第31話 闇試合

 大きな石レンガで作られたトンネルの様な道を、革のブーツでしとやかに歩く。地面や壁にのあちらこちらには、黒く固まった血がこびりついており、それは手跡であったり、ぶち撒けられた吐血の跡であったりした。

 その凄惨な名残りが、勝者であれ敗者であれ、この暗い道を通った者に壮絶な運命をもたらす証であると、彼女は既に知っていた。


 トンネルの先の四角い光が近付くに連れ、くらく野蛮な歓声は次第に大きくなる。それを耳にアヤメは、しなやかに反った鞘に左手を当て、刀の鍔に親指を掛けたまま、ゆっくりとその光の中へと向かっていった。



 ***



「さあそれでは、紳士淑女の皆様方!」


 一体この場の何処に、そんな上品な人種がいるのかと思いつつも、すり鉢状の客席に座るエリオンとツキノは、鉄柵に囲われた円形闘技場を、固唾を飲んで見守る。

 その中央で、四方に向けて映し出された、タキシード姿の男の立体画像ホログラフィが、大袈裟な身振りを伴って高らかに言った。


「今宵も命の花散らす、剣の宴がやって参りました! 本日闘うのは、まずこの3人の挑戦者――」


 闘技場の両サイドに設けられた四角い入口。その片側に向かって男が大きく手を伸ばすと、暗がりの中から人影――と同時に、待ってましたと観客が沸く。


「まず一人目は、辺境のアヴシュティラからやって来た双剣の賞金稼ぎ、ナズール!」


 現れたのは、身長が2メートル近くもある、見事な体躯の戦士。剃髪ていはつの頭に彫りの深い目鼻立ちで、額や頬にはいくつもの切創。裸の上半身に、幅広で分厚い2本の曲刀を背負い、革のズボンと紐巻きのサンダルを履いた男である。


「二人目は、魔法によって自在に剣を操るという奇剣の使い手、ンダムワ!」


 次に現れたのは、フードを被り両目を赤い布で覆った、足元まである黒マントの怪し気な男。武器は何処にも見当たらないが、そのマントの下に隠し持っているであろうことは、容易に想像がついた。彼はそんな状態でありながら、周囲が視えているかのように、淀みなく歩き出る。



「三人目は、己が剣を頼りに世界を旅する冒険者、アル!」


 その呼び声で登場したのは、ユウであった。彼はいつものフード付きのマントを脱いだ代わりに、銀色の髪と目元から下の顔を、ボロ切れの様な布で隠していた。そして装備は、庶民的な布の服に、ありふれた鋼の剣をいただけの軽装。彼一人が、とても剣闘に参加するとは思えぬ格好であった。


 その装いに、クスクスとした笑い声や小馬鹿にする野次が飛ぶ中、ホログラフィの男が更に声を張る。


「そして! 最後にこの剣闘場を彩るは、ご存知我らが無敵のチャンピオン! 麗しき黒髪の剣魔! アヤメぇーっ!」


 一斉に、地鳴りの如く沸き立つ会場。すると三人が入ってきたのとは反対側の入口から、しかしその歓声に心動かされる様子も無いアヤメが、静かに現れた。


「アヤメさん……」と呟いたツキノの声は、会場の賑わいによって掻き消される。


 エリオンも声こそ発しなかったものの、やはり彼女と同じ複雑な感情をその顔に浮かべながら、向かい合うアヤメとユウの姿を見下ろしていた。



 ***



 ――先日の食堂での一件。アヤメがすぐに立ち去ったその後で、二人は、彼女がこの街で有名な闇試合の剣闘士であると、食堂の店主から聞かされたのであった。そしてアヤメと入れ替わるように戻ってきたユウから、飛魚会の長マウコムとの交渉で、彼もまたその剣闘試合に出ることになった、と伝えられた。

 しかしエリオンらがアヤメの話をすると、ユウは少しだけ顔を曇らせ、「そうか」と一言だけ返した。そしてそれから暫くは、ユウの口数がめっきり減ってしまったのである。


 昨夜、街の端にある安宿で、そのことについて尋ねる勇気が無かったツキノは、ユウが部屋を出た隙を見計らって、エリオンに疑問を投げ掛けた。


「知り合いだったのかしらね? ユウさんとアヤメさん」


「かもね。そんな雰囲気はあった」


 ユウは軋むベッドに寝転がったまま、椅子に座るツキノに顔だけを向けて、そう答えた。


「闇試合って、命を落とすこともあるって聞いたわ。大丈夫なのかしら……?」


「何が――?」


「何がって、ユウさんよ。決まってるじゃない。だってあのアヤメさん、物凄く強いって街で評判のようだわ。そんな人と闘うことになるなんて」


「…………。うん、そうだね……」


「なによそれ。アナタ心配じゃないの?」


「いや勿論心配はしてるけどさ――」


 エリオンは小さな声で返してから、天井に向き直り、それきり黙り込んだ。彼の心配は、ツキノとは別のところにあったからである。


(ルーラーのユウさんが敗けるはずがない――けど、なんか暗い顔をしてた。もし仲の良い人なら、きっと闘いたくなんかないよな……。僕だってもし、ツキノと殺し合いをしろなんて言われたって、出来ない。出来るわけがない)


 しかしユウは、それを受けて立ったのである。相手を知った後でも、彼は断ることをしなかった。


闘うその理由は、僕の為なんだ。僕をモリドから護り、ネオネストに送り届ける為に、あの人は闘ってくれる……)


 いくら絶対者ルーラーであるとは云え、その決断がユウの重荷にならないとは思えなかった。また知ってか知らずか、神と闘う破目になってしまったアヤメの身も気に掛かる。


(アヤメさんは悪い人じゃない。少し話しただけでも、それは解った。それに噂通りとても強い人なんだろうけど――)


 だとしても、ユウに勝てるはずがない。それは絶対に揺るぎようがない事実で、だからこその『絶対者』なのだろうと思うのである。


(ユウさん……まさか殺したりしないよな……)


 図らずとも、彼ら二人に重責を科してしまった懸念。心配と謂うならば、その二人の身と心こそが、正にエリオンの抱く心配であった。



 ***



 剣闘士らの紹介が終わると、双剣の戦士ナズールと剣魔アヤメを残し、他の二人はそれぞれ別の入口へと戻っていった。

 そして最初の試合が始まるまでの間、ナズールは重そうな曲刀を振り回しながら身体を温め、アヤメは鞘を腰から抜いて自分の脇に置き、正座をしたままじっと目を瞑っていた。


 客席では、所々の台上に立った胴元と思しき男達が、色のついた紙札を高々と掲げ、それに合わせて周囲の観客が威勢よく声を上げる。赤青黄緑の札が、それぞれの剣闘士に対応しており、彼らはそのうちの誰が勝つかに賭けているであった。

 無論、裏賭博そんなことなどするつもりは毛頭ないエリオンとツキノは、これから始まる闘いの行く末が、願わくば悲劇にならぬようにと、ただ天に祈るのみであった。

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