第32話 剣魔

 間もなく試合が開始されるというところで、客席のエリオンらの隣に、人を掻き分けて現れるギルオート。


「ちょいとゴメンよ」と強引に割り込む彼に、隣にいた男が不平を口にしようと振り向く。だがその大きな金属の身体に気圧されて、男は小さく舌打ちをするに留めた。


「? ――あ、ギルオートさん」とエリオン。


「やあ。そろそろかね」


 会場の照明が暗転し、控え目なざわつきだけが残る。そんな中でエリオンは、横で腕組みをするギルオートに、小声で尋ねた。


「あの、ギルオートさん」


「ギルでいいよ。――なんだね?」


「飛魚会は、なんでユウさんが出ることを条件にしたんでしょう?」


「それか。マウコムは元締めだが部下に金を渡して賭けに参加している。そして恐らく彼ならば剣魔に勝てると踏んだんだな。だが冴えない冒険者と人気絶頂の剣魔では配当の差は圧倒的だ。あとは解るだろう?」


「じゃあ、ユウさんが勝つ方に沢山オルスを賭けて、大儲けしようっていう魂胆なんですか?」


「そういうことだな。しかも初出場の剣闘士には賭け金からの勝利報酬を払わなくても良いことになっている。つまり胴元としても参加者としてもマウコムは相当な利益を得れられるという訳だ」


「そうなんですか……なんかズルいですね」


「だろう? だが商人というのはそういう人種さ」


 暫くすると再び照明が、今度は闘技場だけを浮かび上がらせるように、眩く点灯した。


「お待たせ致しました! それでは第一試合、ナズール対アヤメの剣闘開始です!」


 中央に映し出されていた半透明の男が、台詞を終えると間もなく、細かい気泡の如く消え失せる。そして一瞬高まる歓声に重ねて、開幕のブザーが響き渡る。


「いよいよね……」


 ツキノは胸に抱きかかえたププと一緒に、真剣な眼差しを丸い戦場に注いだ――。


 開始と同時に、双剣の戦士ナズールは左手を前に、右手を大上段に構え、ゆっくりと反時計回りに動き始めた。

 一方アヤメは少し重心を落とした状態で、腰にピタリと合わせた鞘の頭を下げると、やはりナズールと同じ様に、右へ右へと歩をずらしてゆく。二人の緊迫した空気に飲まれるかのように、会場の声は次第に小さく、やがては静まり返った。


(相手は二刀……そしてあの構えは、恐らく後の先を主眼としているはず)


 アヤメは、ナズールの鋭い視線を受けながら、そう見て取った。そして彼らの描く円は、少しずつ径を狭め、互いの間合いが着々と近付いていく――。

 どちらが先に動くか、或いは動かされるか、その刹那の判断と観察眼が勝負を決めると、二人は熟知していた。


「………………」


 鯉口を切るアヤメ。


「………………っ」


 それに反応したか、先に動いたのはナズールであった。


「ェアッッ!」


 刺すような気迫とともに、彼は前にした剣を真っ直ぐと突き出す。アヤメは瞬きひとつせず、その切っ先を凝視ながら身体ごと時計回りにかわす。そのままの勢いで背を向け、振り向いた時には刀を抜いていた。


「ッふ!」と短い息を吐き、ナズールの突きが戻るに合わせて、足元から立ち昇る逆袈裟斬り。

 ナズールの左手首を狙ったそれは、しかし彼が振り下ろした第二撃とぶつかり合う。――火花が散り、互いの剣が押し戻された。


「ぬぅ?!」と、驚きの声を上げるナズール。


 それもそのはず、彼とアヤメでは体格に圧倒的な差があった。恐らく単純な膂力りょりょくの比較であれば、ナズールのそれは彼女の数倍はあるであろう。しかし真っ向からぶつかり、バランスを崩されたのは彼の方であった。


 その僅かなやり取りを見ただけで、観客はごうと盛り上がる。エリオンは、詰まった喉が解放されたかの様に、一気に大きく息吐いた。


「凄い……あんな大きな人を相手に――」


「どうやったら、あんな力が出せるのかしら? アヤメさんもグレイターなの?」


 呆気にとられるエリオン同様、ツキノも感心しつつ首を捻る。そしてその疑問には、ギルオートが答えてくれた。


「彼女はグレイターだが身体強化系の能力じゃあない。今のは力ではなく技だな」


「技――? 何か特殊なことを?」


「いや何も技というのは見た目でそれと判るものだけではないよ。彼女は身体の回転力や全身のバネで生んだ力を余すことなく剣に乗せている」


「全身の力で……無駄がないっていうことかしら?」


「そういうことだね。しかしそれだけじゃない。ナズールは突きの戻しで重心が引いた状態で攻撃している。正確には攻撃というべきかな。ああやって相手の呼吸を読み取り体捌きから反撃までを繋げる一連の動作。あれは磨き上げられた技としか言いようがない」


「剣魔の異名は伊達じゃない、ってことなのね」


「そういうことだ」


 それを聞いてエリオンは、再び食い入るように闘いを見つめた。


「剣魔の技……。でもじゃあ、アヤメさんの能力は――」


 彼が疑問を口にした時、その回答はナズールの手元に現象かたちとなって現れた。


「――厶っ?!」


 たった一合交えただけの、彼の右手の剣に、ピシリと亀裂が走る――と、間もなくその刃が欠け落ちた。


「あれが彼女の能力『ヴェルンドの鉄』だ」とギルオート。


「ヴェルンドの……鉄?」


「彼女は触れた金属の形や組成を自由に変えられる。あの細身の刀が分厚いナズールの剣とかち合っても刃毀はこぼれすらしないのはそのためさ」


 これでは到底打ち合えぬと見て、ナズールはひび割れた剣を捨ると、即座にもう一刀を両手持ちに切り替える。そして息つく暇もなく飛び出すと、今度は全体重を乗せた一撃。得物の強度などお構い無しに、力で捩じ伏せる必殺の剣である。


「――!!」


 だがアヤメは、その剛剣を刀の腹で受けると同時に、それを肩に担ぐ様な格好で刀身に滑らせ、ナズールの横を斜めに擦り抜ける。

 ナズールはまるで手応えを感じず、それどころか彼女が一瞬で姿を消したようにすら思えた。


「ぬ?!」と、殺気を感じて振り返った彼の眼前には、しかし既に刃があった。


「勝負あり、貴方の敗けです」とアヤメ。


「――っく……」


 ナズールは身動きも取れずに、その場に剣を落とす。アヤメの眼にも、突き付けられた刀にも、それ以上の抵抗を許さぬ殺気が満ちていたからである。


「……ま、参った。降参する……」


 ナズールが恐る恐る両手を上げると、それに応じて静かに刀を下ろすアヤメ。そして間もなく響いたブザーが、勝負の決着を告げた。

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