第26話 パルゲヤ

 大きな両開きの木扉は開け放たれたまま、商人と思しきフードの者達が、ひっきりなしに出入りしている建物がある。その軒の上に掲げられた看板には『港湾市商業ギルド』の文字。


 それを読んでツキノは小首を傾げた。


「商業ギルド? なんでこんなところに?」


 ギルドとは、同じ職業、或いは同じ業種の者達が集まって、彼らの市場を公正且つ健全に保つ為の寄り合いのことで、大まかに分けると、製造業者の集まりである『工業ギルド』と、取引業者の集まりである『商業ギルド』とがある。開拓市など一部の巨大な都市国家においては更に細分化されている所もあるが、人口が数万人規模の一般的な市国くににあるのは、殆どがこのどちらか、或いは両方である。そして海洋交易を主としたこのパルゲヤにおいては、商業ギルドのみが存在していた。


 エリオンもツキノ同様「なんで?」の表情を浮かべていると、先を行くユウがその建物に足を運びながら答えた。


「東の港湾市――ドバルへの連絡船は月に一度しか出ていない。それを待つよりも、ネオネストに向かう行商隊キャラバンを探して、同行させてもらった方が早い」


「なるほど。商人なら必ずここに立ち寄るから」――エリオンはうんうんと頷いて、中を見回す。


 商業ギルドは、広い敷地に食堂が併設された2階建ての建物で、入って正面のカウンターには小さな窓口がズラリと並んでいた。そこへ色々な手続きに来た商人達が列をなしており、待ち時間がある者は、その横の待合いスペースで談笑していたり、奥まった場所の仕切られた商談スペースで、商人同士駆け引きを行っていたりもした。

 また彼らよりももっと悠長な旅路を往く者、陸揚げを終えた漁師、或いは手続きに1日以上かかることを告げられ、時間を持て余した商人などは、内廊下で繋がった隣の食堂に行って、港湾市ならではの海の幸や、世界各地から集まる酒などを愉しんでいるのであった。


 ユウは手続きの列には目もくれず、真っ先にその食堂へと向かう。すると。


「窓口には行かないんですか?」とエリオン。


 彼がドトと一緒にこのパルゲヤに来た際には、必ず最初に『港湾取引許可証』という物を窓口で貰っていて、それが無いとこの街での商いは出来ない、とドトから教えられていたのである。

 しかしユウは、歩きながらフードを深く被り直して言った。


「僕らは商人として取引する訳じゃない。むしろ表取引そういうのとは逆だ」


「逆――?」


「所属する市国の売買免許を持っていない人間は、正式な商人として認められない。そして商人でなければ、キャラバンに参加することも出来ない」


「じゃあ、つまり――」と言い掛けて、エリオンはすぐに口籠る。


(つまり、密航するってことか)


 その言葉を察して、ユウは無言で頷いた。ツキノはいまいちピンときていないようであったが、とにかくここはユウに任せるしかないと、大人しく付き従うだけであった。


 食堂は――と云っても、実際には客の多くが酒を注文する為に、その様相は酒場に近いものであったが、そこには大勢の商人やマーマンの漁師などが集まり、それなりの賑わいを見せていた。

 ユウは店内をグルリと見渡すと、隅のテーブルで乾物をさかなに、独り酒を飲んでいる髭面の男に目を付けた。そしてその男の許に歩み寄ると、呟くように話し掛けた。


「ドバルまで行きたい」


「…………」


 男は一瞬ユウに目を移し、再びテーブルに視線を落としてから口を開く。


「……俺はそういうのはやってねえ」


「キャラバンは?」


「いるわきゃねえだろ、があってからまだ1週間だ。当分長旅に出る奴はいねえよ」


「? ――あんなの、とは?」


「なんだ知らねえのか? この前あった天変地異だよ。原因は判らねえが、北の沿岸と島が3つ――まあ人は住んでねえとこだがよ、それが丸ごと、跡形も無く消し飛んだって話だ。またそれがあるかも知れねえってんで、遠出の船はどこも出さねえよ」


 その男の話が、先日のエリオンの暴走による、ハドゥミオンの攻撃の被害であると、ユウにはすぐに理解出来た。


「……そうか。――では誰に頼めばいい?」


 しかし諦めを見せずにそう尋ねるユウに、男は困った様子で溜め息を吐く。そして酒瓶を振って、「酒が切れちまった」と一言。


 するとユウは、おもむろに自分のこめかみへ指を当てた。――彼の右眼がぼんやりと青く光り、呼応する様に男の右眼も光る。


「…………」


 暫くしてから、男は黙って懐から小さな紙を取り出し、そこに何かの番号らしき数字を書くと、それをそっとユウに差し出した。


「ありがとう、助かった」とユウ。


 彼は紙を受け取ると、すぐさまきびすを返す。そのやり取りを不思議そうに見ていたツキノが、足早に歩き出す彼を追いながら尋ねた。


「――何をしていたんですか?」


「情報を買ったんだ。僕らの手伝いをしてくれる人間の居場所が分かった」


「買ったって、どうやって?」


 するとエリオンが、横から口を挟むように答えた。


情報手形オルスだよ。――ですよね? ユウさん」


「ああ」


「オルス……?」


「うん。蟻塚の中では『町の物は皆の物』だし、大抵は物々交換だから使わないけど、他の国や見ず知らずの人が相手の場合は、オルスを使って買ったり売ったりするんだって」


「ふぅん――」


 この世界には、デバイス石という万物の元が存在している。言わずもがなそれは、金や銀や貴石の類に、その物性以上の価値が無いということでもある。また貨幣や紙幣すら容易に創ることが出来る為、実体のある物で真に価値ある物というのは、デバイス石だけなのである。

 しかしそれを大量に持ち運ぶというのは至難の業で、また当然の事ながらリスクも高い。故にそれに代わる価値――謂わば資産として、個人に情報を紐付けられた仮想通貨『情報手形オルス』を使うのが、世界的には一般的な取引形態であった。


 三人はギルドを出ると、そのまま目の前の通りを歩いていく。街は段々になっている為、通りの片側に建物が立ち並び、反対側には海の景色が広がっていた。


「――じゃあ私でも、自分のオルスで買い物が出来るのね?」


「勿論だよ。登録の儀をした時に、僕らにも蟻塚から支給されてるはずだからね」


「どうやって確認するの?」


「それはこうやって――」と、エリオンは歩きながら、右手の指をこめかみに当てる動作をしてみせる。先程ユウがしていた動作と同じである。


 ツキノがそれを真似ると、彼女の右眼が青い光を湛えて、その視界の隅に数字が表示された。


「本当だわ……。いち、じゅう、ひゃく――10万オルスだって。これって多いのかしら?」


「四つ眼蜥蜴とかげの串焼きが1本1オルスぐらいだから、多いんだと思うよ」


「へぇ、凄い量なのね。串焼きだけで一生暮らすつもりはないけれど」


「宿を借りたり、機械馬を買うとなると話は別だけどね。でも僕もツキノと同じだけ――」


 言いながらエリオンが、自分の所持しているオルスを確認する――と、その歩みが止まった。


「? ――どうしたの? エリオン」


「え……いや。あれ? おかしいな……」


 その彼の眼には、数字ではない表示がなされていた。


(所持量『Gn』オルス? なんだこれ……?)


 首を捻りながらもエリオンは、また後で確認すればいいか、と再び歩き出した。

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