第34話 魔獣再び

 唐突に闘いの手を止めたユウに、客席からは戸惑いの声が溢れ始める。


「おい、どうしたんだ……? 動きが止まったぞ」


「何だ? 何をしようってんだ?」


 普通であれば当然、「早く闘え」だの「腰抜け」だのと、怒声が飛ぶ場面である。しかし彼が直前に見せた離れ業は観客達に、謎の冒険者アルは只者ではない、という印象を充分に植え付けていたのであった。それ故に彼らは、過度に騒ぎ立てることなく、固唾を飲んで試合を見守った。


 いつでも短剣を投げる構えのンダムワは、そんなささやかな動揺に耳を傾けて嘲笑う。


「どうした? 馬鹿共が鳴いているぞ」


「…………」


 しかしユウはそれを気にするでもなく、客席の隅でエリオンらを狙う刺客とンダムワを、ただじっと見比べていた。


「助けようとなどと思っても無駄だ。あの者の毒針は、瞬きするほどの間にでも、貴様の仲間を殺すことが出来る」


 その台詞に「そうか」とだけ返すユウ。すると彼は心を決めた様子で、剣を


「見捨てるか……いかに剣が強くとも、所詮は俗物だな」


 ンダムワは不服そうに笑いを消して、左手を軽く上げる――それが「れ」という合図であるのは、考えるまでもなく明らかであった。

 客席の隅で身を潜めていた刺客は、その合図を見るなり、一切躊躇うことなく吹き矢を持ち上げた。瞬時にツキノの首筋へと狙いを定め、それとほぼ同時に致死の毒針を放つ。しかし――。


「!?」


 突如ンダムワの目の前から、ユウの姿が消えた。そして困惑したのは彼だけでなく、観客もエリオンもツキノも、機械の眼を持つギルオートですら、ほぼ全員が彼を見失っていた。


「消えた――だと?!」


 しかしたった一人、毒矢を放った刺客だけは、ユウが姿を消した直後からその居場所に気付いていた。何故なら彼の喉元には、その消えたユウ自身の手で、剣が突き付けられていたからである。


「――うっ……?!」と呻く男。


 ユウは片手で剣をピタリと彼の首に合わせ、反対側の手には毒針を持っていた。男の驚愕の眼差しを、翡翠色の瞳で冷たく見返しながら、小さく呟く。


「……次は、容赦をするつもりはない」


 その返事を聞く間もなく、首元を剣の柄で打ち付ける。刺客は一撃で気を失い、ドサリと崩れ落ちた。周囲の客が「あ」と振り向いて、そちらを指を差そうとした次の瞬間、しかし既にユウの体は闘技場の中へと戻っていた。


「さあどうする? これでもう脅しは効かないぞ」


「貴様……」


 ンダムワは、そこでようやく彼の行動が把握出来たようで、ギリリと歯を噛んで声を洩らした。


「どんな魔法を――いや、やはりグレイター……」


 するとユウ。


「生憎、魔法も殊能も使っていない。ただ僕は――」


 悠然とした立ち姿で、ンダムワに剣を向け直す。


「瞬きよりも速い」


「くっ……!」


 くわだてが失敗に終わったとみるや否や、ンダムワは目元を覆う布を剥ぎ取った。――その眼窩がんかには血の様に赤い宝石。


「最早こんな茶番に付き合う道理は無い!」


 彼は憤怒の形相で短剣を投げ捨てると、両手でその石を、自らえぐり取る。宝石に張った根のような繊維が、ブチブチと嫌な音を立てて千切れる。


「ウッぐぅぅぅ……」


 苦痛の呻きを上げながら、血塗れの宝石を握り締めている彼の両眼の穴から、しかして流血とともに、どす黒い二つのもやが溢れ出した。――そして。


出でよ鎧骨狼ズーム・スケルガル!」


 ンダムワの詠唱さけびに反応して、もやはそれぞれ巨大な獣の形へと固まっていった。言うまでもなくそれは、森でエリオンらを襲った、あの骨の鎧を纏った狼であった。


 異形のモンスターを呼び出してみせたことで、客席からは大道芸を観るような歓声が上がる。しかしエリオンとツキノだけは、その姿を見て戦慄を覚えた。


「あれは――!」


「スケルガル!?」


 グルルと喉を鳴らす2頭のスケルガルは、ユウを睨みつけながら、ノソリと大きな前脚を動かし、挟み込むように左右に分かれる。だが彼を襲うかと思いきや、すぐさま向きを変えると、唐突に客席へと飛び掛かった。


「まずいっ!」


 ユウは地面を蹴り、瞬時に狼の下へ。潜り込むと同時に顎下から首を斬り上げる――がしかし、刃は肉の途中で止まり、鋼の剣は根元から折れてしまった。


「――ッく! 脆過ぎるか!」


 それでも横槍の威力としては充分で、斬撃を受けたスケルガルは空中で吹っ飛び、再び闘技場の中へと転げ落ちた。そしてそれを確認したユウが叫ぶ。


「皆、逃げろ!」


 飛ばされたスケルガルは、首からボタボタと黒い血を流しながらも、すぐさま起き上がって唸りを上げた。客席に向けられた巨大な口から漏れ出す、赤い炎――熱風が渦巻く。

 それによって観客達は、この禍々しいモンスターが見世物の類ではなく、自分達にも降りかかり得る災禍なのだと理解した。


「う、うわぁぁぁーっ!」


 誰からともなく、或いは同時に、会場の客は悲鳴を上げて走り出した。前の者を押し退け、引き摺り下ろしながら、我先にと客席を駆け上がっていく。

 ユウは彼らとスケルガルの間に立ちはだかると、両手を前にかざして叫んだ。


護れ聖なる盾ヘルト・アンターシェ!」


 するとその掌から生じた青い魔法陣が、1秒と経たぬうちに、数メートルもある丸い盾へと変化した。間もなくスケルガルの口から噴き出された豪炎は、その青白い光の盾によって遮られる。火の粉が飛び散り、熱気が空気を歪める。

 ユウの後ろにそれが届くことはないものの、そこにはまだ、数十人という観客が押し合いながら残っていた。


「はやくッ――!」と焦るユウ。


 そうして彼が食い止めている間に、もう1頭のスケルガルは、エリオンらの方へと向かいながら、近くにいる者達を嬉々としてほふっていく。逃げ惑う者を鎌の様な爪で切り裂き、腰を抜かして動けぬ者を頭から喰らう。周囲に地獄絵図を描き殴りながら、しかしその眼は確実にエリオンを捉えていた。


「エ……エリオン……」と、震える声でツキノ。


「だ、大丈夫――君は僕が……」


 恐怖に身をすくめる彼女の前に、エリオンは勇気をもって立ちはだかる。しかしその彼の身体を、ギルオートが横からひょいと担ぎ上げた。


「ギルさん?! ちょ、何を――」


「アレの狙いはどうやら君のようだ。だろう?」


 そう言ってギルオートは、エリオンを担いだまま、凄まじい脚力で地面を蹴った。――軽々と客席を跳び越え、ズシンと重たい音で闘技場に着地。


「ギルさん! まだツキノがっ!!」


「問題無い。アレは君を狙っていると言っただろう? それに彼女ならばモンスターなど敵じゃあない」


「え……? それはどういう――」


「さあ来るぞ」


 エリオンを丁寧に降ろし、振り返るギルオート。果たして彼の言う通り、スケルガルは怯えるツキノに尻尾を向けると、こちらに向かってゆっくりと歩いてきた。


のは得意じゃあないんだがね」


 ギルオートはそうぼやきながらも、拳を握り、僅かに重心を落として身構えた。

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