第33話 脅迫

「凄い強さでしたね……」とエリオン。


 彼がそう評したアヤメと、怪我こそ無かった

ものの、誇りと自信を打ち砕かれたナズールは、既に退場した後である。

 しかし興奮冷めやらぬ会場は、始まる前より一層熱気に包まれ、そこかしこで「あそこはこうすべきだった」だの「あの剣捌きが悪かった」だのと、素人が好き勝手な講評こえを上げていた。


 短い時間の試合であったとは云え、緊張で固まってしまった身体を、ツキノが伸びをしながら解す。その間行儀良く膝の上で丸くなっていたププに、彼女が「凄かったね」と微笑みかけると、ププは大きな黒い瞳を瞬かせながら首を傾げた。

 彼女に倣い、エリオンも次の観戦に備えて肩首を回す。そしてその横で、開始直後から微動だにしないながらも、疲れとは無縁のようであるギルオートを見て、ふと問い掛けてみた。素朴な疑問であった。


「ギルさんがもし出場していたら、アヤメさんに勝てるんですか?」


 ここへきてようやくエリオンは、寡黙を装っているギルオートが、実はかなりのであると気付き始めていた。故にそんな話を振ったのであったが、しかし彼の予想に反してギルオートは、「どうだろうね」と、素っ気無く返すだけであった。


(自信無いのかな……? 強いから剣闘に誘われたんだと思ってたけど……)


 そんなことを考えながら、エリオンが彼の銅色の横顔を眺めていると、早速次の試合のアナウンスが流れ始めた。


「続きまして第二試合、ンダムワ対アルの剣闘開始です!」


 視線を戻すと、いつの間にやら、黒布で身を包んだンダムワが、闘技場の端に立っていた。その頭はフードを被ったままであり、両眼もやはり赤い布で覆われたままである。

 そして対する反対側の入口から、落ち着いた足取りで、ゆっくりと出てくるアル――つまりはユウ。彼もまた顔の下半分を隠している為、両者ともにその相貌を、はっきりと確認することは出来ない。だがそういった身元を明かせぬ者が、この闇試合に出場するのは珍しいことではないらしく、得に言及する者はいなかった。

 むしろ客席からは、先の試合に比べて幾分控え目な声援や発破をかける声。所々から上がるそれらの殆どは、しかしンダムワに向けられてのものであった。

 見るからに平凡な――と云うより、どう見てもこの状況にそぐわぬ、普段着の様な軽装のユウに対しては。


「頑張れよー、あんちゃん! 俺の1オルスを無駄にすんじゃねえぞー!」


 などという、揶揄やゆや罵声が飛ぶばかりである。


「もうっ、なんなのよ! 馬鹿にして!」と憤るツキノ。


 そんな彼女を他所に、エリオンは黙ってユウの姿を見つめていた。


(大丈夫……ですよね、ユウさん――)


「さあてお手並み拝見だ」


 隣でギルオートが興味深そうにそう呟くと、また耳障りな開始の合図が鳴り響いた。



 ***



 ――まるで機械が奏でるような、間断ない剣戟の音が響き続ける中、会場全体は唖然とした空気に包まれていた。


「ま……マジかよ……何なんだ、ありゃ……」


 無意識にそう洩らす客がいるほど、その光景は異様であった。


 開始早々のこと、翼の如くマントを広げたンダムワの懐からは――三叉のナイフ、鋭い鉄杭、三日月形の刃など、拷問器具にも似た残忍な形の武器が、大量に飛び出した。

 それらの凶器は、彼が片手を額に当て、もう一方の手をユウに向かってかざすと、空中に生じた小さな魔法陣によって跳ね返り、四方八方から彼に襲い掛かったのである。

 しかしユウは一歩も動くことなく、夥しい数のその攻撃を全て片手で、剣1本のみで弾き返したのであった。無論そのスピードは常人に捉えられるものではなく、観客達の目には、まるで彼の右腕が消えてしまったか――或いは目の良い者でも、それがいくつもあるように視えた。


「なんと」とギルオートも、思わず驚愕と感嘆の混じった声を上げる。


 ユウに弾かれた武器は、その先でまた魔法陣によって押し戻され、再び彼へと舞い戻る。だがユウはそれすら難無く弾き、余裕があれば切り伏せてみせた。


(あれが――ルーラーの力なのか……)


 エリオンは、自分だけが知る事実を心の中で呟き、改めてその人ならざる力を思い知った。


 流石に地面へと叩き付けられた武器までは操れないようで、ンダムワが放った無数の武器は、みるみるうちに数が減っていった。

 やがて最後の1本となったナイフが、ユウの後頭部へと飛来した時、彼は少しだけ頭をずらしてそれを避け、剣の腹でいなす様に軌道を変えた。


「――っ!?」


 そのナイフはンダムワ自身へと返り、彼のフードを真っ二つに切り裂いた。そして恨めしそうに舌打ちする彼の頭部が露わになる。――それは先程のナズール同様、綺麗に剃り上げられた頭であったが、しかしその額の少し上には、六芒星を単眼の蛇が囲う、赤色の入墨があった。


「我が無間円刃むげんえんじんを返すとはな……」とンダムワ。


 驚きを隠せぬ彼を、ユウは目を細めて見つめる。


(あの紋章は魔導師連盟の……だとすれば――)


 ハッとして振り向いた彼の視線の先には、エリオンらの姿。だが彼が認めたのはその後ろの、ンダムワと同じ黒いフードを被った人間であった。


(やはり……!)


 するとユウの耳元で、暗澹あんたんな声がボソリと囁きかけた。


「気が付いたようだな……。貴様の仲間の命は、我が同胞の掌中にある。貴様が何者かは知らぬが、これ以上歯向かえば即座に奴らの命を奪う」


 それはンダムワが発した声であった。――彼は遠話えんわの魔法という、離れた位置に自身の声を運ぶ術で、その囁きをユウに伝えたのである。


「…………」


 ユウが無言のまま睨み据える先では、フードの男がマントの隙間から、小さな筒をちらつかせていた。


「我らが使うは魔法だけではない。同胞の手にある吹き矢には、解毒の効かぬ『黒死こくしの蜜』が塗ってある……。仲間を助けたくば、大人しく我が刃を受け入れよ」


 その脅し文句を聞き入れたかのように、ユウは剣を持った手をダラリと下げ、そして訊いた。


「森の鎧骨狼スケルガルは、お前達の仕業か」


「……いかにも」


「何故僕を狙う?」


 訝しむように訊くユウ。だが無論、そんなことは聞くまでもなく、彼は敵の狙いがエリオンであると知っていた。しかし魔導師連盟という組織が、エリオン自体をどう認識し、その権限ちからをどこまで理解しているかは定かでなかった。その為ユウは、それを聞き出そうと、敢えて無知を装ってみせたのである。


「貴様なぞに用など無いわ」


 そう言いつつも、果たしてンダムワは既に自分の勝利を確信して、そうとも知らずにユウの誘いに乗ったのであった。


「我らが盟主カザルウォード様は、あの小僧の秘密をご所望だ」


「彼に? どんな秘密があるって言うんだ?」


「それは無駄な質問だ。我ら闇の魔導師は、ただ盟主様の命に従うのみ」


「…………(つまり知らないのか。だが逆に、任務に当たる者にも話さないということは、連盟のトップはそれだけ事の重大さを理解している、ということかも知れない)」


 今にも剣を落としそうなほど、脱力した状態で佇んでいるユウに、ンダムワが再び問い掛ける。


「さあ、どうする? 我が刃でその命を絶たれるか、黒死の蜜で仲間が死ぬのを見届けるか――好きな方を選べ」


 妖しくほくそ笑みながら、ンダムワは腰から鋭い短剣を抜き放った。

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