第xx話 ストーリーテラー

 ――――――。


 ――――。


 ――。



 ***



 白衣を着た白髪混じりの男――池溝耕助いけみぞこうすけは、そこまで話を聴き終えると、テーブルの上に置いてある、四角いICレコーダーの停止ボタンを押した。

 面談用の白い部屋には、ドアが一つ。鏡や窓が一切無い代わりに、パステルカラーの空模様の壁紙が貼られている。

 彼は「ふぅ」と一息吐くと、テーブルに彼と向かい合って座る、水色の患者衣を着た青年の顔を、改めてじっくりと見た。


「………………」


 色素欠乏アルビノの様な純白の髪。身長は彼と変わらぬのに、顔は池溝よりもひと回りか、それ以上も小さい。黙って俯いているだけで女性と見間違えるほどに線が細く、それは美しいと表現するに相応しい顔立ちである。

 池溝は国籍や人類学にそれほど詳しい訳ではないが、その青年の顔は、少なくともアジア系のそれではないと確かに判る。強いて謂うならばイギリスかフランス辺りだろうと、何となく思った。


 彼はレコーダーに表示された録音時間と、腕時計の時間を見比べる。


「……2時間弱か。大分話してたね。疲れたかな?」


 池溝が問い掛けると、青年は「いえ」と一言だけ返した。


「それにしても、随分とユニークな話だね。魔法に超能力、それにロボットとは……」


「信じてくれなくても結構です。ただ聴いて、ただ情報を記録してくれるだけで、僕には充分ですから」


「そうなんだね……。君の話の中に出てくるエリオンという少年は、君自身だと思っていいのかな?」


「はい、僕がエリオンです」と青年。


 すると池溝は、暫し無言のまま考え込んでから、再び尋ねる。


「それにしては、少し変わった感じがするね? 普通自分のことを話すなら、もっと主観的になるものだ。でも君の場合は一人称ではなく、客観的というか――」


「――俯瞰的ふかんてき?」


「そういう言い方もあるね。他人の感情や思考まで断言するというのは珍しいよ。喩えるなら、そう……まるでストーリーテラーのようだ」


「そうかも知れません。後にルーシーを取り込んだ僕は、それまでアイオドを通して観測されていたいちなる世界の事象を、彼女の傍観者としての立場から理解することが出来ました。それにこちらで記録する情報は、その方が都合が良いんです。客観的情報は、多くの主観的存在と関係性を構築し易い」


「? それはどういう――」と言いながら、再び時計に目をやった池溝は、言葉を変える。


「そろそろ食事の時間だ。僕も、君もね。――食物アレルギーは?」


「ありません」


 真顔で答えるエリオンに、池溝は「だろうね」と笑って返してから立ち上がる。


「続きはまたにしよう。体調に異変を感じたら看護師さんに言って。次はなるべく長く時間を作るようにするよ」


「ありがとうございます」


 エリオンも立ち上がって礼を言うと、池溝に促されておもむろに部屋を出る。ドアの向こうの白い廊下には、ナース服の小柄な看護師が待っていた。


「どうぞ、こちらへ」と、その看護師に案内されて歩いていく青年の背中に、池溝は声を掛ける。


「エリオン君――」


 黙って振り返るエリオン。


「さっきの話は、君の過去の体験、という認識でいいんだよね?」


 すると彼は微かに首を振って応えた。


「僕にとっては過去です。でもこの世界では、これから起こる未来の話です」


 そう言ってまた歩き出すエリオンを、池溝は途方に暮れた表情で見送った――。



 ***



 彼がこの病院に運ばれてきたのは、一昨日の晩のことである。夜間救急救命に着いた時には、まだ意識が無く、しかし外傷も薬物使用の跡も見当たらなかった。

 精神科医の池溝が当直であったのが幸いと言えるかどうかは別として、彼の診療にはその後も池溝が当たることとなった。しかし彼には不可解な点が――と云うより、全てが不明なのであった。


 運ばれてきた翌朝、目を覚ましたエリオンに、池溝がとりあえず英語で話し掛けてみると、彼はすんなりと受け答えをしてみせた。その為英語圏の人間であろうと判断したが、その後の看護師とのやり取りで、彼は外国人特有の訛りを一切感じさせずに、流暢な日本語で会話をしていたのである。

 池溝が「の方が話し易いか?」と尋ねたところ、エリオンの返答は「いい」とのことだった。


 彼は身分を証明する物を持っていないどころか、路上で倒れているのを発見された時には、一糸纏わぬ姿であったという。国籍も年齢も不明である為、警察には連絡したものの、当局からは、各大使館に問い合わせてもそれらしき人物の情報が無い、とのことであった。

 そして彼の記憶と会話の内容が、全くもって理解不能であることから、少なくとも何らかの記憶障害や精神疾患の類であると診て、池溝はエリオンをこの病院に入院させる判断を下したのである。


「――検査結果です」と看護師が、診察室の池溝にタブレットを手渡す。


 彼はそれに目を通す前に、目頭をつまんで重い溜め息を吐いた。


「お疲れですね、池溝先生」と看護師。


「当直だったからね。2週連続はキツいなあ」


「仮眠ぐらい取られたらいかがです?」


「さっき寝たよ。30分ぐらいね」と笑いながら、タブレットの電子カルテを眺める。


「どの検査も異常は無しか……」


 とそこで、首から提げたスマートフォンが震えた。着信名は『高橋先生』となっている。


「――お疲れ様です、池溝です」


『お疲れ様。ちょっといいかな?』


「はい、どうぞ。彼の件ですか?」


『ああ。脳の方には特に異常は見当たらなかったよ。ただ――』


「ただ?」


『高次脳機能障害を考えて知能検査WAISもテストしたんだ。結果は満点だった』


「満点? 高橋先生の評価ですか?」


『そうだ、驚いたよ。恐らくIQ180以上はあると思う。――彼の素性は?』


「さっぱりです。話を聴いてほしいというので面談しましたが、よく分からない創作話だけで……でも妄想性障害とも違う、会話は論理的です」


『そうか……。大変そうだが、頑張ってくれよ』


「ええ、ありがとうございました」


 電話を切ると、池溝は背もたれにどっしりと体重を預け、白い天井を眺めながら、また溜め息を吐いた。

 警察からは、エリオンの発見当時の状況から事件性があるとして、事情聴取を求められている。しかし。


(今の彼と話をさせるのは難しいだろうな)


 と池溝は思う。


いちなる世界……アイオドの樹にデバイス石……)


 荒唐無稽な長話を、よくあそこまでで語れるものだ、と感心する。


「正体不明の天才青年か……」


 そう呟いて彼は目を閉じた。



 ***



 翌日――また面談室でテーブル越しに向かい合う二人。池溝は、白衣のポケットから取り出したICレコーダーのスイッチを入れる。


「じゃあ続きを。――確かパルゲヤという国の、剣闘試合のところだったかな?」


「はい」


 エリオンは静かに頷くと、思い起こすように目を瞑って、おもむろに話し始めた。

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