めたのであった。


「………………」


 その光景に唖然とするエリオン。


「な――(なんて滅茶苦茶な。素手でスケルガルを……)」


 壮絶なラッシュを終えて、ピタリと止まったギルオートの背中から、蒸気と熱が勢いよく放出される。それを一段落とする様に、彼はおもむろに振り返った。


「とりあえずこれで


「……時間?」と、エリオンが小首を傾げて聞き返す。


 しかしギルオートがそれを説明する前に、彼の後ろで、黒いもやの様なものが立ち昇った。それは半壊したスケルガルの体と、その欠片から発生したものであった。

 その不吉な煙は一箇所にまとまると、緩やかな流れで、スケルガルの内へと吸い込まれていく。すると次第に、その肉体がボコボコと気味悪く泡立ちながら、修復を始めた。


 ギルオートはそれを確認せぬまま、エリオンの許へと歩きながら言う。


「召喚されたモンスターはコアを破壊しなければ再生する。だが自分の拳ではそれを破壊仕切れない」


「そんな……」


「だが君の殊能ちからならそれが出来る」


「僕の……力で?」


「そうだ。君の殊能は『対象の圧縮』。だろう?」


「だろうって、何でそんなことを――」


「説明は後だ。それより次に奴のコアが視えたらそれを潰してくれ」


「次に? じゃあまたギルさんが一人で?」


 あれほどの攻撃が何度も出来るものなのか、とエリオンが気に掛けた様子で問うと、ギルオートは首を横に振った。


「いや同じ手は通用しないだろう。それに自分は本来一人で戦うタイプじゃあないんでね」


 そう言って彼は、視線をエリオンの背後へと移した。エリオンがそれに気付いて振り返ると。


「?! ――アヤメさん!」


 気配を微塵も感じさせず、いつの間にやらアヤメが立っていた。


「遅れてすみません。避難者を誘導していましたので」


 彼女はエリオンに軽く頭を下げ、「また会いましたね」と微笑むと、少し不服そうな表情でギルオートを見る。


「ギルオート、何故貴方がここにいるのですか。貴方には自分の道を歩めと言ったはずです」


「いやいやそう言われましてもね。結局自分はマスターのそばに居たいんですよ」


(マスター?)と、エリオンが疑問の目でアヤメを見つめると、彼女は困り顔で溜め息を吐いた。


「まったく貴方は……。ですが今は問答している時間ではありませんね。力を貸しなさい、ギルオート」


「勿論ですよ」


 ギルオートは満足げにそう返すと、アヤメから刀を受け取り、クルリと背を向けて大の字になって立つ。そしてアヤメが近付くのに合わせて、彼の全身の背面が、大きく開け放たれた。


「ええっ?!」と驚くエリオンの前で、アヤメは躊躇いもなくその中に足を踏み入れる。


 するとギルオートの背面がガシャガシャと閉じていき、二人は一体化――と云うより、アヤメが彼をのである。


「自分は元々マスターが作った強化外装なんでね」


 そう告げた後に、ギルオートの顔が右半分だけ開き、そこに現れたアヤメの顔を透明のバイザーが覆った。


「お喋りは終わりです。色を戻しなさい」


 彼女が言った途端、ギルオートの色が足元から頭に向かって、艶消しの銅色から光沢のある淡い紫へと変わっていく。――僅かに赤みを帯びたその色は、正しく菖蒲色あやめいろであった。

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