第30話 無垢
ギルドの食堂でユウを待つ間、エリオンとツキノは、早速自分達の
「景気がいいな、お客さん」と
(これ、一体いくらあるんだろう?)
などと不思議がりながらも、誰にもそのことを伝えてはいなかった。ユウにだけは折を見て話すつもりであったが、どうにもそのタイミングを掴めずにいた。
やがて食堂の空気が一層香り立ち、そして二人のテーブルに料理が運ばれてきた。テーブルに並んだのは、貝や蛸の切り身を煮込んだ具沢山のスープや、円盤の様な魚を丸ごと焼いて、真っ赤な香辛料をこれでもかと振りかけたもの。薄く輪切りにした海蛇をカリカリになるまで揚げて、蟹味噌や練った海藻のディップを、好みでつけて食べる料理、それに海中で育つ海野菜の、色彩豊かなサラダなど。
砂漠の蟻塚で育ったエリオン達には、そのどれもが珍しく、二人は未体験の味に驚いたり、顔をしかめたり、予想外の美味に感激の声を上げたりした。
「コレ見た目は気持ち悪いけど、なんかクセになる味ね」とツキノ。
彼女は『甲殻イカの活造り』という料理が気に入ったようで、まだウネウネと動きを見せる触手をフォークで刺し、それを豪快に噛み千切る。
「ツキノ……よくそんなの食べられるね……」
と言いつつも、エリオンはエリオンで、あっちを飲んではこっちを食し、といった感じで、とにかく色々な料理へ目を移しながら、所狭しと並べられた料理に、片端から手を付けていく。
明らかに頼み過ぎの感があるその席には、当然の如く、周りの客から奇異の目が集まる。それにも気付かず二人が夢中に食べていると、一人の男がふらふらと寄ってきた。
「お前さんら、エラく気前がいいな。博打で儲けでもしたのかい? なんなら、俺にも少し分けてくれねえかなあ」
そう声を掛けてきたのは、くたびれたマントの、いかにもやさぐれた風体をした、商人ふうの中年男性であった。
エリオンは彼を見ると、特に訝しむ様子もなく、微笑みで応えた。
「どうぞ。ちょっと僕らには多かったみたいで……あ、これが凄く美味しいですよ」
「お、『海蛇の満月揚げ』か。そりゃあここの名物料理なんだぜ。アンタぁ、パルゲヤは初めてみてえだな。どこから来た?」
「はい、ティルニヤから。蟻塚に住んでいました」
「鉱山市か、また随分
「いえいえ。ここは大きな街ですね」
「そうだろう」と言いながら、男はエリオンらのテーブルに断りもなく座る。――ツキノは少し眉を
「ところであんた、そんなに羽振りがいいんなら、俺に少し貸しちゃくれねえかなあ。この前の天災のせいで商売上がったりでな? 困ってんだ」
「いいですよ。どれくらい必要ですか?」
するとツキノが「ちょっとエリオン」と、横から袖を引っ張った。
「アナタ、名前も知らない人にオルスを?」
「え? だって困っているなら助けてあげなきゃ。それに貸すんだから、あとでちゃんと返してもらえばいいじゃないか」
「それはそうだけど……」と同意して、あっさりと引き下がるツキノ。
男はそんな二人の反応に、驚きを隠せなかった。
「い、いいのかよ……?」
「はい、勿論」とエリオン。
「仕方ないわね」と、ツキノも頷く。
男は、逆に自分が騙されているのでは、と一瞬訝しんだものの、エリオンの純粋無垢な瞳の輝きを見て、それが杞憂であると理解した。そして思わずほくそ笑んだ。
(こいつぁ、トンデモねえお人好しだ。獲物が自ら寄ってくる――どころか、自分から塩被って鍋に飛び込むようなモンだぜ)
そんな感想を抱いて、「じゃあ――」と男が言いかけた時である。彼の後ろから、凛とした女性の声が、ピシャリとそれを遮った。
「待ちなさい。――貴方達、そんな男にお金を渡す必要はありません」
「なんだと?」と、果たして男が、粗暴な本性を剥き出しに振り返る。しかし。
「――うっ……?!」
背後に立っていた女性の姿を見て、彼の顔は一瞬にして青褪めた。
――特徴的なのは長い黒髪。前は一文字に切り揃え、後ろは一本に結いて腰の辺りにまで垂れている。細い輪郭に、しっかりとした眉と力強い目。身長はエリオンよりもやや高い。見た目の歳は二十歳前後といったところである。
服は軽装であるものの、身体のラインが見て取れる、細身の白いシャツ。豊満な胸が窮屈そうにそれを押し上げている。
「あ、あんた……け、剣魔――か?」
男は椅子から派手に転げ落ち、彼女の顔を見上げながら、その呼び名を漏らした。
「だとしたら、どうしますか? 一本手合わせを?」
麗しいと云える顔で――だがしかし、威圧的な視線でもって、彼女は男を睨み据える。すると男は、あたふたと足を滑らせながら立ち上がり、必要以上に首を横に降ってみせた。
「か、勘弁してくれ。あんたとやり合うつもりなんかねえ――」
そう言って
「ちょ――……ああ、行っちゃった」
エリオンは、彼が何故逃げ出したのかが解らず、呆然とその背中を見送った。すると間もなく、その男を眼力だけで追い払った女性が、一転して優しげな声で二人に話し掛けた。
「何も盗られていませんか?」
「? 何も……はい? 取るって?」とエリオン。
「あの男は、旅に不慣れな人を騙すたかり屋です。もっともあんなに簡単にお金を渡そうとする人は、初めて見ましたが――」
彼女は呆れた様な苦笑いをみせてから、ポカンとしたままのエリオンに問う。
「何故彼にオルスを?」
「え? だってあの人が困っていると言っていたので」とエリオン。
黒髪の女は、予想だにしていなかったその返答に、思わず目を丸くした。
「それだけ? あの男がそう言ったから、それだけで自分のオルスを?」
「はい。――あの僕、何かおかしなことを?」
「……いえ」と返しつつも、女は微笑みながら小さな溜め息を吐く。しかしそれはエリオンに対してではなく、どこか自嘲を交えたような溜め息であった。
(この少年は、悪意という概念が無いのね。全ての人間が、等しく善意をもって助け合っていると、そう思っているんだわ)
「……?」
エリオンが、疑問の色を浮かべた眼差しで女を見つめる。その純真な瞳に、彼女は笑顔を返した。
「君は――君のような人間がいるんですね。……私は自分で思っていたより、心が荒んでしまっているのかもしれません」
「あの、アナタは――?」と横からツキノ。
「失礼しました。私の名前はアヤメ。修行の為、この街で剣闘士をしています」
女はそう名乗り、丁重に頭を下げた。
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